日本一写真のうまい芸人が「明日を生きるための遺影」を撮り続ける理由(ヒサノモトヒロ)

人生には出会いと別れがつきものです。新しい命の誕生や家族とのつながりが深まる一方で、親しい人との別れもまた、誰にとっても避けられないもの。
そんな避けられない別れを前向きに捉えようとしているのが、遺影専門写真館『YAY(イエイ)』を主宰するフォトグラファーのヒサノモトヒロさんです。
「明日を生きるための遺影を撮る」というコンセプトのもと、「また来年」と言葉を交わしながら、毎年遺影を撮り続けています。
さらにヒサノさんは、お笑いトリオ「ドナタ」で芸人としても活動。「日本一写真のうまい芸人」と周りからお墨付きをもらっているそう。笑いと死。一見かけ離れた2つのテーマを行き来しながら、生きるという営みに向き合うヒサノさんから、仕事や人生との向き合い方を見つめ直します。

ヒサノモトヒロ(ひさの・もとひろ)
日本一写真がうまい芸人。「ドナタ」というお笑いトリオで活動中。20歳からフリーランスフォトグラファーとして活動をスタート。現在はアートディレクターとして、映像やメディアアート制作にも携わる。合同会社妙な少女・代表。
日本一写真のうまい芸人って、ドナタ?
ヒサノさんは、フォトグラファー・アートディレクター・お笑い芸人と、さまざまな活動をされていますよね。これまでどんな人生を歩んできたのですか?


ヒサノ
高校を卒業して、1年ほど海外を旅していました。
卒業後は、吉本興業の養成所に入るつもりだったんですが、父が「その前に世界一周でもしてきたら?」と進めてくれて。進学のために貯めてくれていたお金を、旅の資金にと出してくれたんです。
旅には実家にあった一眼レフを持って行きました。父も母もフォトグラファーだったので、家にはプロ仕様のカメラがいくつもあって。
カメラが自然にある環境だったんですね。


ヒサノ
海外にいると、僕が今どこで何をしてるのかなんて、分からないじゃないですか。
だから、約40カ国を巡るなかで、現地で撮った写真をSNSにアップして、生存報告代わりにしていたんです。そんなふうに投稿していたら、帰国後に写真の仕事をもらうきっかけになりました。


ヒサノ
その後、20歳でフリーランスとして独立し、今はアーティスト写真やキービジュアル、バンドのMV撮影などを手がけるほか、コーポレート系の案件やディレクションにも携わっています。
お笑いはいつから始めたのですか?


ヒサノ
これも帰国してからです。旅の途中、フランスの日本人宿で出会った大学生と意気投合し、コンビを組んだのが最初でした。
最初はアンダーグラウンドでひっそりやっていたのですが、何度かコンビを組んでは解散を繰り返しているうちに、ちょうどコロナ禍にぶつかって。
活動できる場所もなくなり、「あれ、俺って今、芸人できてないかも?」みたいな状態になっていましたね。
そんな時期もあったのですね。そこから、どう動き出したのですか?


ヒサノ
ある日、ふと元相方の1人に連絡してみたんです。今や父親となり、沖縄で働いているそいつから「お笑い辞めるのもったいないよ」って言われて。
ただ、「お前が言うのは何か違くない?」と少しムカついたんですよね(笑)。でも、その一言で火がついたというか。


ヒサノ
当時、僕は26歳。ビートたけしさんだって26歳でデビューしてるし、そもそも自分はまだ芸人を辞めたつもりはないし。
それで、その後は相方募集掲示板を通して、すぐ大槻オドルと澁谷祐生と「ドナタ」を結成し、今は芸人と写真を両立しています。
といっても、収入でいうと写真が120%なのに対し、芸人はマイナス20%なんですけどね(笑)。

絶対に必要とされる写真を突き詰めたら「遺影」だった
ヒサノさんは、フォトグラファーの活動の一つとして「明日を生きるための遺影」というコンセプトの撮影会を企画されています。そもそも、「遺影を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。


ヒサノ
フォトグラファーとしてのアイデンティティについて考えていた時期に、「今後も絶対に必要とされる写真って何だろう?」と突き詰めた結果、行き着いたのが遺影だったんです。


ヒサノ
そもそも写真って、社会において絶対に必要なものかというと、そうではありません。
たとえば、一次産業やエッセンシャルワークのような生活に必須の仕事とは違い、写真は「あったら嬉しいけど、なくても困らないもの」として見られがちなんですよね。
言われるまで、その発想はありませんでした。


ヒサノ
実際に結婚式や七五三など、人生の節目の写真も、あれば嬉しいけれど、別になくても困りません。でも、遺影だけは違います。亡くなったあと、残された人に確実に必要とされる写真なんです。
以前から、擬似的な殺人現場を再現した写真作品を撮ったり、インターネット上で宗教を立ち上げたりと、死生観にまつわるテーマに関心を持ち、いろいろな企画を試してきました。


ヒサノ
とはいえ、遺影を撮るという行為には、「死を予感しているのではないか」といったネガティブな印象がつきまといます。
そこをどう乗り越え、ひっくり返すかが僕にとっての出発点でした。その中で「明日を生きるための遺影」というコンセプトにたどり着いたんです。
いつ頃から始めたのですか?


ヒサノ
2022年に初めての撮影をやりましたが、そのときに「面白いね!」という反応をけっこういただいて。それならOKって満足して……。
そこで一回、辞めちゃったんですよね。
えっ、辞めちゃったんですか……!


ヒサノ
そうなんですよ。何人かはリピーターの方がいたので、個人的に撮り続けてはいました。
そんな中、毎年撮影していたおじいちゃんが亡くなったという連絡が届いたんです。ご家族からは、感謝の言葉と共に、「ちゃんと本人らしい写真があったから、お葬式のときも安心して見ていられた」と言われました。


ヒサノ
実はそのご家族、新潟県糸魚川市にお住まいで、2016年に起こった大規模火災で、家族写真も含め、失っていて。
だからこそ、「ちゃんと残しておきたい」という思いで、毎年撮影してくださっていたんです。
そういう背景があったからこそ、写真に込める思いも強かったのですね……。


ヒサノ
たまにあるじゃないですか。親戚の集合写真を引き伸ばして、本人だけトリミングしたような遺影。画質も荒くて、「これ、いつの写真?」みたいな。
確かに……。


ヒサノ
だからこそ、ちゃんとカメラを意識して、その人らしさが写った写真を残せていたことに、大きな意味があったのだなと実感しました。
このとき、「これは続けなきゃダメだな」と思ったんです。ただ、僕だけだとまた辞めちゃうかもしれない。だから、今は仲間にも協力してもらって遺影撮影会を続けています。
売っているのは、写真ではなく思想
実際に遺影を撮りに来られる方は、どんな反応ですか?


ヒサノ
かっこいいプロフィール写真を撮影したぐらいの感覚ですよ。なかには、自分の変化を確かめるために来る方もいます。
ある方は、2年前は会社のことで精神的にグロッキーな状態だったのですが、今年の写真では僕にも分かるぐらい穏やかな表情になっていて。遺影が、人生の定点観測にもなっていました。
ヒサノさんご自身は、遺影の撮影はどんなスタンスでされていますか?


ヒサノ
「使われなかった遺影が増えていったらいいな」という気持ちで続けています。いずれは、「まあ毎年撮っておくか」くらいに自然と受け入れられる文化になったら嬉しいなって。
文化?


ヒサノ
たとえば、七五三は、もともとは「幼児の生存を祝う」ものでしたが、今では誰もが当たり前に写真を撮りますよね。
遺影も同じように毎年撮影して使われない写真が増えていくことで、毎年買いに行く商売繁盛を願う熊手のような存在になったらと思っています。
素敵な発想ですね。
ところで、『YAY』は料金の決め方も少し変わっていますよね。年齢によって、割引率が変わるという……。


ヒサノ
サービスにちゃんと共感してくれる方に来てほしくて、あえてしっかり読まないと分からない仕組みにしているんです。
僕としては、写真というより世界観や思想を売っている感覚が近くて。
世界観や思想を?


ヒサノ
たとえば、アーティスト写真なら、その瞬間の魅力を最大限に引き出すのが僕の仕事です。伝えたい世界観や活動内容に合わせ、クライアントも交えながら、皆で最適なビジュアルを構築し、高揚感や勢いを可視化していきます。
一方で、遺影は全くベクトルが違います。関わるのは被写体となるその人だけ。だからこそ、写真を通して、その人が生きてきた時間と静かに向き合うような、濃密なコミュニケーションが生まれます。


ヒサノ
ここでいうコミュニケーションは、言葉のやり取りではなく、写真を通じて築かれる関係性のことです。撮る側としても、「この人が、今ここで写真におさまっていることに深い意味がある」と感じられるんです。
何よりも遺影は、その人が生きている間はもちろん、亡くなったあとも生きた証として残り続けます。だから、同じ写真という表現でも、意味合いも時間スパンも、全然違う。そういう世界観をちゃんと共有したいんです。
ヒサノさんは、撮影したその先を見据えているのですね。


ヒサノ
最初は、その人が望む遺影を撮ろうと思っていたのですが、プロと違って写真に撮られ慣れている方ばかりではないので、イメージがない方も多かったんです。次第に僕の方から、「こういう表情がいいと思いますよ」と人生観を引き出す提案をするようになりました。
とはいえ、遺影は最終的にご遺族が手にするものです。そのため、本人が残したい姿だけでなく、僕にはこう見えているという視点も伝えています。
プロのフォトグラファーさんからそういう意見を教えていただけるの、嬉しいですね。


ヒサノ
撮影を重ねるうちに、「文化にするには、千利休にならないと」って腑に落ちました。
茶の湯のように文化として根づかせるには、流派のような方向性や思想の軸が必要だと気づいたからです。今は、『YAY』としての流派を築く意識で、日々の撮影に臨んでいます。
仕事でも表現でも、今の自分にできることをやるしかない
笑いと死、一見すると対極にも思えるテーマを、ヒサノさんはどう捉えていますか?


ヒサノ
僕は、笑いと死って、そんなに遠いものじゃないと思っているんです。たとえば、北野武監督の映画でも、たくさん人が死ぬのに、どこかユーモアがあったりする。暴力というより、感情の極地を描いているような印象を受けます。
そもそも、笑いも悲しみも怒りも、人間が感情を出力した結果だと思っていて。見方を変えれば、笑いも死も、人の人生を構成する1つの要素にすぎないな、と。
確かに。そうした感覚って、ヒサノさんの写真にも通じているように感じました。


ヒサノ
通じますね。僕にとって写真は、笑いや死と同じく、出力装置の1つです。表現したいことがあるなら、それは写真に限らず、コントでも動画でもいいんです。
ただ、遺影だけは写真で出力することに意味があるので、これだけは死守する必要があります。
フォトグラファーとして培った感覚が、芸人としての活動につながっていると感じる場面はありますか?


ヒサノ
むしろ、どちらも同じ頭の使い方をしているなと感じます。
アートディレクションでもお笑いのネタづくりでも、根っこにあるのは「どう転ばせるか」という発想。つまり、見せ方の方向性をどう選ぶかという思考です。
どういうことですか?


ヒサノ
たとえば、クライアントから「このアーティストはマッドサイエンティストっぽい雰囲気で撮ってほしい」とリクエストされたら、まず僕は誰もがなんとなく思い浮かべる「あるある」を洗い出します。
さらにもう一歩踏み込んで別の角度から連想を広げ、組み合わせながら、世界観を形にしていく。ちょっとした連想ゲームみたいな感じです。
なるほど。



ヒサノ
このプロセスは、ネタづくりとも全く一緒です。素材は同じでも、組み合わせ方次第で、面白くもかっこよくもなる。
その意味では、どちらの活動も僕の中では自然につながっています。
同じ表現をする仕事でも、何を作りたいかで全然違うんですね。


ヒサノ
やっぱり何かを表現するには、自分の中に納得できる理由がある方がいいんです。どんな表現方法を使っても、最終的には自分がこれまでに経験してきたことや培ってきた価値観が、表現の土台になるのだと思います。
仕事でも表現活動でも、今の自分にできることをやるしかない。その中で、自分なりに折り合いをつけられる「ステートメント」みたいな軸が見つかれば、それはとても健やかなことだと感じています。

2025年7月取材
取材・執筆=スギモトアイ
撮影=吉田一之
編集=鬼頭佳代/ノオト