もっと、ぜんぶで、生きていこう。

WORK MILL

EN JP

言葉が変わると組織が変わる。他者とつながるための言葉との向き合い方 (言語学者・中村桃子さん)

リモートワーク、静かな退職――いずれも働き方に関する新しい言葉ですが、これらの言葉がなかったとき、私たちはその事象をどうとらえていたのでしょうか。

「新しい言葉は、新しい考え方を提案することで、間接的に社会を変えていく」。言語学者の中村桃子さんは、著書『ことばが変われば社会が変わる』(ちくまプリマー新書)のなかでそう述べています。

職場環境や人間関係が時代とともに変化するなか、私たちは言葉とどう向き合っていけばよいのでしょうか。中村さんに言語学者の視点から、そのヒントを伺いました。

中村桃子(なかむら・ももこ)
関東学院大学名誉教授。専攻は言語学。上智大学大学院修了。博士。これまでの著書に『ことばが変われば社会が変わる』(ちくまプリマ―新書)、『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマ―新書)、『新敬語「マジヤバイっす」——社会言語学の視点から』(白澤社)、『女ことばと日本語』(岩波新書)などがある。

新しい言葉ができることで、見え方が変わる

中村さんはご著書で、「言葉と社会の相互関係」について深く掘り下げておられます。

改めて、「新しい言葉が生まれることで社会が変わる」とは、どういうことなのでしょうか。

Evoto

中村

わかりやすい例が「セクハラ」です。

かつての職場は、部下が上司の指示に従うことで回っていたケースが大半でした。そこには、性的な嫌がらせである「セクハラ」が伴うこともあった。

しかし、「セクシュアルハラスメント」という新しい言葉が普及したことで、そもそもセクハラで嫌な思いをする人が明示された。そして、たとえ上司でも、部下の人権を侵害する行為は許されないことが明確になりました。

セクハラという言葉がなかったときは、そうした行為が問題であるという認識が職場になかったということですよね……。

中村

以前はセクハラに遭っていても、自分の身に何が起こっているのかがわかりませんでした。

「なぜ、あの上司は私をしつこく食事に誘うのだろう」と悩みながらも、上司にやめてほしいとはなかなか言えない。

周囲に相談しても、「あなたに隙があったのではないか」などと言われてしまい、被害者であるにもかかわらず、解決できないことで自尊心を失ってしまう状況にありました。

今では「セクハラは犯罪である」という意識が共有されているので、大きな変化です。

最近では、「パワハラ(パワーハラスメント)」という言葉ができたことで、私自身、後輩とのコミュニケーションに気をつけるようになりました。

中村

セクハラという視点ができたことで、性的な嫌がらせに限らない、さまざまな嫌がらせが見えるようになりました。

とくにパワハラは、「誰もがハラスメントをする可能性がある」という意識の変革をもたらしましたよね。

セクハラやパワハラという言葉が広まったことで、職場でのコミュニケーションは大きく変わったと実感します。

改めて、中村さんが専門にされている言語学について教えていただけますか。

中村

そもそも言語学では大きく分けて3つ、言葉の「音」、「文法」、「意味」について調べます。

その研究で明らかになった知識を使って、もう少し大きな、社会と言葉の関係を調べるのが、私が専門としている社会言語学です。

私たちが使っている「言葉」と、生きている「社会」の関係を紐解く……。面白そうな分野です。

中村

研究をしていると、言葉というのは社会のイデオロギー、つまり常識やそのときに支配的な考え方に大きな影響を受けていることがわかります。

それでも私たちは、「自分」を表現しようとしてしっくりくる言葉を探したり、工夫したりし続けている。そうやって世の中に新しい言葉が生まれ、さまざまな抵抗にあいながらも、社会が変化していく。すごく面白い分野です。

社訓、社是からビジョン、ミッションへ

新しい言葉が生まれ、社会が変わる」の社会を「組織」や「チーム」といった単位に置き換えても、同様のことが言えるのでしょうか。

中村

結論から言えば、同様の相互関係があると言えます。

社会言語学では、ミクロ、メソ、マクロという概念を用いて、それぞれが別々ではなく、すべてが関係していると考えます。

ミクロは「最小」、メソは「中間」、マクロは「最大」を意味しますよね。お互いに影響を受けているということでしょうか。

中村

はい、そうです。会社を舞台に考えてみましょう。この場合、ミクロが従業員、メソがチーム、マクロが会社になり、それぞれに相互関係があります。

従業員は所属する会社やチームの価値観の影響を受け、また従業員個々にも価値観があり、それぞれが影響し合っているんです。

ということは、社内で使う言葉によって、会社やチームが変わることもありますか。

中村

そうですね。たとえば、以前は社訓や社是を額に入れて皆で唱和する会社が一定数ありましたよね。今だと、ビジョンやミッションとして言葉にしてWebサイトなどに掲げています。

その輪にいる人々同士のメンバーシップを築き、組織の一体感を醸成するために、共通の言葉をつくるということは古くから行われています。業界用語も、その一つと言えます。

ビジョンやミッションなどの言葉に変わっていますが、根っこは同じなのですね。

中村

古くからある念仏や、スポーツチームの応援歌なども同じですよね。言葉を共有することで、一体感を生み出したり、士気を高めたりする。

それも声と文字の両方を使うというのが、実は言語の根源的な働きなのではないかと思います。

言葉が変われば、人間関係も変わる

言葉づかいや言葉選びが会社やチームに与える影響についてはいかがでしょうか。

中村

言葉というのは、自分を表現するだけでなく、相手との関係を調整する際にも重要です。

その際にとくに関係するのが人や物事を指すための言葉である「人称詞」や、「〜でしょ」「〜ね」といった文の最後につけられる「文末詞」です。

人称詞のなかでも面白いのが、呼び方です。

相手を呼ぶときの呼び方ですか。

中村

はい。日本では、目上の人を名前で呼ぶのは失礼にあたり、避ける文化がありますよね。ですから会社では、部下は上司を「社長」や「部長」と職名で呼ぶ。

でも、上司側は部下を「社員」などと肩書きや職名で呼ぶことはなく、「〇〇さん」と名前で呼びますよね。

学校でも、生徒は先生を「先生」と呼びますが、先生は子ども達を「生徒」と呼ぶことはなく、「〇〇さん」と名前で呼びます。このように、言葉は関係性を定義する役割も担っています。

言われてみれば、確かにそうですね。

中村

ただ、最近では、上司を「〇〇さん」と呼ぶ企業も増えています。2000年頃から、「さん付け運動」が一部の企業で始まり、徐々に広まっていきました。

企業が主導して呼び方を変えたのですね。

中村

その背景にはグローバル化の流れがあります。変化の激しい時代になり、厳しい競争で勝ち抜くためには、若い人の意見を取り入れて、会社が変わっていく必要があるという認識が高まりました。

そこで、会議などの場でも若い人が臆することなく意見を発言できるよう、フラットな人間関係を築くことが目指される。

社内の人間関係を変えるために、まず注目されたのが呼び名だったわけです。

職場で使われる言葉にモヤモヤしたときは

職場で使われる言葉によって、働きやすい職場にも、働きにくい職場にもなると思います。

中村

確かに職場のような権力関係がある環境では、上の人は使う言葉を変えられるけれど、下の人は変えられないというのが一般的です。

先ほど、相手との関係を調整する際に関係する言葉としてあげた「文末詞」が、それにあたります。

たとえば、大学の教授と学生の会話で、教授は「~だ」という語尾を使い、学生は「~です・ます」という語尾を使う場合。教授は「~です・ます」を使うこともできますが、学生は「~だ」は使えません。

上司に問題意識がなければ変えられないんですね……。

中村

かつては細かく指導せず、見て覚えろという文化がありましたよね。

世代によってはその影響や指導方法を受け継いでいる人も多く、よって部下への指導方法についても体系的な教育を受けていないこともあるのではないかと思います。

1955年生まれの私自身、それではいけないと思って、教えている大学で学生に課題を出すときに気をつけています。

そうなんですね!

中村

今は、手順をできるだけ詳しく説明し、この課題に取り組むことでどのような学びが得られ、どのような意味があり、何の得になるのかを丁寧に伝えるようになりました。

なるほど、上に立つ人自身が自分で学んでいく姿勢が大切ですね。

中村

そうですね。会社の中で無理に声をあげるのが難しかったり、モヤモヤしたりしたときには、ぜひ新しい言葉を考えてみて、周囲に提案してみたり、シェアしたりしてほしいと思います。

セクハラという言葉が多くの人を救ったように、あなたが提案した言葉が次の世代を救うかもしれない。言葉の提案は誰でもできますから、ぜひ、日常のモヤモヤや違和感を言葉にしてみてください。

言葉を発信するツールはたくさんありますから、私も無理せず、社会を変える一助になれればいいなと思います。ありがとうございました。

2025年4月取材

取材・執筆=前田みやこ
アイキャッチ制作=サンノ
編集=桒田萌/ノオト