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トヨタを経て、息子と描く「分断なき世界」。元商品企画と生活の気づきがインクルーシブなものづくりに(Halu・松本友理さん)

トヨタ自動車で10年間、世界中で愛されるカローラなどの商品企画を担当した松本友理さん。各国のユーザーの暮らしを深く理解し、そのニーズに応えるものづくりに情熱を注いできました。

大きな転機が訪れたのは、長男の誕生でした。息子の障害をきっかけに、それまで「遠い世界のこと」だと思っていた社会の分断を、自ら「当事者」として痛感することに。

この個人的な気づきは、いつしか「ものづくりを通して社会をよくしたい」という、トヨタ自動車時代からの信念と交差しました。そして障害の有無にかかわらず誰もが心地よく使えるプロダクトを、これまで見過ごされてきた困りごとを抱える人たちとともに形にする会社「Halu」を立ち上げることに。

大企業の社員から起業家へ、そして一人の母として。仕事と人生がいかに密接に関わり合い、新たな価値を生み出す源となるのか。松本さんの人生と仕事について伺います。

松本 友理(まつもと・ゆり)
2007年に大学卒業後、トヨタ自動車に入社。本社にてプロダクトマネージャーとして、カローラなどのグローバル戦略車の商品企画や、コーポレート価格戦略を担当。2016年に長男を出産し、脳性麻痺による運動機能障害が判明。育児を通して得た社会課題に対する気づきをもとに、起業を決意。退職し、2020年に株式会社Haluを創業。

大企業での10年が、人生の転機に繋がった

トヨタ自動車には、どのような思いで入社されたのですか?

松本

もともと大学では社会史を学んでいて、プロダクトが社会を変えるストーリーがすごく好きだったんですね。たとえば、車の普及によって、人々の生活圏が都市から郊外へと広がり、暮らし方そのものが変わっていった。

そうした話に触れるうちに、「ものづくりを通して世の中をよくしたい」という思いが強くなり、2007年に新卒で入社し、希望通り商品企画の部署に配属されました。

10年間、どのような仕事に携わったのですか?

松本

海外部門の中で商品を企画する担当で、一番長く担当したのがカローラという車でした。

カローラは世界150カ国以上で販売されている車で、日本、アメリカ、中国、ヨーロッパなど、それぞれの地域でユーザーや価格帯、ブランドイメージが異なります。

各地のユーザーの生活を理解し、どういう仕様や装備、デザインが求められているかを調査し、それを実現しようと努めていました。

国や地域によって異なるニーズを満たすのは難しそうですね。

松本

すべてのユーザーの要望を叶えようとすると何種類も車を作らなければならなくなるので、いかに賢く効率的に作るかというバランス感覚も重要でした。

市場調査をして集めたユーザーの声をもとに、「こういう車を作りたい」という提案をエンジニアに伝え、コストや技術的な制約との擦り合わせを推進する仕事をしていました。

かなり高度でお忙しそうなお仕事ですね。

松本

私が社会人になった2007年はリーマン・ショックの少し前で、まだ働き方改革の前の時代です。

念願だった商品企画の仕事に就くことができて、忙しくても毎日が本当に楽しかった。とにかくいろんなことを吸収したいという気持ちでした。

入社からの数年間は、本当に仕事だけの生活でした。息子が生まれるまでの10年間は、時間も忘れて全力で仕事ができた時期でしたね。

トヨタ自動車ほどの大きな会社を離れるというのは、相当な転機だったと思います。何かきっかけがあったのですか?

松本

当時のトヨタ自動車も、いわゆる日本の大企業らしく、転職する人はまだ少ない時代でした。

トヨタ自動車という会社も好きで、周りの同僚や先輩にも恵まれていたので、正直、転職やましてや起業なんて考えたこともなくて。「一生この会社で働くのだろう」と自然に思っていました。

それなのに、会社を辞めて起業をされたんですね。

松本

はい。産休後に復帰する予定だったのですが、息子の障害がわかり、育児休暇から介護休職に切り替えることになりました。息子の育児やリハビリに専念する中で、向き合わずにはいられない社会課題に出会い、退職して起業することを決意しました。

「当事者」になって初めて見えた、社会の分断と使命感

休職中に、起業へとつながるどんな変化や気づきがあったのでしょうか。

松本

はい。息子の障害がわかってから、日常生活の中でいろんな気づきがあって。

まず息子に脳性麻痺という障害があると医師に告げられたとき、本当にショックで、「これまでと同じ生活を送れない、違う世界に来てしまった」と感じました。

その出来事をきっかけに、これまで自分は障害のある方やその家族を「違う世界の人たち」と思っていたのだと気づいたのです。

障害のある人たちをどこか遠い存在だと感じていたのですね。

松本

はい。今、息子は小学3年生で特別支援学校に通っており、学校生活を心から楽しんでいる様子ですが、障害のない子どもたちと関わる機会は限定されているのが現状です。

大人たちも、働く場は障害の有無によって基本的に分かれていることが多いため、障害のある人とない人が関わる機会が少ないですよね。

これだけお互いに関わる機会がなければ、遠い存在に感じるのも仕方ありません。そういった状況を変えていきたいという思いが生まれました。

息子さんと一緒に(提供写真)

松本

たとえば、混み合っているショッピングモールのフードコートでも障害のある子どもを見かける機会は少ないですよね。これは、障害のある子と一緒にお出かけしづらい環境がまだ多いということでもあります。

そうした状況が、社会の中で障害のある人の存在が見えづらくなっている一因になっていると気づきました。

なるほど。

松本

このままでは同じような困りごとを抱える家族は、何十年も変わらず、ずっとお出かけできないままになってしまう。

そして、おそらくこの課題には当事者でないと気づけないし、気づいている人かつ、ものづくりの経験がある人はそう多くないだろうと思いました。

そう思った時、この状況を社会課題として捉え、トヨタ自動車で培った経験を生かして何かできることがあるのではないか、「私がやらなくては」と強く感じたのです。

トヨタ自動車での経験を経て、自分がやらなくてはという、使命感のようなものが生まれたんですね。

松本

はい。それで、まず「IKOUポータブルチェア」を作りはじめました。

姿勢保持が必要な子どもが外出先で座る際に、身体を安定させて食事や遊びを楽しめるようサポートする椅子です。

IKOUポータブルチェア。障害の有無にかかわらず、姿勢が安定しない乳幼児でも安心して座れる。室内外を問わず使用でき、持ち運びも可能であるため、お出かけへのハードルが下がる

トヨタ自動車での経験は、プロダクトづくりにどう活きましたか?

松本

トヨタ自動車で取り組んでいた、各国のユーザーの要望をもとに、さまざまな部署と関わりながら企画を形にしていく経験はとても役立ちました。

松本さんはさらりと語ってくださるのですが、息子さんの育児と同時に新商品を開発するのはなかなか大変だったのではないかと推察します。

つらい瞬間や心が折れそうになってしまうことはありませんでしたか?

松本

いえ、とにかく形にしたいというわくわく感のほうが大きかったです。

デザインをするプロセスでいろんな家族に話を聞いて、実際にプロトタイプに息子と同じように障害を持っているお子さんに座ってもらったりしました。

みなさん、私と同じような課題を抱えていて、「こういうものが本当に欲しい」「こういうものがあったら家族みんなでもっといろんな場所に行ける」と言ってくれていたので、早く作らなければ、という気持ちでしたね。

実際に未来のユーザーさんの声を聞いて、プロダクトがつくるよりよい世界がしっかりと見えていたんですね。

IKOUのインクルーシブデザインの取り組みは、2022年のグッドデザイン賞など、さまざまなアワードで評価されている

使うプロダクトが人の意識を変えていく

IKOUポータブルチェアは、障害のある子だけでなく、誰もが使えることも特徴の一つですよね。

松本

はい。日常生活で使うものも、現在は障害のある子とない子が使うものは明確に分かれています。

IKOUポータブルチェアのように、障害のある子の困りごとがきっかけで生まれたけれど、実はみんなにとって使いやすいものが増えてほしくて。

身近なプロダクトは、周りの人の意識にも影響を与えるのではないかと考えています。

(提供写真)

身近なプロダクトが生活や考えに影響を与えるという経験が過去にあったんですか?。

松本

トヨタ時代の経験が大きいです。私がカローラを担当していた期間にエコカー減税が始まり、その影響でハイブリッド車がよく売れるようになりました。

当時、「エコ」というのは一部のハリウッドセレブが言っているような言葉で、あまり身近なものではありませんでした。

しかし、ハイブリッド車が日常生活の中に浸透していくにつれて、運転時の燃費の良さが車を評価するポイントの一つになり、エコが人々にとって身近なものになっていきました。

エコカーによって、人々のエコへの意識が変わったケースを目の当たりにしたんですね。

松本

身近な生活で使うものが人の意識や行動に影響を与えるということを、その経験から強く感じました。それが今の考え方にも繋がっています。

IKOUポータブルチェアの他にも、インクルーシブデザインを実践した衣服やスタイの製造も手がけている

働くことは生きること。ビジョンを仕事に落とし込む

松本さんは、日常における発見をダイレクトに仕事へ繋げていますよね。働くことと生きることはどう繋がっていますか?

松本

私の場合は、働くことと生きることはほぼイコールだと感じています。

トヨタ自動車にいた頃から仕事が本当に大好きで、寝る時間以外は仕事していてもいいと思っていたくらいでした。

息子が生まれてからは家族との時間も大切にしています。たとえば、息子のリハビリのために早く仕事を切り上げたり、土日は家族との時間を大事にしたりしています。 起業したからこそ、そういう自由な働き方が実現できています。

ご自身の今に合った働き方ができているんですね。

松本

一方で、息子の存在は仕事のモチベーションにも直結しています。

息子は現在9歳ですが、18歳で社会に出るまでに、彼なりに生き生きと過ごせるような社会をつくっていきたい。誰もが自分らしく、安心して前向きに生きていける社会にするために、私ができることをしなければならないと思い、起業しました。

仕事を全力で頑張ることが息子の将来の幸せにも繋がると思うとより頑張れます。

ご自身の思い描くビジョンと、ユーザーさんの声が、松本さん自身を動かしている気がしますね。

松本

起業してからは、ビジョンに突き動かされて走り続けている感覚に近いです。経営者としてビジョンを掲げ、発信し続けることは、共感して応援してくださる仲間を増やすうえでも、とても大切だと感じています。

一方で、会社員として働くときに、日々ビジョンを意識する機会が少ないのは自然なことだと思います。それでも、就職活動をして会社に入るときには、「この会社のこの思いが好き」という気持ちがあったはず。私もトヨタ自動車の「ものづくりを通して社会に貢献する」という姿勢に共感して入社しました。

日々の仕事に全力で向き合いながら、会社が目指すビジョンに自分の仕事がどう繋がっているのかを少し意識してみると、そこに新しいやりがいや可能性が見えてくるのではないかと思います。

山田 雄介
山田 雄介

【編集後記】
トヨタで学んだ「世界に届くものづくり」の視点と、息子の存在から得た「当事者」としてのまなざし。その両輪が交わることで生まれたHaluのプロダクトには、社会の分断をそっとほどいていくような力を感じました。
目の前の困りごとから始まった開発が、誰にとっても優しい選択肢へと広がっていく。その背景にあるのは“ものづくりのプロ”として、“一人の母”として、松本さんが自らのすべてを重ねて生み出す誠実な姿勢でした。
働くことは、生きること。そう語る松本さんの言葉に触れたとき、仕事が社会とどのようにつながり、未来をより豊かに変えていけるのかをあらためて考えさせられました。
(WORK MILL編集長/山田 雄介)

2025年9月取材

取材・執筆=オギユカ
写真=楠本涼
編集=桒田萌(ノオト)