働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

名刺交換も実名公開も禁止? みんながフラットにつながる「人事図書館」の仕組み(館長・吉田洋介さん)

2023年10月、X(旧Twitter)に投稿された「人事図書館の設立に向けて動き始めました」という投稿。瞬く間に共感を得て、クラウドファンディングで1,000万円以上が集まり、投稿から半年が経った2024年4月1日に東京・人形町に人事図書館がオープンしました。

この場所は「人事について学びたい」という想いがあれば誰でも歓迎。利用料は月額3,480円(税込)。24時間365日、好きな時に2000冊以上の本を読めて、仕事もできて、Slack上でも交流ができる……。でも、名刺交換や社名公開は禁止?

そんなちょっと不思議な人事図書館には、すでに500名以上の会員が集まっています。

この人事図書館を立ち上げたのは吉田洋介さん。人事図書館オープンに至るまでやユニークなルールの理由、これからの構想について伺います。

吉田洋介(よしだ・ようすけ)
1982年、札幌市出身。立命館大大学院政策科学研究科修士課程修了、株式会社リクルートマネジメントソリューションズ入社。組織人事支援として国内外500社以上の採用、人材開発、組織開発、人事制度などに関わる。グループ企業の中国での事業立ち上げや事業責任者を経て、2021年に独立。

構想からわずか半年でオープンした「人事図書館」

人事図書館に初めてお邪魔しました。ビルの中にあるとは思えない、とってもあたたかみのある空間ですね……!

真ん中にあるのは、スタッフでDIYしたという入り口にある本棚。人事図書館では貸し出しをしていないため、館内で読んだ本はこの本棚に戻されます。屋根の上部をよく見ると人事の「人」の文字が!

吉田

ありがとうございます。人事が集まる場所というビジネスっぽい施設なので、なんとなく「どこかのベンダーや大企業がスポンサーについているんじゃないか?」「入館したら、何か営業をされるのでは?」など、いろいろ想像しますよね。

僕も「裏があるのでは?」なんてよく聞かれるんですけど……。裏がありそうで本当にないのが、この人事図書館です(笑)。

正直、エプロン姿の吉田さんを見てほっとしています(笑)。

人事図書館 館長の吉田さん。エプロンがお似合いです。
2000冊以上ある蔵書の中には吉田さんの私物も。交流Slackでは、本のリクエストも募集しており会員の声を反映した本がどんどん追加されているとのこと。

吉田

館内にはワークスペースもありますし、人事に関するボードゲームなどもいろいろ揃えているので、会社の経費で買う前に試していかれる方もいますね。

館内にはワークスペースも。あいていれば、コワーキングスペースとして作業に使うこともできる。
「ここで実際に使ったボードゲームを社内でも導入した人事担当者さんもいましたよ」と、吉田さん。

人事図書館は、Xに構想を投稿されてからわずか半年でオープンされています。ものすごいスピード感だと思うのですが……。

吉田

2023年10月、Xに「人事図書館やります」っていう投稿をしたのですが、小さくてもいいから誰よりもはやくこのアイデアを形にしたいという強い想いがありました。

当時の僕は、Xのフォロワーも300名程度で。何色にも染まっていない僕が、スポンサーもなしに、オープンでフラットな人事図書館をやるから意味がある。

類似の施設が出てくる前にやってしまおう! そのためには、本当は3カ月後にはオープンさせたいと、思っていたくらいです。

3カ月!?

吉田

調べてみると、小さな図書館なら開業するのはそこまで難しくないとわかりました。だから、まずは自宅にある僕の蔵書と小さな机と椅子で始めようと思っていたんです。

しかし、投稿に対して「素晴らしい企画だ」「応援したい」「会員になりたい」と全く繋がりがない人たちからたくさんのDMやリプライが届きまして……。

いきなり、そんなに反応が……!

吉田

はい。「これだけ求められているのなら、実現できるところまでやりたい!」と、スタッフを募集したり、人が集まりやすい場所を選んだり、本を増やしてリラックスできる空間にしようとイメージを固めていきました。

ただ「他の誰かに先を越されるくらいなら、自分が先にやりたい」という気持ちは変わらずあったので、半年先をゴールと決めて進めることにしたんです。

すごい。吉田さんの想像を上回るペースで拡散され、オープンに至ったわけですね。

大好きだけど「一生この会社でいいのか?」という迷い

人事というテーマの図書館ですが、やはり吉田さん自身、もともと人事に関わるお仕事をされていたのでしょうか?

吉田

はい。新卒で株式会社リクルートマネジメントソリューションズに入社し、組織人事のコンサルティングなど人事に関わるお仕事を幅広く取り組んでいました。

すごく大好きな会社で、今でも仲良くしている人たちがたくさんいます。

吉田

ご存じかもしれませんが、リクルートは「定年まで添い遂げる」という意識で働いている人は少数派という企業文化の会社です。

だから、僕も「どこかのタイミングで辞めよう」と思っていたんですよね。

でも、会社が好きで仕事も楽しいなら辞める理由がないですよね……。

吉田

ただ、これだけ生き方が多様化してきて、いろんな選択肢がある。

「一生この会社でいいのか?」「ビジネスパーソンとして自分はどれだけの力があるのか?」「人間としてどこまで生きていけるのか?」とかいろんな思いが生まれて。

自分を試してみたくなったんです。

自分を試すために、会社を辞められたんですか?

吉田

はい。

これがやりたいとか、達成したい志があったわけじゃなくて。「辞める」ってことだけを決めて辞めました。

当時は「会社を辞めること」そのものがゴールだったという吉田さん。「会社を辞めても、人生が終わるわけではない。次のテーマはどうしようかな?」と、会社を辞めてから自分が好きなことを探し続けたそう。

強い! 

会社を辞めた後はどんなお仕事をされたのでしょうか?

吉田

ありがたいことに副業のお仕事やお誘いがいくつかあったので、家族を養うことはできました。

ただ、会社を辞めてすぐにやりたいことが見つかったわけではありません。もちろん人事図書館をやろうなんて当時は考えていませんでした。

そうだったんですね。人事図書館の構想には、いつ頃辿り着いたのでしょうか?

吉田

会社を辞めてから3年ほど経ってからです。会社を退職してからは、今までの知識と経験を活かしながら、色々な試行錯誤をしていました。

その中で、「人事に関わる方々と一緒に仕事したいな」「大好きな本を絡めたことを仕事にしたいな」「コミュニティの立ち上げって楽しいよな」とじわじわ思い……。

自分の中で「図書館」という概念に落ち着いたんです。

“色々な試行錯誤”とは具体的にどんなことをしたのでしょうか?

吉田

僕の場合、「人事の仕事が好き」という気持ちがあったので、その領域の中でイベントや事業をしていった感じですね。

拡散と収束を繰り返して試行錯誤しながら、だんだんと的を絞っていきました。

拡散と収束とは?

吉田

実は僕自身、苦手なこと・やりたくないことって、本当にできない人間で(笑)。

それを確かめていった感じでしょうか。

だから、歯を食いしばって無理をするようなことはしません。スタッフのしほさんは、そのことをよ〜くわかっていると思います。

館内には床に座って本が読めるスペースも。写真左は、人事図書館スタッフのしほさん。X投稿をみて「私がやりたいのはこれだ!」と思い、大阪から上京。「私は人事の仕事しかしてこなかったから、みなさんの悩みがよくわかる。ちゃんと寄り添いたいんです」と熱い思いを朗らかに語ってくれました。

吉田

単に稼ぎたいだけなら、方法っていっぱいあると思うんです。

でも、やっぱり好きなことじゃないと自分は続けられないし、1人では生きていけない。だから、できないことは人に頼る。

自分に合う、合わないを探し続けた結果が「人事図書館」だったのかもしれませんね。

どうして「名刺交換NG」なの?

今、人事に関わる人たちの悩みも教えてください。

吉田

人事の領域って今ものすごく難しくなっているんですよ。悩みの内容は千差万別ですね。

たとえば、昔からある採用、社員の人事制度や評価、労務に関連する部分だけでなく、コンプライアンスやハラスメント、働き方改革に関連した制度変更や副業など、会社の中で人事が関わる範囲が急速に拡大しています。

今まで通りでは、限界が出てきている状況なんですよね。

館内には人事・労務関連の雑誌のバックナンバーも。パラパラめくるだけで、時代の変化を感じられる。

確かに「採用」に関連する部分だけでも、直接応募やスカウト、副業に業務委託など採用方法も拡大しましたよね。

企業としても就活サイトに登録して、応募を待つだけではやっていけない時代というか……。

吉田

そうなんです。業界はものすごい勢いで進んでいますが、その分の仕事量は増えていき、一人だけでは頑張りきれない時代になっている。

それなのに、他の人と知恵を分け合う場、悩みを相談できる場、立場や肩書き関係なく学び合える場が本当に少ないと感じたんです。

吉田

人事の困りごとを解決できる勉強会はあるんですよ。でも「来月に開催します」だと、1カ月後にはもう別の悩みに変わっているんですよね。

書籍やネットにもたくさん情報があるけれど、リアルな場で、今日ここにいる人たちと“気兼ねなく”悩みが相談できる場所が必要だと考えました。

でも、人事に関わる人たちはビジネスのニオイにとても敏感なので、フラットな場所である必要があるなと思っていて……。

あっ……! だから、入り口に「名刺交換NG」「営業行為NG」と書いてあるんですね。

吉田

ありがとうございます。

悩み事ってひとりで抱えちゃうことが多いじゃないですか?

悩んでいても社名や肩書きがあることで、言いたいことも言えなくなってしまう。それなら社名と実名を隠して、純粋に課題解決できる場所にしようという発想でした。

こういうビジネスっぽい場所って名刺交換するのが通例というか、ある種期待している人も多いですよね。

ここにいらっしゃる方は名刺交換なしでも、交流できているのでしょうか?

吉田

名刺が大事になるケースは、ほとんどないですね。

人事図書館の中ではニックネームで呼び合っているので「私は100人くらいの規模の企業で、採用をしているヨッちゃんです。最近スカウトがうまくいかなくて、皆さんどうしていますか?」と素直な悩み相談ができるんです。

社名が言えないから交流ができないってことはありませんよ。

入館すると2種類のストラップを選べます。赤は「話がしたい人」、青は「読書や仕事に集中したい人」。話しかけずとも自分の意思を示せる仕組みです。

素敵! 名刺交換しなくても仕事の悩みが相談できるんだ……と思ってしまいました(笑)。

吉田

ビジネスの世界だと、肩書きのような「鎧」があった方が楽な場面も多いですからね。

ただここは、入口で靴と一緒に、この社会の鎧も脱いでもらう。文字通り、人事という共通項だけで繋がり、悩みを解決するための学び場なんです。江戸時代にひらかれていた、「私塾」に近いかもしれませんね。

他にも会員の方以外も参加できるイベントや勉強会なども定期的に開催し、学びの機会を作っています。

イベントの様子(提供写真)

いろんな人が混ざり合い、困りごとを解決できる場へ

オープンから3カ月で500名以上の会員さんが登録されているとのこと。どんな方が多いですか?

吉田

会員の約6割が企業に所属する人事担当者ですね。社労士、コーチから飲食店のスーパーバイザー。経営者からフリーランスの方まで幅広い方に登録いただけています。

この前は、お風呂上がりにふら〜っとやってきた会員さんもいましたよ。

ゆったりと寛いで本が読めるスペースも人気

羨ましい使い方! 24時間、365日オープンしているからいろんな使い方ができるんですね。

吉田

オープンしてまだ3カ月ですけど、人事図書館で学んだことを実務で活かしたら仕事の進め方が変わった、上司が協力してくれるようになった、採用の成果も出るようになったってポジティブな言葉をかけてくれる人もたくさんいるんです。

人事に関わる皆さんが会社に貢献できたこと、自分自身の成長につながったと感じられると聞くのが、本当に嬉しいですね。

たった3カ月で素晴らしい成果ですね! 今後の展望を教えてください。

吉田

まずは、より多くの人に来ていただくこと。そして、たくさんの人が混ざり合う場を目指していきたいです。

年齢や経験値も関係なく、人事図書館の中でいい循環を起こしていければ、世の中も少しずつ変化していけるかな?と。

人事図書館に集まってくるみなさんの失敗や成功を蓄積して、お互いにシェアできるそんな空間にしていきたいです。

まだまだ人事図書館の会員は募集中ということですね!

吉田

ご登録をお待ちしています!「まず見たい」という方は無料体験でご判断いただければと思います。

人事は「人を生かして事をなす」仕事とも言われているので、そんな意識で働ける人を増やしていけるといいですよね。もちろん同じ職業の人が集まって日々のストレスや愚痴を話していただいてもいいんです。

でも、不満だけで終わらせずに人事のプロとしてどう変わっていくか、課題をどう乗り越えるかも大切。そんな議論が生まれていく場所が「人事図書館」だと思います。

2024年6月取材

取材・執筆=つるたちかこ
撮影=栃久保誠
編集=鬼頭佳代/ノオト