奈良を工芸とスモールビジネスの「まほろば」にする − 十三代 中川政七
享保元年、奈良晒(ならざらし)と呼ばれる手績(う)み手織りの麻織物の問屋から始まり、近年では工芸をベースにした生活雑貨のSPA(製造小売)事業やコンサル事業へとそのフィールドを拡大してきた中川政七商店。事業革新の中心的存在である、十三代 中川政七さんは、2018年2月に創業家以外で初となる、一社員の千石あやさんに社長の座を譲り、自身は奈良のまちづくり事業「N.PARK PROJECT(エヌパークプロジェクト)」へ着手することになりました。
後編では、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと奈良のまちづくりに参画することになった経緯や、プロジェクトの新拠点ともなる複合商業施設「鹿猿狐ビルヂング」が担う役割について。また、新しいワークプレイスとしての可能性を感じさせるコワーキング×コラーニングスペース「JIRIN(ジリン)」の思い、奈良の街と人が持つポテンシャルについて話をうかがいました。
中川政七商店だけでなく、奈良や日本の工芸を変えるポテンシャルを持つ「N.PARK PROJECT」の誕生
WORKMILL:どのような思いでまちづくりの必要性を感じ、N.PARK PROJECTをスタートさせたのでしょうか。
―中川政七(なかがわ・まさしち) 株式会社中川政七商店 代表取締役会長 十三代 中川政七
1974年生まれ。2002年に中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任。2018年より会長を務める。業界初のSPA業態を構築し、2009年より「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見焼の陶磁器メーカー、有限会社マルヒロでは新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。現在は奈良の地に数多くのスモールビジネスを生み出し、街を元気にするプロジェクト「N.PARK PROJECT」を提唱。産業観光によりビジョンの実現を目指している。
中川:まずN.PARK PROJECTに携わっている主要メンバーは僕以外に3人ほど。それぞれに得意ジャンルがあるので役割は決まっていますが、少人数なので、いろいろなことを互いに協力しながら進めています。
プロジェクトを始めるにあたって、改めて「そもそも街って何だっけ」ということをメンバーと一緒に考えました。僕らが思い描く「良い街」とは何か。考えてみると、良いお店があることだよなという結論に至ったのです。
では、良いお店が奈良にどれだけあるかといえば、実はそれほど多くないんです。
これは数字にも出ていて、海外からの観光客が消費するひとり当たりのお金の県別ランキングで、奈良県は最下位の47位。一方、海外からの訪問者数で見ると全国6位。つまり、歴史遺産があるから観光客はたくさん来る。
しかし歴史遺産を見るだけで、お金を落とす場所がないため、奈良は経済的に潤っていないのです。そして、そのデータと僕らの生活感覚はほぼ一致していると考えます。
また、奈良県の県外就職率の高さは全国2位。すなわち、みんな県外に働きに出て行ってしまう。一方でうちの社員は9割が県外出身者で構成されています。
ところがうちの社員たちも、入社して2〜3年も経つと「仕事も好きだし、会社も好きですけど、東京がいいなあ」と言って帰りたくなる人が出てくる。いくら仕事が好きでも、やっぱり街遊びの楽しさがないと、特に若い人は生活が続かないのだろうと思います。
このふたつの事象から導き出される結論として、奈良に良いお店を増やすしかないと考えたわけです。では良いお店とは何か?
例えばつい数年前、全国的に有名なカフェチェーンの、初の奈良県店舗がようやく誕生しました。ただ、本当の意味での良いお店って、やっぱり「その街にしかない良い店」だと思うんです。大阪や京都にはない、奈良でしか出会えないお店。
そういう店が増えることで、奈良の価値は上がると思います。だから、小さいけれど個性的なお店を増やすという、スモールビジネスの地道な支援を始めたんです。
その最初の事例が「菩薩咖喱(カリー)」。25歳で脱サラしてカレー屋さんを始めたいという女性の起業を支援しました。2件目は「すするか、すすらんか。」という変わった名前のラーメン屋さん。これは学生起業の事例です。
WORKMILL:奈良を盛り上げるために、規模は小さくとも個性あるお店を支援する。いわゆる中川政七商店というブランドからイメージする業態とは全く異なる活動ですよね。それこそ社員のみなさんは驚いたのでは?
中川:プロジェクトをスタートするときは、最初のビジョン策定時よりもさらに丁寧に説明しました。一見すると「中川も会長になって暇だから遊んでいるんだろう」なんて思われがちですが、そういう誤解が起きないよう気は配っています。
このプロジェクトを実行しないと「産地単位で生き残る」という目的が達成できず、工芸は衰退していくのが見えているからN.PARK PROJECTを手掛けているんです。それは社員みんな理解してくれていると思いますよ。
ビジョン策定のころと比べて、社員のリテラシーも上がっていますし、僕が意味もないことはやらないだろうという信頼もありますから。
しかも、どう考えても儲かってなさそうな事業なのに、それでも僕がやっているんだから当然ビジョンを体現するために必要なことなんだろうと。そのくらいの信頼関係は社員と築けているつもりです。それはこの数年での活動と成果、ビジョン浸透の賜物だと思っています。
魅力的な店が生まれることで人が集まり、奈良が元気になる。その結果、地域固有の工芸も生き残れる
WORKMILL:N.PARK PROJECTのゴールを教えてください。
中川:海外からの観光客が消費するひとり当たりの金額を、現状の県別47位から20位まで上げること。それを達成したら成功と捉えていいと思います。また、奈良県のGDPが3兆5000億円なので、10年で10%上げること。それも成否のひとつの目安と考えています。
僕はいつも「予算は3秒で決めよう」と言っていて、とにかく数値としての目標を掲げさえすればいいんです。だから、ひとまず3500億円のうち3割に当たる1000億円くらいは責任を持って売り上げようと決めました。
となると、1億円規模のお店を1000店舗作らなきゃいけないということですよね。確かに10年で実現となると大変ですが、「目標額が高すぎないだろうか?」「数字の根拠は?」というのは二の次でいい。仮に1000億円行かなかったとしても、実は問題ないんです。数字目標を設け、達成のための道筋を描くことが大切なんです。
スモールビジネスの畑を耕し、奈良を活性化させる
WORKMILL:N.PARK PROJECTを進めてこられて、手応えとしてはいかがでしょうか?地域のポテンシャルや課題も見えているのでしょうか。
中川:手応えはもちろん感じています。全国的な傾向だと思うんですが、地元の人が起業して、小さいけれどおしゃれなカフェを始めたという例がここ2〜3年でいくつもあるんですよね。そうした機運は奈良でも見えてきています。
また、スモールビジネスを数多く生み出すため、「SMALL BUSINESS LABO(以下、スモールビジネスラボ)」という取り組みをこの6月から始めました。具体的にはスモールビジネス事業者に向け、セミナー、ミートアップ、ビジネスピッチをひと月サイクルで実施し、その3ヶ月セットを年4回、回しています。
最初のスモールビジネスラボは2021年6月に実施しました。そのときは、2021年4月にオープンした「鹿猿狐ビルヂング」の1階に入っている、すき焼きレストラン「㐂つね(きつね)」の鳥羽周作さんに登壇してもらいました。鳥羽さんは東京の代々木上原でミシュラン一つ星レストラン「sio」も運営されている業界のトップランナーで、若くして起業したいという人たちにとって雲の上の存在です。
そういう憧れの人の話を聞くと、胸が熱くなりますよね。セミナーでは業界のトップランナーの話を聞いて、その次にミートアップでは、先ほどもお話しした菩薩咖喱の20代の女性オーナーに「起業してどうだったか?」という身近でリアリティのある話を、少人数の場でしてもらいました。
このように起業への思いが高まったところで、最後にビジネスピッチを開催します。参加者にこういうビジネスをやりたいという事業プラン持ってきてもらい、力になれそうなプランがあれば僕らが支援するという取り組みですね。
当初の目論見としては、審査員も呼んでいる手前3件は出てほしいなと話していました。しかし、蓋を開けてみたら12件もの応募がありました。奈良で、しかもこの時期に12件は、驚くべき数字でした。
WORKMILL:選考やフィードバック、その後の支援などはどのように進めたのですか?
中川:1件1件に丁寧にフィードバックしたいと考えていましたので、書類選考で5件に絞らせてもらいました。同時に今回落選した人たちには「3ヶ月後にまたあるから、今回落ちてもまた出てください」という話もしています。
単発のビジネスコンテストをやって「良いプランだから100万円支援します」みたいな取り組みには興味がなくて、僕は彼らの志をきちんとビジネスとして育てるお手伝いをしたいんです。だから3ヶ月後にまた挑戦して、3回4回と打ち砕かれても5回目でパスすればいいし、たとえ支援対象に選ばれなかったとしても、僕らの力を借りず自分たちで実践してもいいわけですから。
県外就職率2位の奈良で起業するのは、今までの常識だと考えられない。でも、ここでならできるかもしれない。そういう希望を持てる場になればいいなと思ってやっています。なんの後ろ盾もなかった菩薩咖喱の若いオーナーさんが開業1年目で、コロナ禍という逆風の中、ちゃんと黒字を出していますからね。
なぜそんなことが可能なのかといえば、ものづくりに対する愛情を持ち、真摯に経営しているから。この「真摯に経営する」をわかっていない人が多い。だから失敗するんです。
では、経営で大事なのは何かというと、ビジョンを策定して事業に落とし込むことです。それができれば経営はよくなるはず。だからラーメン屋(すするか、すすらんか。)の事例でも、僕らはラーメンの味には一切口出ししていません。ビジョンの言語化から始まる一連の話をしただけのことなんです。
経営者が経営という仕事をするのは当たり前。それは職人がものをつくるのと同じことです。しかし、経営がうまくいかないのでなく、そもそも経営自体がない企業が多い。
だから、何かを変えるのではなく、ただ経営を持ち込むだけで良くなっている事例があります。こうした背景を踏まえ、僕はよく「日本に社長はたくさんいるが経営者はほとんどいない」と話しています。
N.PARK PROJECTを体現する新拠点「鹿猿狐ビルヂング」の役割
WORKMILL:2021年4月14日に、奈良・元林院町にオープンした複合商業施設「鹿猿狐ビルヂング」。どのような思いが込められているのでしょうか。
中川:ビルの設計は日本を代表する建築家である内藤廣さんにお願いしました。ならまちの風景に溶け込み、中川政七商店にふさわしい建物となるよう、瓦屋根や木造家屋の雰囲気を残した外観・内装を意識しています。
1階には中川政七商店の旗艦店となる「奈良本店」、東京・恵比寿のスペシャルティコーヒーのお店で奈良県初出店となる「猿田彦珈琲」、そして先ほどもお話しした東京・代々木上原のミシュラン一つ星レストランsioのオーナシェフ・鳥羽周作さんが手掛けるすき焼きレストラン「㐂つね」が入っています。
2階にも中川政七商店 奈良本店があり、1階とあわせて全国の作り手と共同したおよそ3000点ものオリジナル商品が並んでいるんです。そして、3階には僕らが手掛けた初のコワーキングスペース「JIRIN」が居を構えています。
「スモールビジネスラボ」もJIRINで行われていますし、コワーキングスペースでありながら、まちづくりを行うN.PARK PROJECTの拠点という位置付けにもなっています。
なぜこの場所を選んだのかというと、ここが300年の歴史を持つ中川政七商店創業の地であり、僕らの志の原点だから。
また、ここはもともと中川家の住まいだった築130年ほどの建物と隣接した場所に建てられたものであり、なおかつ、そこは35年ほど前に中川政七商店が最初の直営店「遊 中川」をオープンさせた場所でもありました。奈良に回帰し、まちづくりをする。その拠点として、これ以上ふさわしい場所は他にない。そう考えました。
美しい風景と刺激的な人に出会える、「JIRIN」が提示する新たなワークプレイスの可能性
WORKMILL:「JIRIN」はN.PARK PROJECTの拠点でもあり、ミートアップのイベントや経営講座などもここで行われるとのことでした。一方で、普段のワークスペースとしてはどのような人が利用されているのですか?
中川:現時点で、奈良にコワーキングの需要がそれほど多くあるとは思っていません。でもこれから新しく起業しようとしている人やフリーランスで働いている人たちが噂を聞きつけて、JIRINに集まってくれたら、そこから何かが生まれるんじゃないかと。インキュベーション的役割を担ってくれればという期待は持っています。
JIRINという名前の由来についてですが、石灯篭を支える一番下の層のことを「地輪」と呼び、いわば礎のような意味があります。また辞書を指す「辞林」は多くの言葉を集めた書物のことで、知の集積という意味もある。僕たちは「学びの集積を通じてまちづくりの礎となり、奈良に新しい時代の灯火を掲げたい」という思いを込めて「JIRIN」という命名をしました。
コワーキングの契約者が参加できる学びのイベントもやっていますし、学びと仕事を直結できる場所として活用してもらえていると思います。また、意外とドロップインで使ってくれる人も多く、先日は世界的なIT企業の社員や大手広告代理店の社員も利用されていました。
今後は、来てくれた人に5分〜10分雑談しながら経営よろず相談みたいなことも、できればいいなと思っています。
WORKMILL:五重塔や瓦屋根が見える窓側の席で仕事すると能率もアップしそうですし、違う場所で働く新鮮さや、素敵な本に囲まれた空間に、脳が活性化してクリエイティビティが発揮されそうですよね。
中川:ライブラリの選書は「BACH」の幅允孝さんにやってもらっています。かつて、会社の作業環境があまり良くない時期があり、中期経営計画を作るときなどは事務所に行かず、カフェで作業したりしていました。
会社の外で作業し続けるのもよくないなと思い、2010年に本社社屋を建てたときに「食堂」と呼ばれるフリースペースを設けました。打ち合わせやイベントをしたり、自席から離れて集中したりできるような場所にしたんです。
執務スペースも確保できたし、自分専用のデスクもある。社員にも質の良い椅子を提供し、作業環境も良くなった。でもさらに、もっとリラックスして考えられる別の場所が欲しくなったんです。それが、JIRIN開設の一つのきっかけにもなっていると思います。
だからこそ、JIRINは社内だけでなく外部の人にとっても、「いつもと違う環境で、ゆったり考える場所」になってくれたらいいなあと思っています。瓦屋根や五重塔が見えて12時と18時にはお寺の鐘の音が聞こえて来る。きっと何かいいアイデアが生まれてくる、その可能性を上げてくれるんじゃないかと思いますね。
WORKMILL:ワーケーションに近いというか、気分を変えて働く意味では非常に良い環境だなと感じました。
中川:山口周さんも「移動距離とクリエイティビティは正比例する」とおっしゃっていましたけど、普段と違う場所に移動すると思考パターンが変わることはあると思うんです。
だから、新しいアイデアを考えるときには、環境を強制的に変えてしまうことで、発想が変わったり思考パターンが変わったりする。働く環境を変えることで、今まで思いつかなかったアイデアが生まれそうですよね。
今後は大阪や京都はもちろん東京など離れた場所の人にも奈良を訪れたときにはJIRINを積極的に利用してもらって、そこで志を持った奈良の若者と出会って、普段と異なる思考と活性化したクリエイティビティが化学反応を起こし、その集積がN.PARK PROJECTを加速させてくれる……。「鹿猿狐ビルヂング」が、そういう場所になっていけばいいなと考えています。
更新日:2021年8月24日
取材月:2021年7月
テキスト:松島直哉
写真:深村英司(人物、中川政七商店 奈良本店)、淺川 敏(JIRIN、中川政七商店 奈良本店)