働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

オンライン学習は令和の寺子屋? 学びのアップデートがイノベーションの鍵 ― Schoo・森健志郎、歴史エッセイスト・堀江宏樹

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。

江戸時代に普及した寺子屋は、生まれ持った身分を問わず教育を受けられる場であった。現代、急速に普及しているのがオンライン学習だ。江戸と令和、それぞれの時代における新たな学びの場である両者の共通点とイノベーションとの関係に迫る。

撮影:矢島泰輔

ー堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会会員。2006年、『後宮の世界』(竹書房)で歴史エッセイストとしてデビュー。近著に『偉人の年収』(イースト新書Q)など。

ー森健志郎(もり・けんしろう)
Schoo 代表取締役社長。リクルート、リクルートメディアコミュニケーションズを経て、2011年にSchooを設立。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。

オンライン学習は、新たな学習スタイルとして地位を確立しつつある。動画を視聴するeラーニングのみならず、オンライン上で意見交換をしたり課題を提出したりもでき、機能面でも進化し続けている。 

歴史上、新たな学習スタイルの登場として想起されるのは、江戸時代の寺子屋だ。歴史エッセイストの堀江宏樹は、寺子屋を「生まれ持った身分というガラスの天井を破るツールとして、学問を最初に得る場だった」と捉える。

いつの時代も存在する教育格差

江戸時代以前の日本の教育水準は身分に比例し、公家や武家に生まれなければ高い教育を受ける機会には恵まれなかった。学問や芸術は「貴族の趣味」という位置づけだったのだ。江戸時代に入ってもその傾向は残ったが、寺子屋によって庶民の子どもでも読み書きそろばんを学べるようになった。この「教育格差」は、現代にも厳然と存在する。

江戸では男女共に8~9割の子どもが寺子屋に通い、師匠は読み書きそろばんに加え、行儀作法などしつけの部分も重んじていたと言われる。通常男女共学であったが、女性師匠による女子のみの寺子屋も存在し、それぞれの師匠の得意分野である踊りなどの芸事や裁縫を学ぶこともあった。一寸子花里画『文学万代の宝 末の巻』(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵)

「学校とは、皆が等しく学べて自分らしい人生を手に入れるための機会均等な場であるはず。ところが、家庭環境や地域による格差が大きいのが実情です」と課題意識を持つのは、社会人向けオンライン教育サービスを手がけるSchoo(スク―)代表取締役社長CEOの森健志郎だ。子どもも大人も、何かを学ぼうとすると教室へ行く必要が生じ、金銭的にも余裕がある都市部の人たちだけがアクセスしやすい環境にあるという。

「学ぶことで自分の人生が開けた成功体験を持つ人は少ない。コロナ禍でオンライン学習は普及しましたが、学ぶこと自体に前向きな人が増えたわけではない」(森)

格差を埋める教育の場

江戸から令和に至るまで、長い歳月も経てもなお、教育格差は社会課題として根深く残り続けている。

江戸時代には身分格差があり、現代では家庭環境や地域の格差が存在する。それぞれの時代における格差を埋めるのが、寺子屋でありオンライン学習だ。寺子屋は日本各地に普及し、その数は4万とも8万ともいわれている。庶民の子どもも読み書きそろばんを学んだ。 

一方オンライン学習は、インターネット環境さえあれば時間や場所にとらわれず学ぶことができる。無料や低価格帯サービスも多く、経済力や地域の格差を埋める一助となっている。Schooでは、先に触れた森の課題意識から地方創生に力を入れており、2021年には奄美大島にある5市町村と包括的パートナーシップ協定を結び、島内に住む約6万の人々がSchooの学習を受けられるようになった。 

「Schoo」と鹿児島県奄美大島内の5市町村が包括的パートナーシップ協定を締結し、「学習・教育機会の格差」に対して、住民と出身者を対象とした遠隔教育システムを活用し、地域課題への取り組みと地方創生を推進。また、奄美市が運営するコワーキングスペース「WorkStyleLab Inno」には、住民が常時オンライン学習を無料体験できる場所を設置している。

Schooが目指す地方創生は、その地域の人々が学びやすい環境づくりだ。自治体とパートナーシップ協定を組み、まず自治体の職員にSchooで学んでもらう。地域の人にSchooを周知する際は、その地域に最も根づいている方法を選ぶ。奄美大島であれば島内放送や地元テレビ、ラジオだ。必ずしもネット広告やSNSではない。

「情報を届けるべき人に届けるには、届け方も重要です。住民が毎日の情報源に使っている島内放送への信頼感は格段に高い。そして、受講希望者にはオンライン学習でありながら最初は集合してもらい、先に学んだ自治体の職員さんにサポートしてもらいながら学習し、その後は各自オンライン上で学んでもらいます。奄美大島の官民合同の研修ではオンライン学習を初めて体験する人が多かったのですが、このプロセスによってオンラインでも抵抗感なく学んでいただけました」(森) 

Schooは自らを「生放送コミュニティ」と称する。オンラインでありながら、孤独感がないのが特徴だ。先生へチャットで質問できる機能があり、対話をしながら学べる。仲間がお互いのチャット投稿から刺激を受け、つながりも深まるのだ。奄美大島では、島の「同期」の絆ができた。 

Schooが奄美市で行った、若手向け集合研修の様子。

先生や仲間、サポーターが重要な役割を果たしていたのは寺子屋も同様だ。さまざまな年齢の子どもが同じ場で学び、学ぶ内容は一人ひとり異なる、いわゆる個別教育であった。

「規模の大きな寺子屋では一人の師匠が全員の勉強を見ることは難しく、年長者が幼い子どもの学習サポーターになっていたと推測されます。子どもが近所のお兄さんやお姉さんに助けられ、成長することもあったでしょう。年齢で区切らない良さが寺子屋にはあったのでは」(堀江) 

これまで学ぶ機会に恵まれなかった人でも、自分に適した内容を先生や仲間に助けられながら共に学ぶことで、より良く生きるためのリテラシーを上げられるのだ。令和のオンライン学習は、源流をたどると寺子屋との共通点が浮かび上がる。

イノベーションにはリテラシーの底上げが不可欠

明治以降の日本では集合教育が根づき、同年齢の子どもが同じ教育を受けるようになった。一斉授業には多くの人が学べる利点があるものの、突出した才能を見過ごすリスクもある。「音楽や数学など、若くして才能が発現するジャンルはある。年齢に縛られず学ぶ機会は必要」と堀江は歴史上の偉人を思い浮かべながら語る。

「イノベーションを起こす人材は、個別教育から生まれるのかもしれない。しかしながら、イノベーターだけがいればイノベーションが成立するわけではありません」(堀江) 

ここで江戸時代のイノベーションをひもといてみたい。日本で初めての職業作家は、江戸時代に活躍した曲亭馬琴(滝沢馬琴)だといわれる。代表作『南総里見八犬伝』はベストセラーとなったが、発行部数はたったの500部だったとされる。書籍の価格がまだ高く、貸本を中心に読まれたことに加え、「著作権がない時代。筆写もされていたのでは」と堀江は推察する。文学を読んだり筆写するだけのリテラシーをもつ人々がいなければこのベストセラーは誕生せず、文学のイノベーションも起きなかっただろう。文学に触れ、自分を高める楽しさが庶民に広まった江戸時代は、エンターテインメントがカルチャーとして身近になった。 

森も「イノベーションは、イノベーターがつくったものを抵抗感なく自分の生活に取り込んでいく人々がいなければ、形として残らない。人々に理解されず消えることも多い」と語る。取り入れる側のリテラシーがあってこそ、イノベーションは存在できる。 

デジタル前提時代を生きる私たちは、学びについてもアップデートし続けなければならない。次々に出てくるイノベーションを正しく理解し、自分の生活に取り込むためには、社会の変化に合わせて学び続けるべきなのだ。幸いなことに技術の進歩で、学びたい時に学べる環境がある。あとは、最初の一歩を踏み出すだけだ。

2022年5月取材

テキスト:御代貴子
写真:尾藤能暢
編集:本間香奈