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すべての人は「いる」だけでいい。福祉×アートのパイオニア・studio COOCAに学ぶ「生産性」よりも大事なこと(前編)

仕事をしていると、常に「生産性の向上」に追われていきます。

売上や利益を増やすにはどうしたらいいのか。コストを削減するには何をすればいいのか。少しでも効率を上げるには、「誰」を削っていけばいいのか……。

ビジネスにおいて、もちろんそれらは重要な側面です。でも、そんな価値観に限界を感じているビジネスパーソンもいるのではないでしょうか。

今回訪ねたのは、神奈川県平塚市にある「studio COOCA(スタジオ クーカ)」。さまざまな障害を抱えている方々がアートに取り組んでいるアトリエ×福祉施設です。

前編では、創業者・関根幹司さんと、2024年6月から代表を務める関根祥平さんに、studio COOCAの取り組みを通して考えてきた「生産性」の意味を聞きました。

関根幹司(せきね・もとし)
株式会社愉快、studio COOCA創業者。障害のある子どもを受け入れる保育園、地域作業所での勤務を経て、1992年に工房絵(かい)を設立。2009年、studio COOCAを設立。2024年5月まで代表を務めた。

関根祥平(せきね・しょうへい)
美術大学卒業後、特別支援学校の美術教諭として勤務する傍らジュエリーの専門学校へ通いアーティストへの道を模索。アメリカ留学を経てstudio COOCAへ2024年6月から代表を務めている。

「これをしなさい」と言わない福祉事業所

studio COOCAはどのような場所なのでしょうか?

祥平

創作活動を中心とした「好きなこと・得意なこと」を通して地域、そして社会とつながっていくことを目標に活動しています。

障害福祉サービスの、生活介護事業と就労継続支援B型事業という枠組みを組み合わせた多機能型の施設(以下、障害福祉施設)です。さまざまな障害を抱えた方々が通所し、表現活動をし、活動の中で生まれた収益に伴って工賃が支払われます。

多くの方は平塚市や近隣自治体から通所されていますが、何時間もかけて、都内から通ってくる方もいます。

今、手に持っていらっしゃるのは……?

祥平

ひたすら細かくちぎられたペットボトルのラベルを手造りのアクリルケースに詰め込んだ作品ですね。

ラベルは、他の人からすればゴミに見えるかもしれません。でも、これを「ちぎる」という日々の行為を大切にしているひとがいます。studio COOCAには、「これを描きなさい」と指示を出すような上下関係はありません。

制作されたアートは、画商などを通じて販売されている。

祥平

途中まで僕がおもしろいと思っていた作品も描きこみすぎて、最終的に真っ黒になってしまうこともあります。

本人が表現したいことをそのまま表現してもらうことと、作品としての完成度を高め、第三者へ届ける。という取り組みの中で日々、葛藤していますね(笑)。

館内を歩いていると、利用者さんが名刺を渡してくれたり、作品を見せてくれたり、「色を塗りませんか?」と参加させてくれたり……。とても愉快な空間ですね。

アトリエは3階建て。どのフロアに行っても利用者さんからどんどん話しかけられる。

祥平

そうですね。ここまで利用者さんの主体性を軸にして施設の活動内容を決めていく場所は少ないかもしれません。

たとえば、今日の取材ひとつ取っても、取材チームのみなさんは「決まった時間内にきっちりと代表者から有益な情報を得よう」と考えていると思います。

その達成目標からすれば、話の途中で利用者さんが積極的に会話に割り込んできたとき、施設によっては「ご迷惑」と捉えて、利用者さんを制止してしまうこともあるかと思います。私はそうは思いませんが。

祥平

効率重視で、生産性を追い求めていく価値観だと、そう考えるのも当然ですよね。

でも、ここには予定調和を気持ちよく崩してくれる人たちがいる。そういう人たちと仕事をする中で、日々救われています。

祥平

ここにはいろんな人がいます。「自分を見てほしい」「自分の作品を見てほしい」と強く主張する人がいるかと思えば、ノリノリで叫んでいる人もいるし、静かに創作活動へと没頭している人もいます。

多数派によってできあがる常識や、場の空気、予定調和の世界が緩やかに崩れて、一番大事なのは今この目の前の利用者さんが何を思って、何をしたいかになる。「その今と向き合うこと」だと思い出せる。

効率主義の自分を壊してくれて、ひらかれていく感覚があります。

祥平

僕は美術大学に行っていたのですが、アカデミックに学んだからこそアートのあり方やヒエラルキーに囚われていた部分があったと思います。

でも、今はここで生き直しているし、学び直している気がしていて。

全てを商品化する必要、ありますか?

一般的な障害福祉施設のイメージとはかなり違いがあるように感じます。

幹司

組み立てや封入などを黙々とやっている事業所が多いですからね。

僕たちも事業を始めた当初は、そういった「作業」を取り入れていました。

今の様子からは、想像できないですね。

幹司

僕たちが福祉事業を始めたとき、福祉課の担当者に「福祉施設の役割ってなんですか?」「目的ってなんですか?」「障害者ってなんですか?」と聞いたんです。

でも、答えられる人がひとりもいなかったんですよ。何していいか誰もわからないから、とりあえず「作業」をしてきた。それは今でも変わっていないところがあります。そんな環境で、約35年前からアートに取り組み始めました。

なぜアートを活動の軸にされているんですか?

幹司

僕が特に向き合ってきたのは、知的障害者です。

当時の主たる目的は、「障害者を一般企業にどう就職させるか」もしくは「施設がどう企業並みに稼げるようになるのか」をずっと追求してきたんですよ。僕も前職を含めて40年近く、ずっと生産性を追求してきたように思います。

でもね、日本全国を見渡しても、一般企業への就労にうまく結びつけられている障害福祉施設はほとんどなかったんです。事業所として、最低賃金が支払われるほど経営が成功をしている例も、残念ながらほぼないです。

幹司

そこで、考え直す必要が出てきました。

僕たちが今暮らしている社会の特徴は、「商品化」と「競争」と「利潤の最大化」だと思っています。

僕たちは幼い頃から学校でテストを受けて、競争させられてきました。つまり、「この1時間の中でどれだけ効率よくできるか」という訓練をずっと受けているんですよ。

そして、効率よく、小さく投資して大きく儲けるためにどうするかを学ぶ。その教育から外れちゃう人たちがいて、障害者として認定がされるんですよね。

そうですね。

幹司

障害福祉施設では、何千本ものボールペンを組み立てたりする。私語厳禁で、休憩の時間も厳密に決まっていて。

そんな作業の繰り返しに、馴染めない人は必ずいます。それで、途中で「もう無理だ」とドロップアウトしてしまう。

そうして行き場所がなくて引きこもっているうちに、「どこか行ける場所はないか」「私たちでもできるんだろうか」とstudio COOCAに来る。

なるほど。

幹司

そうしてここにやってくる人たちと接していると、何でもかんでも生産ラインに組み込み、「商品化」「競争」「利潤の最大化」に巻き込んでいくのは、間違っているのではないかと考えたんです。

そこで、表現やアートを取り入れてみようと思ったんです。

「生産性」の価値観だけでは歯が立たない

歪になってしまっているところがあるように感じますね。

幹司

アウトサイドが存在していることは、人類にとってきわめて大事だと思っています。

なぜなら、インサイドにある「商品化」「競争」「利潤の最大化」、すなわち「生産性」の価値観だけでは、現実に対して歯が立たないからです。

歯が立たない……。どういうことでしょうか?

幹司

もちろん、「生産性」の価値観も必要ではあります。僕たちも、結果的にできあがった絵を商品にして売っていますからね。

ただ、僕がこれに大きく疑問を持ったのは、2016年に相模原の障害者施設で起きた殺傷事件のときです。犯人は「コミュニケーションが取れない重度障害者は生産性がないから生きる価値がない」と言いました。

でも、果たして「生産性=ものを作れる」なのだろうか。生きる価値って、生産性があるということなのだろうか。

……。

幹司

僕は、存在そのものに意味があると思います。存在していることが生産性なのではないか。

具体的なお話をします。僕は最初、商店街の中に施設を作りました。当時、福祉はひっそりと片隅で行われているのが普通だったので、利用者さんたちも商店街の方々も、お互いによくわからない存在だったんですね。

幹司

障害のある利用者さんたちは当時、お金の使い方、お店でのものの買い方を知りませんでした。

なぜなら、養護学校はみんな送り迎えがあるのでお小遣いを誰も持っていないし、お店に一緒に行く経験がなかったからです。

そもそも知る機会自体がなかったんですね。

幹司

だから、最初は毎日のようにクレームが来ていました。買い方がわからないから、万引きまがいのことをしてきてしまうんです。

客でもないのに入り浸って、本屋で立ち読みどころじゃなくて寝転んで読んでいる。当時あったデパートのオーディオルームでは、CDを持って行って、自分のオーディオルームかのように1日中聴いている。

毎日のように僕がクレーム処理に行って、店長と話すんだけれども、理解してもらえませんでした。「もう二度と来るな」と言われるんです。当時はもう電話恐怖症になって、電話が鳴るたびにドキドキし始めるほどで……。

それで、どう対応されたんですか?

幹司

気を取り直し、職員会議をして「今後、絶対に行けるようになる支援をしていこう」と決めたんです。それで、利用者と職員が一緒に店に行き続けました。

すると、わかってきたのは、店員さんは障害のある人たちと接したことがないから知らないだけだったということです。

お金を持っていない人、お金の使い方を知らない人、喋れない人が店に来る……。そういった想定が一切されていないんです。

だから、客扱いされず、「挙動不審」と見られてしまう。

知らないだけだったんですね。

幹司

挙動不審だったら、声をかけてくれればいいんです。

店員さんが「どうしました?」「何かお困りですか?」と一声をかけてくれたら、なんとかなるかもしれない。

ところが、暴力的に追い払ってしまったり、無視したり、バックヤードに隠れてしまう。

幹司

障害のある人たちは、攻撃的に扱われるから攻撃的に反応してしまうんです。本来、お店にいる接客のプロがするべき行為をしてないがゆえに起こった問題だと思いました。

最終的に起こった現象だけで見ると、壊してきちゃったり、盗んできちゃったりするように見えるけど、利用者たちだって知らなくてやっていることで。

私たちは、誰もが「いるだけでいい」存在

幹司

「それは施設職員の仕事だろう」と言われたこともありました。でも、「いやいや、接客は地域のお店の人の仕事でしょう」と言って、利用者たちに一緒について、粘り強くお店に通い続けました。

知らないことが全ての原因だったので、「もう知ってもらうしかない」と、作品展をたくさんやって、メディアにも出ていきました。

障害特性といった専門的なことではなく、とりあえずそういう人がいるということを知ってもらうだけですよ。

今ではSNSなどでも発信されていますね。

幹司

ええ。知ってしまえば、お店の方たちも慣れていきました。

利用者の一部は、お店に財布を預けちゃうんですよ。そうすると、何かものを買うときに、お店の方が必要な分だけ抜いて、レシートを入れて返してくれる。

へぇ、おもしろいです。

幹司

長い歴史の話になりますが、180万年前から出土する骨の質が変わって、高齢者と障害者の骨が混ざるようになってきたそうです。

つまり、人類は180万年前からケアをしてきた。狩猟採集で、猛獣に怯えながらも、高齢者や障害者とともに動いていたということです。

これを僕は人類の最大の発見だと思いました。仲間を助ける、ケアということの価値に気づいた。「あなたと私」という見方を得た。それに対して、「生産性」はたかだか数百年で生まれた価値観です。

なるほど。

幹司

ケアをするためには、ケアされる人が絶対に必要です。1人で生きられない人は放っておけばいいと考えることもできたかもしれない。けれども、ケアすることで人類全体は生き延びてきた。

幹司

それは全ての人が同じで、いるだけでいいんです。

企業で働くみなさんも、実はケアをしているし、されている。まずはそこから考えてみるのはどうでしょうか。

今まで、そんなふうに考えたことはあまりありませんでした。

ここからは、そういった視点を会社の中へ持っていくために必要なことを伺っていきます。

▼記事後編はこちら

2024年6月取材

企画・取材・執筆=遠藤光太
撮影=森カズシゲ
編集=鬼頭佳代/ノオト