めがねの原点とは? プラスジャック・津田功順さんが活路を見出した「助ける」ものづくり(後編)
国内有数のめがね産地、福井県鯖江市で1988年に創業したプラスジャックは、めがねを一貫生産する数少ないメーカー。
父から会社を引き継いだ代表の津田功順さんは、パーツメーカーから完成品まで手がけるメーカーへとシフトし、自社ブランドのめがねやめがね素材を使った雑貨を展開していきました。
しかし、ただ製品を作ることに手応えを感じられない日々が続いた津田さん。めがねの歴史を調べるなかで、“「助ける」ものづくり”に会社の目指す方向を見出しました。(前編記事はこちら)
後編は日本全国から注目を集め、グッドデザイン賞を受賞した防災笛『effe』の開発ストーリーと、未来のめがね業界を見据えた津田さんの挑戦についてご紹介します。
津田功順(つだ・こうじゅん)
プラスジャック株式会社代表取締役社長。福井県鯖江市生まれ。高校卒業後、短大で建築を学び県外で就職するも、30歳で鯖江に戻り家業を継ぐことに。その後、めがねのテンプルのみを製造するパーツメーカーから小ロットでめがねや雑貨などを社内で一貫生産するものづくりの会社へと転換。現在は「助ける」をテーマにめがねのほか、防災・防犯用笛のアクセサリー『effe(エッフェ)』などの商品開発にも取り組む。
めがねの素材で作る、身につけやすい防災笛
津田さんが“「助ける」ものづくり”を実践するなかで生まれたのが、防災笛『effe(エッフェ)』なんですね。
津田
そうです。2024年は正月早々に能登半島地震が起きたこともあって、今、生産が追いつかないほど各地から注文が殺到しています。
『effe』はどういう意味なんですか?
津田
Fukui(福井)、Factory(工場)、Fue(笛)の頭文字がブランド名の由来です。
また、一見笛に見えないので「えっ、笛!?」と驚くようなものを作りたいという思いも込めています。
たしかに、とてもスタイリッシュで笛には見えないですね。
ところで、めがねの会社が笛を作るのは意外でした。『effe』はどのような経緯で製造することになったのでしょうか?
津田
鯖江市役所防災課から「災害の時に助けを求めるための笛を、めがねの素材でつくれないか?」と相談を受けたことがきっかけでした。
なんでも、阪神・淡路大震災のときに亡くなられた方の7割が閉じ込められた状態で助けを呼べなかったそうです。
人命救助のタイムリミットは72時間といわれていますが、携帯電話は電池が切れてしまうと使えない。「笛なら、息がある限り助けを呼べる」と担当の方が熱弁していました。
依頼された時の印象はどうでしたか?
津田
正直、なぜめがねの会社が笛を作る必要があるのだろう……と思っていました。
ただ、従来の防災グッズは持ち歩く習慣がないため、いざという時にすぐに取り出せないという問題点があって。
「めがねの素材なら、いつも身につけられる笛になるんじゃないか」と担当者は考えたようです。
なるほど。めがねの素材のなかでも、プラスジャックさんで使っているアセテートは特に軽いので身につけやすそうですね。
津田
はい。
それで、手始めに笛の構造を研究している学者や論文などを探してみたのですが、一向に見つからなくて。
意外なことに、防災用の笛として適した音量や音域などの基準も、当時の日本にはなく、各社が自分たちの判断で作っている状況でした。
そうなんですね……!
津田
音の知識もない、笛の基本構造もわからない、基準もない。それでどうやって笛を作るんだろう?と途方にくれました。
そんな時にネットで笛の簡単な構造のイラストを見つけて、試しに作ってみることにしたんです。音が鳴らなかったら、もうこの案件から手を引こうと思って。そうしたら……。
そうしたら……?
津田
鳴っちゃったんです(笑)。ちっちゃい音でしたが、笛を作ることができました。
津田
その時はちょうど私がめがねの歴史を調べて“「助ける」ものづくり”に感銘を受けたタイミングで。
めがねは目を補助する道具として人を助けるもの、そして防災笛もいざという時に人の命を助けるものです。
「生半可な気持ちではいけない、やるからには本気でやろう」と、ようやくエンジンがかかりました。
そこから、どのように開発が進んでいったのでしょうか?
津田
まずは目指す笛の基準を定めようと、市販されている防災用の笛を買い集めました。構造や吹き心地、音域や音質などを調べてみたのですが……、吹きにくいものや音が低いものなどさまざまでした。
たしかに。これまで基準がなかったのでいろんな笛がありそうです。津田さんはどんな笛を目指そうとしたのでしょう?
津田
たとえば、サッカーのホイッスルのような笛は吹き込み口が大きくて吹きやすく、大きな音は鳴ります。でも、肺活量が必要なので長くは吹き続けられません。
救助を呼ぶことを考えると、子どもからお年寄りまで、肺活量が少ない人でも吹き続けられるよう、吹き込み口は小さくして。水が入ってもひと振りすれば、また吹くことができる構造にしました。
音に関してはどうでしたか?
津田
人間の耳は2〜5kHzまでの音域が聞こえて、それ以上だと耳障りな音になるそうです。
そこで、音域は4kHzを基準に、10kHz・16kHz・20kHzの音が同時に出ることで、瓦礫を突き抜けて救助犬に届くような音を目指しました。
津田
素材の削り方が0.1mm違っただけでも、音が変わってしまうので、2年以上かけて何度も試作を重ねましたね。
設計通りに正確に作ることができるのは、めがねで培った技術が大いに生かされています。
「餅は餅屋」へ。デザインを一新してグッドデザイン賞受賞!
開発当初の『effe』は、今のペンダント型とは違うかたちだったんですよね。
津田
そうです。完成して展示会やコンクールに出品したのですが、「コンセプトはいいけどデザインがね……」と言われることが多くて。
実は、それまではずっと自分でイラストやデザインを描きながら製品におこしていたんです。
でも、デザイナーの谷川美也子さんの協力で、かなり洗練されたデザインになりました。
それで2018年にはグッドデザイン賞も受賞されたんですね。
津田
はい、受賞によっていろんな方に注目していただいて。
「デザインの力でこんなにも変わるんだ」と谷川さんに話したら、「餅は餅屋だからね」って言われて。
やはり、デザインにはデザインのプロがいる、と……。
津田
はい。その時から、一人ですべてを抱え込むんじゃなく、得意な人に得意なことを任せたらいいんだと思えるようになって。ちょっと気持ちが楽になりました。
それが職場づくりにも反映されるようになっていったんです。
できる仕事を増やし、スタッフや産地全体を「助ける」働き方を実現
今、おっしゃった「職場づくり」についても教えていただけますか?
津田
鯖江のめがね業界は分業制なので、磨きなら磨き、削りなら削りのように、それぞれの会社が各工程のプロとして携わっています。
しかし、そうすると自分の仕事を他人に任せられず、仕事を休みづらくなってしまう。
プラスジャックも以前は、誰かが休んでしまうと仕事が止まってしまうという問題がありました。
なるほど。分業制はすべての部門が止まることなく稼働してこそ成り立つものなのですね。
津田
そこで、プラスジャックではすべてのスタッフが一通りの工程を経験し、全体の流れが理解できるにしています。
どの業務も誰もができる体制にすると、休みたいときに気軽に助け合えますから。
津田
また、社内だけでなく、ほかのめがねメーカーの人手が足りない時や「この作業だけ手伝ってほしい」という仕事も引き受けることがあります。
ほかの会社の仕事も!? まさに職場だけでなく産地全体を「助ける」体制が生まれているんですね。
でも、めがねの製造工程をすべて覚えるのは大変なことだと思うのですが……。独自の工夫などあるのでしょうか?
津田
たしかに簡単ではありません。そこで、私や先代である父が直接教えたり、技術の内容を掲示物にして見える化しています。
あと、外部からめがねに関する技術を教えてくれる先生を呼んで、「プラスジャック大学」という勉強会を行っています。
総合的にめがねのことを学べるのはいいですね。これまでなかったのが不思議なくらいです。
津田
鯖江は分業制なので、そもそもすべてを教えられる人が少ないからかもしれませんね。
これらの取り組みは、スタッフが休みたい時に休める環境にしたいという想いからスタートしましたが、最近では「めがねづくりの技術を身につけたい」と言って、県外から入社したスタッフもいます。
産地の未来のことを考えて、次の世代の職人を育てていきたいですね。
コミュニティが生まれ、産地として強くなる学校構想
職人を増やすために、いま津田さんが一番取り組んでみたいことは何ですか?
津田
1年くらいかけてめがねづくりの全てを学べる学校を作りたいなと思っています。
うちの会社だけでなく、鯖江のめがね会社に就職している人のなかには、めがねの全てを作れる職人になりたいという人が多いんです。でも、まだまだ分業制が多いので、入社した会社で1つの工程を中心に学ぶことになる。
津田
でも、最初にすべての技術の基礎を学べれば、「俺は設計が向いてるな」「磨きが天職だ」「雑貨を作る方がいいかも」など、自分の本当にやりたいことが見つかると思うんです。
働きながら学んで、そこで見つけたやりたいことでに向かって独立したり、ほかの会社に入ってもらってもいい。そんな選択肢を最初に与えることができる学校を作りたいですね。
学校を通して鯖江のなかでいろんなコミュニティが生まれたらいいなと思っています。
津田さんは自分の会社だけではなく、鯖江全体を見ている感じがしますね。
津田
そうですね。実はいま、鯖江にはめがね関係だけでなくデジタルやAIに関する企業からの問い合わせも多く、海外から視察に来る企業も増えています。
鯖江全体で助け合いの関係性が強くなれば、生産効率も上がって今まで以上に世界から注目される産地になるはず。
いろんな分野の人に「鯖江に行ったら何かできそう」と思ってもらえる、ワクワクする産地の未来を描いています。
2024年5月取材
取材・執筆=石原藍/vue
撮影=片岡杏子
編集=鬼頭佳代/ノオト