ものづくり大国の日本にはこれから大きなチャンスがある。AI時代のブランドに不可欠な「信頼による差別化」とは(I&CO レイ・イナモトさん)
SNSで宣伝や口コミが飛び交い、AIがユーザーにマッチした商品を提案する今、「いいものさえ作れば売れる」という時代は過去のものになりつつあります。でも、こんな時代に本当に愛される商品や企業をつくるには、どうしたらいいのでしょうか?
今回お話を伺ったのは、I&CO共同創業者のレイ・イナモトさん。Creativity誌「世界で最も影響力のある50人」、Forbes誌「世界の広告業界で最もクリエイティブな25人」の1人に選ばれ、ニューヨークを拠点に世界で活躍するクリエイティブ・ディレクターです。
このたび書籍『Brand Shift(ブランド・シフト):「信頼」で選ばれる時代の成長戦略』(東洋経済新報社)を上梓されたレイさんに、AI時代のブランドの在り方や、「個人ブランド」を形成するヒントを伺いました。

レイ・イナモト
I&CO創業パートナー / クリエイティブ・ディレクター米大手デジタルエージェンシーR/GAを経て、欧米大手デジタルエージェンシーAKQAに所属し、NIKE、Audi、Xbox、Googleなど、世界を代表するブランドのデジタル戦略とクリエイティブを数多く手がける。2013年と2019年には日本人として初めて、カンヌ国際広告祭モバイル部門、デジタルクラフトの複数部門の審査委員長に抜擢。2016年にI&COを立ち上げ、2019年7月に東京オフィスを開設。
日本の未来は“ブランド力”にかかっている
『Brand Shift』には、レイさんが培ってきたブランド構築の知見が詰め込まれています。書籍を執筆されたのは今回が初めてだそうですが、どういった思いからこの本が生まれたのでしょうか?

私は「日本の未来は、日本企業が積み上げてきたブランド力にかかっている」と考えています。その未来に少しでも貢献できればと思い、この本を書きました。
今から15年以上前のことです。中国が初めて日本のGDPを上回り、韓国からサムスンが躍進してきた2010年ごろ、アメリカ人の友人が「Japan is finished.(日本は終わっている)」とオンラインで投稿したんですね。当時は「よくそんなことが言えるな」と感情的に反論したものですが、今では日本の未来について悲観的な見通しを聞くことも多くなりました。
数年前、日本での出張中に見たテレビでは、当時の日本銀行総裁が「世界における日本企業の存在感が薄れている」とインタビューに答えていましたね。日本企業がグローバル市場で戦えていないのだ、と。
それを裏付けるデータがあります。とある業界における、日米の大企業2社のブランド価値を数値化したグラフです。2010年ごろまでは両社の差はほとんどありません。しかし2010年以降、日本企業のブランド価値が横ばいを続けるなか、アメリカ企業のブランド価値は急速に伸び、わずか10年で大差がついているのです。

ブランドの在り方が大きく変化するなか、日本企業のブランドがそれに追随できていなかった。そのことが、世界との差が生まれた要因のひとつだと言えるでしょう。海外で長年ブランド戦略に携わってきた者として、日本企業の経営者の方々に、この本を通じてブランド構築の重要性を伝えられたらと思っています。
これからのブランド構築に不可欠な「信頼による差別化」
先ほど「ブランドの在り方が大きく変化した」という話がありました。その変化とは、どういったものなのでしょうか?
それには情報伝達技術の進化が深く関わっています。活版印刷にはじまり、電話、ラジオ、テレビと、情報伝達技術は常に進化してきました。20世紀後半にはインターネットが生まれ、モバイルデバイスが普及し、ソーシャルメディアが誕生した。そして近年はAIが目覚ましい進化を遂げています。情報量も伝達するスピードも、劇的に変わりました。

株式会社COTEN代表取締役CEOの深井龍之介氏は、情報伝達技術が進歩することで人類の「思考OS」がアップデートされてきたと指摘しています。コミュニケーションが効率化されるだけでなく、私たちが世界を認識する際の価値観や、思考の枠組みそのものが、アップデートされるのだと。
印刷の時代とテレビの時代では、情報の量もスピードも大きく異なります。「思考OS」がアップデートされれば、当然ブランドの見せ方や育て方も変わるわけです。AIの時代となれば、その変化はさらに大きくなるでしょう。AI時代の「思考OS」に合わせて、ブランドの本質を捉え直す必要があるのです。
ブランドの本質を表すキーワードが、書籍のタイトルにもある「信頼」なのでしょうか?
そうですね。正確には「信頼による差別化」が重要だと考えています。
これまでのブランド構築は、「ファネル(漏斗)型のマーケティング」で考えられていました。企業がブランディングによって認知度を高め、商品に興味を持ってもらい、最終的に買ってもらう、という流れだったんですね。
これはこれで間違った考えではありません。ただ、ファネル型は最後の「購入」で一連の流れが止まります。SNSが普及した今、購入後のレビューや口コミが、さらなる購買行動につながるのも当たり前になりましたよね。購入後も顧客と商品の関係が続くようになった。そしてその関係が良好に続くには、企業や商品に対する「信頼」が不可欠になります。
そこで私が提唱しているのが、ブランド構築を従来のファネル型ではなく、フライホイール(はずみ車※)型で捉える考え方です。
※回転する円盤の慣性を利用してエネルギーを蓄え、スピードやパフォーマンスを安定的に保つ機械部品。自動車のエンジンなどに使われる。

フライホイール型のブランド構築は、「COMPANY」「PRODUCT」「CUSTOMERS」「BRAND」の4つのステップからなります。企業がミッションやビジョンを明確に定義し、その企業理念を体現したプロダクトを生み出す。プロダクトが顧客を魅了し、購入に至る。顧客がプロダクトや企業に感じた信頼がブランドとなり、その企業を他と差別化する。
ファネル型は、企業がブランドを作り上げる構造でした。フライホイール型は逆で、ブランドは信頼から結果的に生まれるものです。自分たちの企業がなぜ存在するのか、その意義をきちんと見つめ直すことが起点にあり、それが「信頼による差別化」につながると考えています。
「すぐ効くものは、すぐ効かなくなる」
「信頼による差別化」がブランド構築につながった事例には、どのようなものがあるでしょうか。
「信頼による差別化」には、企業理念とその一貫性も重要です。その意味では、OpenAIとAnthropicの事例が参考になるでしょう。
2022年にリリースされたOpenAIの「ChatGPT」は、今や生成AIの代名詞になりましたよね。そのOpenAIから離脱したメンバーが立ち上げたのがAnthropicです。彼らはOpenAIの安全性に対する方針に違和感を覚え、離脱後に「Claude」を作りました。「完全なAI」を目指すOpenAIに対し、Anthropicは「安全なAI」を目指しているわけです。
2026年2月、これを象徴する出来事がありました。すでにアメリカ国防総省で稼働していたClaudeに対し、トランプ政権が軍事利用における制限の撤廃を求めたんですね。しかし、Anthropicは「自分たちの理念に反する」とこの要請を拒否しました。多額の契約を失うリスクを冒しても、「安全なAI」の理念を曲げなかったんです。
その後、Anthropicを導入する企業が増えていきました。2025年12月の段階では、新たにAIを導入した企業のうち6割以上がOpenAIを選んでいましたが、2026年2月にはAnthropicが逆転して、今や7割以上の企業がAnthropicを選んでいます。
Anthropicは特別なマーケティングをしたわけではありません。自分たちの理念を貫き行動した。そこで生まれた信頼が、OpenAIとの差別化につながったのです。まさに、信頼で選ばれる時代の成長戦略だと言えるでしょう。
信頼を積み重ねるには、それなりの時間もかかりますよね。
そうですね。この本でも「ブランドとは人気ではない」と説明しています。以前イベントでご一緒した楠木建さんも、「すぐ効くものは、すぐ効かなくなる」とおっしゃっていましたね。たとえば、WORK MILLを運営している株式会社オカムラの役員の方が急にTikTokで踊り始めたら、話題になると思うんですよ(笑)。でも、それが持続的な売上をもたらすかは疑問ですよね。
すぐ効くものを求めると、結局は小手先の施策を追いかけるばかりになってしまいます。会社としてどう信頼を得るか、他社とどのように差別化を図りたいか、時間をかけてしっかり考えないと、ブランド構築にはつながりません。
キャリアの差別化で意識したい「ポジショニング」
お話を聞いて、「信頼による差別化」は私たち自身がキャリアを考えるうえでも大事なポイントのように感じました。企業で働く個人が「信頼による差別化」を図るには、どのような点を意識すればよいでしょうか。
「この人だったら任せられる」という頼れる存在になることはもちろん、「この人は他と違う」と差別化できるものも持つ必要があるのかなと思います。
プロジェクトマネージャーだけど文章を書くのがうまいとか、エンジニアだけどデザインのセンスがいいとか、本業プラスアルファのものがあると差別化になるでしょう。仕事以外に興味があることを加えてもいいですね。
ブランドも、差別化のカギは「ポジショニング」にあります。ある領域で「どれだけ優れているか」ばかりを競っていると、やがてその差は埋められてしまいます。かつての携帯電話のスペック競争なんて、まさにそうですよね。
そこに衝撃を与えたのがiPhoneの登場でした。まったく新しい領域に踏み出して、「他とどう違うか」を打ち出したわけです。BetterよりDifferentを意識して、ポジショニングを設計した好例ですね。

レイさんご自身も、そうしたポジショニングを意識されていましたか?
そうですね。私はアートがやりたくて大学で美術を専攻していたんですが、在学中にテクノロジーやプログラミングに興味を持ち始めて、コンピューターサイエンスも二重専攻したんです。当時は「プログラミングができるデザイナー」はほとんどいませんでした。いま振り返ると、この立ち位置こそが自分自身のブランドになったのだと思います。
どんな領域でも、トップ1%に入れる存在になるのは難しいものです。競争相手も多いですからね。本業を頑張るのは大前提として、そこにプラスアルファの要素を持つことが、「組織の中の個人ブランド」としてすごく有効だと思います。
日本の中小企業は大きな可能性を秘めている
レイさんご自身が、いま気になっているブランドはありますか?
日本各地にある中小企業ですね。日本はものづくり大国ですし、「信頼」は得意分野だと思うんです。
カナダやアメリカを拠点に活動するテクノロジーアナリストのダン・ワン氏が書いたノンフィクション『Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future』に、面白い記述がありました。歴史をさかのぼると、中国のリーダーたちはエンジニアが多いそうなんです。対してアメリカは法律家たちが国を作ってきたと。今の国の在り方をすごく物語っていると思いませんか?
その意味でいうと、日本は「ものづくり」の精神が、社会や文化を作ってきたように思います。確かなものづくりで、信頼を積み重ねてきたわけです。でも、日本の企業の方々と話すと「うちはものづくりの会社ですから」と謙遜されるんですね。
まるで寡黙な職人のようですね。
そうなんです。多くを語らないので、大半の企業が「いいものを作るメーカー」に留まってしまい、「愛されるブランド」にまで成長し切れていない。裏を返せば、これは日本企業にとって大きなチャンスです。企業理念を反映したプロダクトがすでにあるなかで、ブランドによる伸びしろが残されているわけですから。
世間に広く知られていない中小企業が、日本にはまだまだたくさんあるはずです。個人的には、LVMHのようなネットワークを日本各地の中小企業で作れないかなと考えています。まだうちの社員には誰にも言っていませんけどね(笑)。
信頼で選ばれる時代だからこそ、日本の中小企業はものすごく大きな可能性を秘めていると思いますよ。

【編集後記】
取材中、レイさんが何度も口にしていた「信頼」、それは道徳的な話ではなく、AI時代を生き抜くための極めて現実的な競争力として語られていたのが印象的でした。情報があふれ、AIがそれらしい最適解を提示する時代だからこそ、最後に人が選ぶ理由になるのは、企業や人が何を信じ、どんな行動を積み重ねてきたのか、その実績そのものなのかもしれません。そして、特に心に残ったのは、「日本にはまだ大きなチャンスがある」という言葉です。世界に誇るものづくりの力や誠実さを持ちながら、その価値を十分に伝え切れていない企業は少なくありません。だからこそ、信頼を軸に自らの物語を語ることで、日本企業はもっと輝けるのではないでしょうか。そんなレイさんの言葉に、大きな希望を感じました。
(WORK MILL/山田 雄介)
2026年5月取材
取材・執筆=井上マサキ
撮影=小野奈那子
編集=鬼頭佳代/ノオト


