コミュニケーションの媒介者としてチームを支える。ビジネスパーソンにも必要な「汲む力」を身につけるには(スポーツ通訳士・小谷野だいあさん)
さまざまな人が集まるビジネスの場。価値観やバックグラウンドが異なっていても、同じ目的に向かったり、連携したりする必要があります。そんなときに大切なのが、お互いの考えを汲み取ったり、言葉を交わし合ったりといったコミュニケーション。
そんな橋渡し役をスポーツの世界で行っているのが、スポーツ通訳士の小谷野だいあさんです。
さまざまな言語を使うコーチや選手が一丸となって勝利を目指し、チームの力を発揮できるようサポートするのが「スポーツ通訳士」です。
小谷野さんに、スポーツ通訳士のお仕事内容や、相手を思いやり、「汲む」力を身につける方法について伺いました。
小谷野だいあ(こやの・だいあ)
1989年生まれ。中学校からインターナショナルスクールに通い、高校卒業後はカナダのビクトリアへ留学し、大学ではスポーツマネジメントを学ぶ。スポーツの現場でインターンを経験後、永住権を取得。オリンピック・パラリンピックを含む様々なスポーツの現場での経験を生かし、2018年にSPORT INTEGRITYをカナダで設立。スポーツ現場での通訳、海外遠征時のコーディネーター及びエージェントとして活動中。
「スポーツ通訳士」の仕事とは
小谷野さんのお仕事である「スポーツ通訳士」について、詳しく教えてください。
小谷野
海外で行われる試合や打ち合わせ、練習などに帯同し、英語と日本語の通訳を行っています。他言語を話すコーチや選手同士がコミュニケーションをとるための橋渡し役ですね。
チームメンバーの一人として、人と人を繋ぐお仕事ですね。
小谷野
実は通訳以外にも、コーディネート業務も行っています。
たとえば、チームが海外合宿や遠征の際の宿泊施設や練習場を手配したり、練習試合の対戦チームを探したり。現地でチームが安心して安全に過ごすためのサポートをしています。
小谷野さんは特定のチームに所属されているのでしょうか?
小谷野
いえ、所属はしていません。通常、スポーツ通訳をする方はクラブチームや選手の専属であることが多いので、私の場合は少し特殊です。
今は、カーリング競技を行うチームをお手伝いすることが多くて。2018年と2022年の五輪に出場した北海道拠点の「ロコ・ソラーレ」などをサポートしています。
ロコ・ソラーレは、2018年の平昌大会では銅メダル、2022年の北京大会では銀メダルという戦績を残していましたね。
試合でのもぐもぐタイムも話題になりました。
小谷野
他にもロコ・ソラーレから派生した男子チーム「ロコ・ドラーゴ」や女子チーム「ロコ・ステラ」、札幌を拠点とする「フォルティウス」や軽井沢のチームなど、さまざまな世代・地域のカーリングチームをサポートしています。
五輪の舞台が忘れられず、スポーツ通訳士に
小谷野さんがスポーツ通訳士になったきっかけを教えてください。
小谷野
私自身は運動が苦手なんです。ただ、子どもの頃から父の影響でスポーツの中継をよく観ていて、スポーツ自体は好きだったんです。
父の影響で中学生の頃にカーリングを始め、土日は軽井沢のカーリングリンクに一緒に通うようになりました。
実際にカーリング経験がある通訳士は少なそうですよね。英語が得意だったのでしょうか?
小谷野
元々、小学校1年生のときに家族でカナダにホームステイしていて。
日本人の家庭に滞在したのですが、自分と同じ年頃の子が英語で流暢に話していたのが、かっこよかったんです。
それで、自分も英語を話せるようになりたいと思い、中学からは日本にあるインターナショナルスクールに通い、大学はカナダに留学してスポーツマネジメントを学びました。
カナダといえば、カーリングが盛んな国ですね!
小谷野
そうなんです。どんな街にもカーリング場があり、日本でいうとボウリング場くらい身近な存在です。
スポーツマネージメントを専攻されていたということは、当初からスポーツ通訳士を目指していたわけではなかったのですね。
小谷野
きっかけは、カナダに留学して2年経った2010年のバンクーバー五輪のときでした。「パラリンピックの車椅子カーリングチーム日本代表に通訳士として帯同しないか」というお誘いがあったんです。
突然のことで驚きましたが、ワクワクしながら2週間帯同させてもらいました。
それがスポーツ通訳士を目指すきっかけになったのですね。
小谷野
正直、当時はそこまで深く考えていませんでした。ただ、刺激的で特別な時間だったので、「また、この舞台に戻ってきたい。この空気を味わいたい」と思ったんです。
そして、「大学を卒業したあとはカナダの永住権を取ろう」と決めました。そのためにバンクーバーへ引っ越し、お寿司屋さんでアルバイトをしながら、永住ビザを取得したんです。
行動力がすごい……!
小谷野
そうしているうちに同世代のカーリング選手たちが着々と力をつけて、カナダへ遠征に来るようになったんです。
それでいろんなお手伝いをお願いされるようになり、世界大会や国際大会に帯同する機会をいただくようになりました。
同じ頃、「グランドスラム・オブ・カーリング」という世界最高峰の大会で日本人として初めてスタッフになるという経験もさせていただきました。
北米社会で働く厳しさや苦労もありましたが、そこで得た仲間や貴重な経験は、今の私自身と仕事を支えてくれていて、人生の宝物です。
スポーツの世界に大きく踏み込むことができたんですね。
小谷野
途中、さまざまなことが思うようにいかず、落ち込んで自信をなくしてしまった時期もあって……。人を遠ざけてしまっていました。
それでも、再び五輪の舞台を経験したいという夢を諦めきれなくて。五輪に関わるボランティアを探したり、つてを辿ってみたり……。
小谷野
そこで、以前仕事をしたことのあった韓国人のカーリング関係者に連絡をとってみたところ、「平昌五輪のスキージャンプの通訳スタッフを探しているから選考を受けてみないか」と。
スキージャンプは未知の世界でしたが、レジュメを送り、無事に選考に受かりました。
行動したからこそ、チャンスをつかめたんですね……!
小谷野
本当にラッキーでした。このとき、選手が飛ぶ前にジャンプ台に危険がないかチェックをする「テストジャンパー」の方々と関わることが多かったんです。
日本から高校生から大学生まで30名ほどがテストジャンパーとして派遣されていて、私はそのメンバーの通訳やサポートを任されました。
私は韓国語を話せないので、英語を話せる韓国人と英語でコミュニケーションを取りながら通訳をして、濃い1カ月を過ごしました。
とっても刺激的な現場が想像できます。
小谷野
この経験は自信がつくきっかけになりました。それに、「五輪の成功」という目標に向かって、現場にいるコーチや選手、スタッフ全員が一丸になったという達成感が忘れられなくて。
凄まじい熱気が漂っていそうですね……。
小谷野
そうですね。決して大袈裟に言っているわけではなく、平昌でスキージャンプという競技に触れたことと、多くのすばらしい選手との出会いが、私の人生を大きく変えるきっかけになりました。
失っていた自信を取り戻せたのは、この平昌五輪があったから。これから先、どんな試練が待ち受けていたとしても、「この大会があったから」と乗り越えられる経験になったと思っています。
平昌オリンピックが、小谷野さんのターニングポイントになったんですね。
小谷野
スポーツの世界には、選手やコーチの他にも、たくさんのプロフェッショナルでチームが構成されています。私がチームに貢献できるのはスポーツ通訳という役割。
それで本格的にスポーツ通訳の仕事をしようと決意し、自分の会社を立ち上げたんです。
「スポーツ通訳士」に必要な能力
スポーツ通訳の仕事をする上で、英語スキルが必須であることはもちろんですが、他にどんな力が求められるのでしょうか?
小谷野
大会にはいろんな国からやってきた人たちがいて、バックグラウンドやカルチャーは異なります。
私はその違いを埋められる、適切な言葉を選ぶようにしていて。そんな「場の空気を汲む力」が必要だと思います。
そのためには、歴史や文化の違いを知ることはもちろん、一人ひとりの想いを理解しようとすることが大事です。
国や文化の違いだけでなく、一人ひとりの本質的な気持ちを知り、多言語で繋ぐ……ということでしょうか。
小谷野
そうですね。コーチや選手が何を大切にしていて、どんな考えをもっているのか。
「きっと、これを伝えたいんだろうな」とわかるようになるまでコミュニケーションを重ね、相手の考えを自分の中に落とし込むことを意識しています。
通訳の場以外にも、選手やコーチの方々と話す機会があるのでしょうか?
小谷野
はい。外国人コーチの場合、英語で話をします。選手の調子やコーチの考え、知り合って間もないときは私自身についてのプライベートなことも話したり。
監督にとっても、英語でスムーズにコミュニケーションを取れる小谷野さんは貴重な存在ですよね。
小谷野
私もカナダで生活をしていたとき、最初の頃は英語が理解しきれず、会話に入れなくて疎外感をおぼえたことがあるので、なんとなく気持ちがわかるんです。
日本人チームの中で外国人のコーチがポツンと一人にならないよう、安心してチームにいられる環境づくりを大事にしています。
異国で生活をした経験が、スポーツ通訳の仕事にも役立っているんですね。
小谷野
あと、コーディネーターとしての仕事では、段取りや準備を念入りに行う力も必要です。
私は心配性で……。海外の場合、予約サイトでは予約できているように見えても、実際にホテルに行くとなぜか予約されていなかった……なんてことが発生することもあり得る。
海外の試合で泊まるホテルが確保できていないと、大変なことになってしまいますね……。
小谷野
チームを海外で路頭に迷わせるわけにはいきません。だから、選手の宿泊先を手配した後、本当に予約が取れているのか、何度も電話で確認します。
1つのホテルの違う担当者3人と国際電話で話して、ちゃんと予約ができるのかを聞いたこともあるくらいで。
「汲み取る力」はどうしたら身につく?
各方面にたくさんの配慮や気遣いが必要なお仕事であることがわかりました。
特に、通訳のお仕事における「場の空気を汲む」力は、ビジネスの現場でも必要な力ですよね。 小谷野さんは、どのようにその力を身に付けたのでしょうか?
小谷野
私の場合、その人の出身を確認して、文化や常識、マナーなどを勉強しています。
また、コミュニケーションが主な仕事なので、相手が話しかけやすいよう、私自身がオープンマインドでいることも心がけています。
小谷野
同じ言語を話していたとしても、人と人が信頼関係を築くのはそう簡単ではないですよね。でも、チームとして目標を達成するには、その信頼関係が何より大切です。
具体的にはどうやって信頼関係をつくる手助けをしているのでしょうか?
小谷野
たとえば、選手がミスショットをしてしまったら、どんな声をかけてほしいかは一人ひとり違うんです。「惜しかったね」と言われたいのか、「次があるよ」と言われたいのか。
トップレベルのアスリートほど、お互いにどんな声かけをしてほしいのか、してほしくないのかを質問しあって理解しています。
そこまで共有するんですね。
小谷野
スポーツの世界では、「勝つためには腹をわって話そう」という雰囲気もあります。特にカーリングは試合時間も長く、会話をしながら進めていくコミュニケーションのスポーツなので、なおさらです。
チームスポーツだからこそ、大切ですね。
小谷野
たとえば、ビジネスの現場でも何らかのビジョンや目標利益などがありますよね。
スポーツの現場でも、ビジョンや目標、強い信念があります。それぞれの思いを伝え合い、嬉しいことも苦しいことも共有することで、信頼関係を気づいていく。そうやって一緒に向かう先があることが大切なんです。
そして、そこへ向かう道のりをサポートすることこそが、スポーツ通訳の仕事だと考えています。
スポーツ通訳士のお仕事だけでなく、チームやプロジェクトのメンバー同士の理解を深めるヒントを知ることができました。
本日はありがとうございました!
2024年2月取材
取材・執筆:久保佳那
写真:小野奈那子
編集:桒田萌(ノオト)