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予期せぬ事態を解決するのは周到な準備のみ? サッカー審判の仕事から学ぶ決断の方法(国際審判員・山下良美さん)

スポーツの試合に欠かせない審判員。定められたルールに基づいて試合を進行し、どんな状況でも決断を下していきます。サッカーの審判員も、そんなスピーディーな質の高い決断力と判断力が求められる仕事。

2023年、FIFAワールドカップのカタール大会で初めて女性審判員がピッチに立ち、話題になりました。そのひとりが国際審判員の山下良美さんです。

山下さんが審判員になったきっかけやサッカーの試合にかける想い、そしてさまざまな仕事にも共通で必要とされる決断力を鍛えるためのコツについて伺いました。

山下良美(やました・よしみ)
サッカー国際審判員/プロフェッショナルレフェリー。1986年東京都生まれ。東京学芸大学卒業後、女子1級審判員の資格を取得し、2015年にFIFA国際審判員登録。2021年にJリーグ史上初、2022年にはFIFAワールドカップ史上初の女性主審のひとりに。2024年7月から開催されるパリ五輪のサッカー競技でも審判員に選出されている。

部活動の青春に憧れていた高校時代

山下さんがサッカーを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

山下

2歳上の兄がサッカーを習っていて、私も4歳頃から地元サッカークラブに所属していました。

左が山下さん。お兄さんと一緒に©JFA
小学生の頃 ©JFA

山下

中学生まではプレイヤーとしてサッカーに打ち込み、高校でもサッカーを続けようと思っていたんですけど、女子サッカー部のある学校が少なくて。

それに、「サッカー部があるかどうかで学校の選択肢を狭めてしまうのはもったいないな……」と思い、入学した高校ではバスケ部に入りました。

高校時代はサッカーではなく、バスケをやられていたんですね。

山下

はい。サッカーとバスケってかけ離れたスポーツかと思いきや、ひとつのボールを使うチーム競技と共通点があってすぐにハマりました。

それに、私はずっと「部活動の青春」に憧れていて。授業前の早朝や放課後に練習したり、授業の合間に友達と早弁したりと、夢だった部活漬けの日々を過ごしました。

その後、「でも、やっぱりサッカーが好きだ」と思い、大学からサッカーを再開したんです。

©JFA

サッカー選手としてプレーをしていた中で、どうして審判員を目指すことになったのでしょうか?

山下

当時は審判をやろうとはまったく思っていませんでした。

きっかけは進路に悩んでいた大学4年生の時。5歳上の先輩から「審判員なら体も動かせるし、サッカーにも関われるからいいことばかりだよ」と半ば強引に誘われて(笑)。

最初は軽い気持ちで、審判員をやってみることにしたんです。

選手ではなく審判員として試合に参加してみると、どう感じましたか?

山下

審判員は、試合の進行のためにホイッスルを吹く役割もあります。

その笛を吹くだけで試合の流れが変わったり、選手たちの興奮を間近で感じられたりして。選手の時とは違う視点からサッカーに触れられて、とても刺激的でした。

その後も、審判員として試合に関わるようになると、「もっと次の試合ではこうしたい!」という向上心も出てきて。

そして、社会人クラブでプレーを続けていた2012年に女子1級審判資格 、さらに2015年には国際審判員(※)の資格を取得しました。

※国際審判員:国際審判員の資格を取得すれば、FIFAやアジアサッカー連盟などが開催する国際試合に派遣されるようになる。現在、サッカーの国際審判員に登録されている日本人は男女合わせて24名。

試合中はどんな状況でも自信があるように見せる

プロのサッカー審判員になるためには、どのようなスキルが必要なのでしょうか?

山下

日本のサッカー審判員制度は4級からはじまり1級まであります。その後、国際審判員(主審、副審)の資格をとることができます。

最初から1級を取ることはできず、誰でもはじめは4級から取得しなければいけないんです。

サッカー審判員って一見、取得が難しそうにも見えますが、4級は都道府県のサッカー協会が主催する講習会へ参加することでサッカーを経験していない人でも取れるんですよ。

意外と間口が広いんですね!

山下

はい。一方で、3級以上になると年に一度は体力、実技、競技規則テストをクリアしないといけません。

ちなみに、Jリーグで笛を吹くためには1級の資格が必要になってきます。

よく「審判員に一番必要なことは何ですか?」と聞かれるんですけど、私はテストで要される条件の他にも「サッカーが好き」という気持ちが大切だと信じていて。その気持ちがあれば、誰でも審判員になれると思っています。

好きなことだと一生懸命打ち込めますよね。ちなみに、海外で審判する場合は、語学力も必要になってくるのでしょうか。

山下

国際審判員になると、海外での研修会や海外の選手とコミュニケーションが発生するので最低限の英語力は必要です。

だけど、海外チームの中には英語が話せない選手もいたり、試合中は声援で審判員の声が聞こえなかったりするケースも……。なので、審判の際は言葉以外にも顔の表情やジェスチャーなどの「非言語コミュニケーション」を重要視しています。

たとえば、笛を「ピピピ」と吹くのと、「ピー!」での伝わり方は大きく違いますよね。

たしかに、笛の強弱だけで審判員の感情が読み取れます。

山下

非言語コミュニケーションは国籍や言語による違いを超えて伝わるものが多く、とても役立っています。

あとは試合に向き合う「姿勢」も大切ですね。私がもし選手なら、自信がなさそうにしている審判員よりも自信がある人に判定してもらいたいんですよ。

なので、たとえ正しいジャッジだったとしても、弱々しい笛や態度だと選手にはきちんと伝わらない。だから、どんな状況でも自信があるように見せています。

予期せぬアクシデントには「事前準備」が欠かせない

サッカーは、プレー内容や進行を含めて、最後まで何が起こるか分からないスポーツだと思います。

予期せぬアクシデントと向き合うために、山下さんが実践していることはありますか?

山下

私は、準備なしでは突然のアクシデントに対応できないと思っています。

そのため、試合中のどんなことにも臨機応変に対応できるよう日頃から定期的に過去の試合を振り返ったり、他の審判員と意見を交換したりして、事前準備を欠かしません。

予期せぬ事態にこそ、準備が必要……。

山下

たとえば、選手が激しいタックルを行った場合、「足の裏が接触した」「スピードがある」などの要件がそろったら、レッドカードの対象になります。

試合以外の時間で、そういった無数の条件を頭の中で想定して整理しておく。事前に準備しておくことで、「今、足の裏が当たったな!」なども、試合中にすぐに判断できるんですよ。

日頃からの準備が大切なんですね。

山下

はい。ただ正直、過去の試合を見ると、自分のミスに気づいてへこむことも……。

だけど、試合は振り返って分析するまでが審判員の仕事。そういう思いから、担当した試合の映像は全て見ています。

ちなみに、ネガティブな気持ちになった時はどう対処されているのでしょう。

山下

落ち込んだ時にサッカーの試合を見ても気持ちがへこんでしまうので、違うことをして頭をリフレッシュさせています。

実は私、街歩き系の謎解きなどの頭を使うゲームが好きで。最近のマイブームは「漢字のクロスワード」なんですよ(笑)。

意外! ご自身のリフレッシュ方法があるのは素敵ですね……!

サッカーの魅力を最大限に引き出せるように

現在、サッカー業界では男性の審判員に比べて、女性が占める割合はおよそ5%とまだ低いと思います。特に、最高位の1級審判員における女性が占める割合は1%にも満たない状態です。

山下さんが今のポジションに辿り着くまでに、大変だったことはありますか?

山下

もちろん体力的なハードルはありましたが、「女性だから」という理由で何かできないことはありませんでした。

海外ではここ数年、出産や子育てを経て復帰する女性審判員の数が増えてきて。今では、審判員はライフステージが変わっても働き続けられる仕事のひとつになったように思います。

日本はどうですか?

山下

私が所属している日本サッカー協会でも、試合会場に女性専用の設備が導入されていたり、出産後の審判員のための相談窓口があったりと、女性向けの支援があります。

国内で女性審判員の数をさらに増やすためには、サッカー界での女性審判員への理解とサポートは必要不可欠ですね。

仕事やプライベートなどさまざまな場面で決断が必要ですよね。

審判員として決断を繰り返している山下さんが考える「何かを決断するときに一番重要なこと」は何ですか?

山下

私は決断する際、自分の感じた第一印象を大切にしています。なぜなら、そこには自分がこれまで得てきた色んな経験や知識が詰まっているからです。

最近、サッカーの試合には、VARなどのテクノロジーが活用されています。ですが、私は「あれ今、足があたったよな?」とまずは自分の直感を信じるようにしています。

そうすることでまずは自分を基準にして物事を見ることでき、分析のアプローチや判断も変わってくるんです。

テクノロジーがあることを前提にしつつも、自分の視点をきちんと大切にしていらっしゃるのですね。

山下

はい。もちろんさまざまな場面でテクノロジーに頼ることは必要だとは思います。ビデオ判定システムも導入されたことで、サッカーの楽しみ方も広がりました。

しかし、すべての判定や審判をテクノロジーやAIに任せることは難しいとも思っていて

審判は、試合中に起きたことに対して笛を吹いたりレッドカードを出す以上に、そもそもカードで選手を欠かさない環境にすることが大切だからです。

確かに、それはAIにも難しそうです。

山下

はい。だから試合中にヒートアップしている選手に「気をつけてくださいね」と声をかけたり、ピッと笛を吹いてあえてプレーの時間をあけたり。

これは人と人とのコミュニケーションで、人間にしかできないことだと思っています。

最後に、サッカー審判員という仕事のやりがいを教えてください。

山下

私はサッカーの魅力を最大限に引き出すために、審判の仕事をしています。私は物心ついた頃からサッカーが好きで、大人になった今でもすっかり魅了されています。

そんなサッカーの魅力を審判員の仕事を通して、これからもより多くの人に伝えていけたら嬉しいですね。

2024年4月取材

取材・執筆=吉野舞
アイキャッチ制作=サンノ
編集=桒田萌(ノオト)