山を歩いて焼き菓子を売る。前例のない「行商」モデルが全国に広がった理由(お菓子売りの「てくてく」・山口あいみさん)
山を登ってクッキーを売り歩く。2020年夏、コロナ禍の真っ最中だった北海道の山で、そんな前例のないビジネスを始めた、お菓子売りの「てくてく」こと、山口あいみさん。
たった一人で始めたユニークな事業は、SNSや口コミで評判となり、開業5年目にして全国に3つの“支店”が誕生するまでに成長。
「登山とお菓子作りが趣味」だった事務員の山口さんは、コネも経験もない状態からどのようにして「てくてく」を育てたのでしょうか。ロールモデル不在の道のりを手探りで突き進んだ山口さんにお話を聞きました。
山口あいみ(やまぐち・あいみ)
1980年、北海道小樽市生まれ。札幌在住。小学校の調理師として働きながら、2020年より道内の山を歩いて焼き菓子を移動販売「てくてく」を開始。2024年からは四国店、みちのく店、福岡店と全国に展開。https://www.instagram.com/tekuteku_mountain
山でしか買えないお菓子屋さんって?
山でお菓子を売る、ユニークな行商「てくてく」について教えてください。
山口
「てくてく」は焼き菓子をたくさん詰め込んだ木箱を私が背負子(しょいこ)で担ぎ、春から秋の登山シーズンに北海道の山を歩いて登山者に販売している行商です。
山口
きっかけはコロナ禍でした。昔からお菓子作りが趣味だったのですが、コーヒーの焙煎ができる友人から「一緒にカフェをやろう」と誘われて、2020年のオープンに向けて色々と準備を進めていたんですね。
ところが、そこにコロナ禍がぶつかってしまい、カフェ計画がいったん白紙になります。
でも、私はすでに「新しいことを始めるぞ!」スイッチが入ってエネルギッシュになっていて。試作したお菓子を使って何かできることはないかな、と考えてみたんです。
なるほど。
山口
インターネット販売をしても無名の私が作る、ごく普通の焼き菓子ではインパクトが弱い。
何か面白い売り方、発信の仕方はないかなと考えたときに、「山で売る」というアイデアが浮かびました。
それまでに山登りの経験はありましたか?
山口
はい。登山はもう10年来の大好きな趣味で、それまでにも生まれ育った北海道の山をあちこち登っていました。
2020年前半は皆が密を避け、緑のある公園や山に出かける人が増え始めた時期でもありました。それならば、自然の中の皆が楽しんでいる空間でクッキーを売ったら面白いかもしれない。
山口
公園やキャンプ場でリアカーを引いて売る案も考えましたが、それならいっそ私が大好きな山で売ろう。
そう決めたのが2020年3月頃。そこから4カ月ほどの準備と手続きを経て2020年7月から「てくてく」としての活動をスタートさせました。
前例がなくてもイメージはあった
「山でお菓子を売る」という行商のスタイルは、おそらく前例がなかったのでは? 完全にお一人で始められたのでしょうか。
山口
前例は見当たりませんでしたね。アイデアが浮かんですぐに「山でお菓子を売る」とネットで検索したのですが、何も情報は出てきませんでした。
ただ、山歩きをしながらお菓子を売るというイメージは自分の中でなんとなく思い描けたんです。
だから、まずは一人でやってみようと決意して「てくてく」という屋号を決め、イラストレーターさんにロゴデザインをお願いすることから始めました。
具体的な手続きよりも先に、屋号とロゴが生まれていたのですね。スムーズな立ち上がりですが、デザイン関係のお仕事の経験などあったのでしょうか?
山口
いえ、まったくありません。前職は内装業者の事務員をしながら、カフェの開店準備に向けて飲食店でアルバイトをしていたくらいです。
でも、私が取り扱うのはクッキーやフィナンシェなどの焼き菓子。売れなかったら破棄するしかありません。その前提があったからこそ、「どうすれば売れるのか」を真剣に考えました。
なるほど。では実際、山でお菓子を販売するにはどんな手続きが必要だったのでしょう?
山口
まずは自治体の保健所で菓子製造許可を取りました。作ったお菓子に食品表示ラベルを貼れば、これで販売可能になります。
やはり大変だったのは、山でお菓子を販売する為にどのような許可や申請などが必要なのかを調べることでした。ネットで検索しても答えは見つからず、行商をしたいと思う山に関わる関係機関を調べ片っ端から問い合わせをしました。
山によって関わる関係機関が多岐に渡っているとなると、申請や問い合わせなども一筋縄ではいかなかったのでは……。
山口
どこに電話をかけても、最初は「山でクッキーを売る? そんな問い合わせが過去に来たことがないのでちょっと……」と皆さん戸惑われていましたね。
色々と調べてくださる窓口の方もいましたが、「よくわからないけど、今後そういう人が増えたら困るからやめてもらえますか」と断られることもありました。
気持ちはわかりますが、それは悔しい……!
山口
ただ、断られる理由が「法的に問題があるからNG」ではなかったんですね。法律に触れるのであれば私も納得しますが、実際に調べてみてもそのような規制は見当たりません。となると、私としても到底納得はできません。
そんなふうにあちこちの山の担当者と掛け合っていく中で、「行商許可証があれば販売ができる自治体もある」と知りました。
山口
行商許可証を発行してもらい、最初に焼き菓子を販売できたのが小樽の山でした。
小樽の行商制度はもう廃止されてしまいましたが、それを皮切りに他の山でも「てくてく」としての活動を少しずつ広げていきました。
小樽の山が突破口になったのですね。その後はスムーズでしたか?
山口
「小樽の山でも販売しています」と説明できるようになったのはありがたかったですが、管理が厳しい国立公園にあるような山はやはりなかなか難しかったですね。
「ご遠慮いただきたい」とお断りしてくる山も多かったのですが、そこですんなりとは引き下がらず交渉を重ねました。
すごい……!
山口
自治体に申請して許可が下りたものの、登山口の駐車場兼山小屋の管理人さんに「山でお菓子を売る? 俺は聞いてないダメダメ!」と反対されたこともあります。
そのときは「でも、許可をもらったので」と主張して山の中では販売できたのですが、よくよく考えるとその山の一番近くにいる管理人さんからしてみれば、突然現れて「ここでお菓子を売ります」と言われても納得できないのは当然ですよね。
そんなモヤモヤが拭えなかったので、下山後に「自治体の許可さえあればいいというこちらの言い分は間違っていたかもしれません。最初にこちらにきちんと挨拶すべきでした」と管理人さんに謝罪したんですね。
なるほど。許可さえあれば何をしてもいい、というのは筋が違うと思われたのですね。その後、その山には登れましたか?
山口
はい、謝罪した翌週、緊張しながらもう一度その山を訪れたんです。
そうしたら、「今日もし山で売れなかったら、あっちのキャンプ場に行ってみたらいいよ」と快く対応してくださったんですね。「もしや別人では!?」と思うほどで、驚きました(笑)。
そんなことが……!
山口さんの誠意がしっかり伝わったのですね。
山口
ただ、前例がないことを始めた段階で、「誰かしらに何か言われてしまうのは仕方がない」と覚悟はしていましたね。
そんな風にあちこちで色々と言われながらもチャレンジを続けてなんとか今に至る、という感じです。
オリジナル背負子はまさかの自作
山口さんが背中に担いで登る「ショーケース」についても教えてください。これはオーダーメイドですか?
山口
いえ、自作しました。山でクッキーを売ろう、じゃあどうやって運ぼうかと考えたときに、やっぱり担ぐのがベストだと思ったんですね。さらに担いでいる状態で、お菓子が売っていると一目で伝わるようにしたかった。
じゃあクッキーの袋を吊るして陳列し、それらを箱に入れて背負えるように……と考えていたら、たまたま自宅のガレージにあった木箱がイメージにぴったりだったんです。
ネットで材料を揃え、三角屋根やアクリル版の扉をつけて、背負子に載せて、と工夫して今の形になりました。
ショーケースについた三角屋根は装備の軽量化を考えると不要に思えますが、「お店屋さん」感が一目でわかる良さがありますね。
山口
三角屋根はただのおしゃれです、可愛いから(笑)。
ただ、登山者の皆さんは重さがやはり気になるようで、「何キロ背負っているんですか?」と山でよく聞かれます。クッキーの他に手ぬぐいやピンバッジなども販売していますが、商品がいっぱいの状態だと10キロは超えていますね。
毎回、数百個単位のクッキーを焼き、袋に詰め、約10キロの荷を担いで登るのは、体力的に相当タフでないとできないのでは?
山口
そうですね。私は普段は小学校の給食調理員として働いていますから、最初の3年間はすごく忙しかったですね。「てくてく」だけでは生計が成り立ないことはわかっていたので、立ち上げとほぼ同時期に給食調理の仕事に就き、今も平日はそこで働いています。
ただ、4年目からは焼き菓子は外注に切り替え、今は売ることに専念できています。全部を自分でこなそうとすると、土日のうち1日がクッキーを焼く日で、登って販売できる日が1日だけになってしまうんですね。
週末に登る時間が減ってしまうのは、もったいない。北海道以外の山でも「てくてく」を展開していくことを考えたら、そのあたりの環境も整備しないと、と思うようになったことも外注に切り替えた理由のひとつです。
事業としての採算性についてはいかがでしたか?
山口
初年度は赤字でしたが、2年目以降は個人事業主としてまあまあの黒字が出せるようになりました。
開業5年目で全国展開
北海道で山口さんがお一人で始めた「てくてく」が、最近は全国展開されているそうですね。詳しく教えてください。
山口
2024年から「四国店」「みちのく店(東北)」「福岡店」がそれぞれ立ち上がりました。
2023年の冬にまず四国の知人の知人から「自分も山でお菓子を売りたい」と相談がありました。最初は「てくてく」の名前を貸すので私のお菓子を仕入れてもらえたら、と考えたのですが、彼女はすでにご自身のお菓子ブランドがあった。
そこで、「てくてく」の看板をお貸しして、ご自身のお菓子を売ってもらう、という形になりました。
山口
ただ、その方式はどちらかと言えばイレギュラーで、私のお菓子を仕入れてもらって「てくてく」の看板でそれぞれのエリアで販売してもらう形が基本になります。
フランチャイズ契約のようにロイヤリティが発生するのではなく、各支店のオーナーが山口さんから「てくてく」のブランドを借りているのでしょうか?
山口
「てくてく」の看板を使う権利を付与する、いわゆるライセンス契約です。
商品を運ぶオリジナルの背負子は私が自作していますので、オリジナル背負子と焼き菓子、手ぬぐい、ピンバッジなどのグッズ類、それからSNSアイコン用のロゴは支店ごとに屋根の色を変えたものを各店に購入してもらいます。
あとは山で売るにあたってのノウハウですね。どんな申請や段取りが具体的に必要になるのか、こういう場面ではどうするかなど、私が5年間で経験してきた知見をきちんとお伝えしています。
四国店、みちのく店、福岡店もオーナーは皆さん女性でしょうか?
山口
限定したわけではないのですが、結果的に今は全員女性です。普段はZoomでミーティングをして、各地でそれぞれに活動してもらっています。
ただ以前から、InstagramのDM経由で「自分も『てくてく』のようなことをしたい、どうしたらできますか?」と問い合わせを受けることも多かったので、このタイミングで「てくてく」としての仕組み整備できたのはよかったですね。
5年目の今でこそ全国展開のような動きがありましたが、前例もコネもない中、たった一人で「てくてく」を続けて来られた理由はどこにあったのでしょうか?
山口
山が好きで、人が好き。だから、「てくてく」をずっと続けてこられたのだと思います。
私、登っている最中はクッキーを背負っている重さをたまに忘れてしまうんですよ。
山口
大好きな山というフィールドで自然に優しく包みこまれる時間や、「てくてくさん、やっと会えた!」と喜んでくれる人に会えることが、すごく嬉しいしありがたい。悩みなんて吹き飛んじゃいますね。
だから下山後はいつもとっても心が満たされていますし、それが日々のエネルギーにもなっています。
素敵です。今後の「てくてく」の展開についても教えてください。
山口
全国展開という形にはしたものの、まだまだ整えなくちゃいけない課題は山積みです。ただ、仲間が増えたことはすごく心強いので、皆が一緒に楽しんで続けられるような仕組みをここから整えていくつもりです。
ただ、「てくてく」だけで食べて行きたいからどんどん支店を増やしていく、という方向では今のところ考えていません。利益を出すことを第一にしてしまうと、どうしても楽しさが損なわれてしまうような気がして。
バランスが難しいですね……。
山口
でも、実際のところはどうでしょうね……。覚悟を決めてスケールする方向性に振り切ると、また違う景色が見えるのかもしれません。
でも、人生も自分も変化していくものですから、そのときどきの環境と自分自身が感じる「楽しさ」を大事にしながら続けていけたらな、と今は思っています。
「好き」「楽しさ」を核に据えて、前例のない形をどう切り開いていくのか、とても参考になりました。ありがとうございました!
2024年11月取材
取材・執筆=阿部花恵
アイキャッチ制作=サンノ
編集=鬼頭佳代(ノオト)