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企業に異質な存在を混ぜ込む。稀人ハンターの川内イオさんが仕掛ける「企業×稀人」コラボ

大手企業の朝のオフィスに、プロスポーツトレーナーやスウェーデン人の日本茶インストラクターが訪れ、社員と朝活をする。まだあまり知られていないけれどイチオシなものを集め、大手百貨店とコラボしてマルシェを開く。

そんな企画を仕掛けているのが、「稀人ハンター」の肩書きを名乗る川内イオさんです。「常識にとらわれない発想と行動力を持つ“稀人(まれびと)”を発掘し、世の中に紹介する」という活動をしています。

なぜ、川内さんは企業と稀人をつなげているのか? 企業が稀人と組むことで得られるメリット、そして難しさとは? そして、「稀人×企業」のコラボレーションのこれからについて、川内イオさんに伺いました。

川内イオ(かわうち・いお)
1979年千葉県生まれ。新卒で就職した広告代理店を9カ月で退職し、2003年からフリーライターに。2006〜2010年までスペイン・バルセロナに住み、サッカーを中心に取材を行う。2013年から「稀人ハンター」の肩書きを名乗り、取材・執筆・編集・企画・イベントコーディネートなど幅広く活動。著書に『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』(freee出版、2021年)などがある。

稀人とのコラボで社員のエンゲージメントを高める

いきなりですが、稀人ハンターとは何ですか?

川内

ハタから見ると謎だと思うので、ちゃんと説明しないと……。日本全国、世界各地で「社会を明るく照らす稀な人」を発掘して取材をしたり、イベントを企画するのが生業です。

活動のベースはフリーライターで、2003年からアスリートやクリエイター、ビジネスパーソンなどジャンルを問わず取材をして記事や本を書いてきました。

川内さんのインタビューは、印象的な記事が本当にたくさんあります。

川内

ありがとうございます。

たとえば、著書の『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』(freee出版)では、動物専用の義肢装具をゼロから作り、年間3000件の注文を受けるようになった島田旭緒さん、1台350万円のかき氷マシンを作る上田勝さんなど、すごく二ッチなモノづくりをしている稀人10人が登場します。

稀人たちのインタビューをして記事を書く仕事以外にも、企業とコラボしてイベントを開催するなど、稀人と企業をつなぐ活動もしています。

企業とのコラボでは、具体的にはどんな取り組みをされているんでしょうか?

川内

最近だと、大手建設コンサル企業の株式会社エイト日本技術開発(EJEC)さんと組んで、「稀な朝活」と題する社内イベントを実施しました。

「社員の健康やウェルビーイングに寄与しつつ、会社へのエンゲージメントを高めたい」というご相談を受けて、始業前の朝活を企画したんです。

「稀な朝活」を実施した時の写真(提供写真)

川内

初回は、スウェーデン人の日本茶インストラクター、ブレケル・オスカルさんをゲストとしてお招きしました。

「朝の時間を豊かに過ごす日本茶の魅力~シングルオリジンの多彩な味を体験~」というテーマで、社員さんの対面参加14名、オンライン参加8名で朝活をしました。

楽しそうですね。

川内

オスカルさんがプロデュースしているお茶は、僕たちが普段飲んでいるものとは全く違う味がするんです。

参加者からも「これまで体験したことのない味で衝撃でした」「今まで飲んでいたのはお茶じゃなかったのかなって思えるぐらいおいしかった」などの反響がありました。

朝活のあとには、みなさんがお茶を購入されていました。

「稀な朝活」で鍼灸師の若林理砂さんを招いた回。株式会社エイト日本技術開発(EJEC)の社長も楽しんで参加をしてくれたそう(提供写真)。

企業に稀人が関わることでどんな変化が生まれるんですか?

川内

企業にとって、いくつかのメリットがあると思います。たとえば、ユニークな取り組みをしている企業として注目されること。朝活の様子は業界紙2紙に掲載されて、先方の担当者も喜んでいました。

また、その道の専門家から近い距離感で直接教わる体験型のイベントが参加者から非常に好評で、「社員のエンゲージメントを高める」というリクエストにも貢献できたと思います。

いわゆる著名人を招く講演とは、一味違いますね。

川内

僕は朝活のほかに稀人と組んで一般向けのマルシェや書店イベントも企画していますが、稀人のファンが現地まで足を運んでくれることで、企業にとっては普段接点のない層にもアプローチできます。

ちなみに、稀人の皆さんにとってはどうですか?

川内

稀人たちにとっても、自分の思いや活動を広げるきっかけになりますよね。僕自身も、稀人たちの存在が広く知られれば知られるほど、世の中がもっと面白くなると思っているので、それはすごく嬉しいことです。

僕が企業とコラボする際に意識しているのは、企業も嬉しい、登壇者の稀人も嬉しい、参加者も嬉しい、そして僕も嬉しい、という「四方よし」です。

メッシよりも“いぶし銀”の選手の人生を

川内さんご自身もまた、「稀」な活動をしている方ですよね。川内さんはどんなキャリアを歩んできたのですか?

川内

2002年に新卒で広告代理店に入りました。入ってみると毎日終電で帰るほど忙しく、サッカーのワールドカップ日韓大会すら全然観られなくて。

僕は学生時代にひとりで海外にサッカー観戦に行くぐらいサッカー好きだったので、「ワールドカップを観られない仕事は辞めよう」と若気の至りで……。

川内

「ワールドカップが観られる仕事ってなんだろう」と考えたときに、ライターになろうと思いました。どこかに勤めたりするとまたワールドカップが観られなくなるから、「もうフリーランスしかない」と。

最初は、雑誌のラーメン特集があれば、地域のラーメン店のリサーチを引き受けて、1日5店、3日連続で食べて巡ったりしていましたね。

地道な仕事を。

川内

そうして仕事を広げていましたが、もとは「ワールドカップが観られる仕事をしよう」と思って始めたこと。

それで、ドイツワールドカップが開催された2006年、「世界を巡って日本代表の勝利のヒントを探る」という企画を立てて売り込んだところ、ある雑誌で採用されて。旅費は自腹でしたが、世界一周しながら連載することができました。

世界一周中に取材をした選手たち。クロアチア代表のルカ・モドリッチ(左写真)、日本代表入りの噂もあった日系人選手ホドリゴ・タバタ(右写真・右側)提供写真)

世界一周中にリオデジャネイロにいた際は、帰省中のジーコ監督に取材をするため実際に会いに行った(提供写真)

川内

その雑誌の仕事で、ワールドカップ本番も現地で取材できたんです。

その時、スペインのバルセロナに住んでいたライターの小宮良之さんと出会ったのがきっかけでバルセロナに移住し、2010年まで住んでいました。

そのさらに4年後、2010年に開催された南アフリカでのワールドカップ本番も現地で取材をした

「稀人」に興味を持ったきっかけは何でしたか?

川内

僕は後先考えずにスペインに移住してしまったので、お金が全然なくて。とにかく仕事をしなければいけない。稼ぐためになるべく長い原稿を書きたいから、インタビューをしたい。

でも、スター選手のアポがいつ取れるかわからない。そこで、“いぶし銀”と言われるような渋くて良い選手たちのインタビューを雑誌に提案したんです。

いぶし銀?

川内

たとえば、2009年に中村俊輔選手がエスパニョールに移籍してきた際、チームメイトだったイバン・デ・ラ・ペーニャ選手。日本のサッカーファンに、名前は知られているけれども、そんなに詳しい情報がない、ニッチな選手です。

ほかにも、元スペイン代表のフェルナンド・モリエンテス、元メキシコ代表のカルロス・ベラ、元アルゼンチン代表ゴールキーパーのロベルト・アボンダンシェリなどのインタビューをしました。

この企画で、彼らがどうやって現在地にたどり着いたかを知るために、子どもの頃から人生を聞いたんです。それが、めちゃくちゃおもしろくて。

川内

あと、サッカー以外の仕事でも似たことを感じていて。パリを拠点に活動する日本人の若手クリエイターやアーティストのインタビュー連載で、毎月1回パリに1週間ぐらい行って、取材をしていました。

日本では無名なのですが、フランスの社会に飛び込んですごく活躍していた方々です。これがまた、人生を深掘りしていくと、やっぱりすごくおもしろくて。

稀人だ……!

川内

結局、4年間で50人のクリエイター・アーティストにインタビューしました。

サッカー選手とパリの日本人の取材を通して、有名ではない人たちがおもしろいことに、自分の中でめちゃくちゃ手応えを感じていました。

企業が稀人とコラボすることの価値

ビジネスとはどのように関わってきましたか?

川内

スペインにいる時、選手のインタビューのほかにクラブがどうやって稼いでいるかなどの記事を書いていて。ビジネス・経営にも興味がありました。

帰国後、あるビジネス専門誌の立ち上げ時に編集・ライターとして関わりました。当時の編集長がサッカー好きで、面接でサッカーの話しかしないまま採用されたんですが……(笑)。

その雑誌は、ベンチャーから大企業までさまざまな規模の企業の斬新なアイデアや新規事業を取り上げていました。いろんな人に会って、ビジネスの世界っておもしろいな、と。

稀人とビジネスの両方に興味があったんですね。

企業とのコラボは、どのようにして始まったのでしょうか?

川内

2013年に「稀人ハンター」を名乗りはじめました。その後すぐ、2014年にスポーツウェアブランドのデサントが立ち上げた書店兼ショップ「DESCENTE SHOP TOKYO」のイベントに関わることになって。

これが「稀人×企業」の始まりです。内沼晋太郎さんから声をかけてもらい、「旅とスポーツと健康」をテーマにした書籍の著者イベントの企画・運営を担当することになりました。

月2回程度、トークイベントを開いて、角幡唯介さんや高野秀行さんといった自分が好きな作家さんなど、いろんな方を招いていました。

2014年に、「DESCENTE SHOP TOKYO」のイベントに登壇してくれた高野秀行さん(写真左)

豪華なゲスト……!

川内

たとえば、写真家のヨシダナギさんをお呼びした時は、出したばかりの写真集がイベントでたくさん売れました。トークも盛り上がって、ナギさん、デサントさん、お客さん、僕、関わる人みんなが喜んだイベントになったと思います。

原宿駅前の再開発の関係で「DESCENTE SHOP TOKYO」は3年でクローズしたのですが、「企業さんにもこういうニーズあるんだな」と知りましたね。

なるほど。

川内

この仕事がきっかけで、ニッチな活動をしている稀人のみなさんと企業のコラボで、「四方よし」を目指すようになりました。

信頼関係で企業と稀人をつなげる

それから「稀な朝活」や「稀人マルシェ」など、さまざまなコラボを実現してこられたんですね。

川内

そうですね。「稀人マルシェ」はもとは自主企画として、2019年から年1回、親族が運営する恵比寿のギャラリーを借りて開催してきました。

僕が書いた「おいしいものづくり」をしている稀人の記事を読んで、「食べてみたい」と言われることが多かったんです。それなら取材した稀人たちの絶品食品を集めて売ってみようと思い立ち、「稀人マルシェ」を始めました。

6回目となる2024年に阪急百貨店さんにお声掛けをいただいて、阪急メンズ東京で1週間、開催しました。

普段はメンズファッションを専門とする場所に現れたマルシェ。1週間で計669点を販売した(提供写真)

「稀人×企業」のコラボを行うときのポイントはありますか?

川内

まず大切にしているのは、稀人たちとの信頼関係です。僕はスペインの時と同様、取材相手の人生を深掘りして、幼少期から聞いていきます。

すると、その方の人生について、本人とご家族の次に詳しいのが僕……という状態になったりします。その人の人生を「預かる」という気持ちで丁寧に原稿を書くと、ありがたいことに、「自分の自己紹介のときには、この記事送っています」と言ってくれる方もいます。

深い関係をつくっているんですね。

川内

それで相手が信頼してくれて、「川内ならコラボをしても変なことにはならないだろう」と思ってもらえている気がします。

僕はその気持ちを裏切らないように、企業と稀人たちをうまくつなげたい。どんな企画でも「四方よし」になるのか常に意識しています。

初開催となる稀人マルシェには、稀人たちも駆けつけてくれたそう(提供写真)

コラボをする企業側が気を付けたほうがいいことはありますか?

川内

基本的に、稀人たちは自分の仕事に没頭しているし、「ぜひイベントに出たい」といった欲がない方も多い。だから、いろんな制約や条件があると「じゃあ、いいや」となってしまいます。

企業内のルールなどもあるとは思いますが、ある程度自由度を持たせて、懐深くコラボしてもらえるとやりやすいと思います。

お話を伺っていて、さまざまな人との弱いつながりがあるからこそ、キャリアが展開し、「稀人×企業」のコラボも成功されているんだな、と感じました。

川内

ありがとうございます。でも、本当に僕は運と勢いだけで生きていて、あんまり何も考えていないタイプで(笑)。正直、戦略もないんです。

ただ、僕が紹介する稀人たちはみなさん、本当にめっちゃいい人なので。安心してもらえたらと思います。

最後にこれからやりたい「稀人×企業」のコラボのイメージがあれば、教えてください。

川内

今は、稀人を企業やイベントの場に呼ぶスタイルのコラボが多いですが、今後は、社員さんたちを稀人たちの現場に連れていくのもいいなと思っています。

工房でニッチなものづくりをしている人、牧場がある人、素敵な場所にオフィスがある人……。基本的に、僕は取材では現場に行くようにしていて、場所の状況も把握しているので、そういうコラボもできます。

面白そうです!

川内

イベント会場と比べて、現場では参加者が感じ取るものが圧倒的に増えると確信しています。

記事を書いてインターネットで不特定多数の方に広げていくことと、リアルで会ってつなげていくこと。これからも両方をやっていきたいですね。

2025年3月取材

取材・執筆=遠藤光太
撮影=栃久保誠
編集=鬼頭佳代/ノオト