他者の背景に思考を馳せ、誰もが能力を発揮できる環境を。日本イーライリリー「ヘンズツウ部」に聞く、「みえないつらさ」に向き合う方法
体の調子が悪くて、仕事に集中できない。でも、そんな個人的なつらさを周囲に伝えるのは気が引けてしまう。気づけば我慢するのが当たり前になっている……。
そんなつらさや多様な背景を持った人が、変わらずパフォーマンスを発揮できる環境を作ろうと活動しているのが、製薬会社・日本イーライリリー株式会社の「ヘンズツウ部」です。
重い頭痛や症状を引き起こす「片頭痛」をはじめ、さまざまな健康課題に起因する悩みを小さくするべく、「みえないつらさ」を相互理解するための取り組みを有志社員が行っています。
働く場所に生じる、みえづらい悩みや多様性。それらに向き合うためにどうすればいいのか、同社の小宮山幸さんに伺いました。
片頭痛を訴える人が少ない。課題を感じて生まれた「ヘンズツウ部」
「ヘンズツウ部」は、どのようなきっかけで始まった活動なのでしょうか? 製薬会社さんなので、健康課題への意識が高そうですが……。
小宮山
前提として、日本イーライリリーは「多様な背景を持った人々が豊かな生活を送る“Live Your Best Life”」の実現を目指す製薬会社として、疾患領域の知見を活かし職場や地域コミュニティにおける健康促進に努めてきました。
「ヘンズツウ部」自体は、会社の事業ではなく、有志の社員による「部活動」という位置づけになります。
「お仕事」ではない、というのがポイントですね。
小宮山
はい。「ヘンズツウ部」発足のきっかけは、2019年に社内で行われた片頭痛に関する勉強会でした。
そのとき、「日本での片頭痛の有病率は8.4%」「30代から40代は5人に1人が片頭痛持ち」といった知識を学び、「有病率の高さのわりに、日常生活でつらさを訴える人が少ない」「片頭痛を持つ人は、見えないつらさを抱えながら働いているのでは?」と多くの社員が気づいたんです。
確かに、有病率の高さのわりに「片頭痛が辛くて休みたい」といった声はあまり聞きません。
小宮山
それだけではありません。かつて、頭痛のつらさを訴えた経験がある人も、周囲から「たかが頭痛で」といった心ない言葉をかけられた……というケースもあるんです。
そこで「周囲に頭痛のつらさを訴えても仕方がない」と諦めてしまい、我慢してしまう……。そんな状態に陥る人が少なくありません。
実際に社内で片頭痛の人に話を聞いてみたところ、「我慢するものだと思っていた」という声も聞きました。
でも、痛みを我慢しながら仕事をしていては、ベストパフォーマンスは出せませんよね。
小宮山
その通りです。痛みで集中できないまま作業を続けたり、会議に出ざるをえなかったり……。どうしても無理をしてしまいます。
それに、現在進行形で症状が出ていなくとも、「いつ痛みが出るのかわからない」「周囲に迷惑をかけてしまうのではないか」といった不安も、片頭痛が引き起こす「痛み」の一つだと思っていて。
身体的な痛みだけでなく、心理的なストレスもある種の「痛み」なんですね。
小宮山
そこで、ヘンズツウ部ではまず「あらゆる健康問題に起因する職場での困難を最小限にし、能力を最大限に発揮できるようになることを目指し、片頭痛を取り上げてその解決策を見出す」ことを目指しました。
実際に、ヘンズツウ部のメンバーが社内で「私、片頭痛で……」と打ち明けてみると、「実は自分も」という共感の声が予想以上にたくさんあがったんです。
同じころ、ヘンズツウ部メンバーを正式募集したところ、50人以上の社員が入部を希望してくれました。現在では、約120人が所属しています。
「楽しく」片頭痛を学び、声を上げやすい環境を
「みえないつらさ」を可視化するために、どんな活動を進めていったのでしょうか?身体的な痛みだけでなく、心理的なストレスもある種の「痛み」なんですね。
小宮山
まずは片頭痛に関する勉強会や、コロナ禍という背景もあり オンラインイベントなどを始めました。
その中で片頭痛の症状や困りごとなどは周囲には見えにくく、しかも多岐にわたることがわかってきました。その支障が一人でも多くの人に理解されるよう、「片頭痛を見える化する」という意図から生まれたのが、「ヘンズツウかるた」です。
かるたですか?
小宮山
はい。病気の話となると、つい暗い印象を持ってしまう人もいます。ゲーム形式で楽しく学ぶことで、当事者の人が「実は私も……」と気軽に言えるようになるのではないか、という思いも込めて制作しました。
確かに、「片頭痛のつらさや症状について教えてください」と改めて問われるのではなく、ゲーム感覚で楽しめた方が、心のハードルは下がりますよね。
小宮山
片頭痛の症状は痛みだけでなく悪心・嘔吐や光過敏、音過敏など多岐にわたります。
それを「脈に合わせてハンマーでたたかれているような痛み」「音過敏になる」「ギラギラギザギザが視界にあらわれる」など、かるたの文章にしました。
まるでキャッチコピーのように親しみやすい言葉が並んでいますね。
小宮山
片頭痛の症状は痛みだけでなく悪心・嘔吐や光過敏、音過敏など多岐にわたります。
それを「脈に合わせてハンマーでたたかれているような痛み」「音過敏になる」「ギラギラギザギザが視界にあらわれる」など、かるたの文章にしました。
小宮山
そして周囲の片頭痛への理解が深まってくると、「みえないつらさ」は片頭痛に限らず、他の健康課題にも当てはまるのではないかという声が上がってくるようになりました。たとえば腰痛、生理痛などの痛みや不調も、時に仕事に支障をきたすことがあります。
しかし、その痛みや不調は他人にみえないことから周囲の人に理解してもらうことが難しく、結果的に一人でそのつらさも抱え、我慢しながら働いている人たちがいる。こうした当事者一人ひとりの状況を ‟みえない多様性“ と定義し、みえない多様性PROJECTへと発展しました。
新たな活動に発展していったんですね。
小宮山
そこで、健康課題に紐づく「みえない多様性」に着目し、人知れず「我慢」して働いている人の思いを理解するために、ワークショップツールを開発しました。それが、「ストーリーカード」です。
どんなツールなんですか?
小宮山
カードは、青色の「シーンカード」と赤色の「リーズンカード」に分けられます。
青色には「いつもはメールの反応が早いのに、急に連絡がつかなくなる時間がある」「健康理由で午前休をとったのに、飲み会には参加している」といったよくある誤解を招きやすいようなシチュエーションが、赤色には単純に「目覚まし時計」「デスク」「香水」「腰痛」といった単語が書かれています。
青色のカードを1枚選び、その内容に即して「どうして連絡がつかないのか」「どうして飲み会には参加しているのか」とその背景にある理由を想像しながら、メンバーそれぞれが赤色カードの中から使いたい単語を使ってストーリーを考えます。
小宮山
例えば、「午前は休んでいたのに飲み会に参加するだなんて、わがままなんじゃないか」と思う人もいるかもしれません。
でも、もしかすると例えば「目覚まし時計」の音をきっかけに朝方頭痛が悪化してしまったのかもしれない。朝だけ「腰痛」になってしまったのかもしれない……。
一見関係なさそうなシチュエーションと単語をつなげるだけで、他者の出来事の背景を考えられるようになる……というツールです。
どの赤色カードを選ぶかで、全然違う想像が広がりそうですね。
小宮山
はい。それに、「こういう考え方もあるんだ」など、他者に思いを馳せられますよね。
このストーリーカードを使って、社外でもワークショップを実施しているそうですね。
小宮山
はい。企業はもちろんのこと、大学や学校機関でも、カードを使って「みえない多様性」を想像するワークショップを行っています。このカードは弊社のHPから、誰でも無料でダウンロードできるようにしています。
ストーリーカードには主にビジネスシーンにおけるシチュエーションが記載されていますが、とある自治体の大学では、学生に親しみのあるシーンにカスタマイズしながら使われているケースもあるようです。
「当事者」と「当事者以外」は二極化できないからこそ、一人ひとりの思いやりが大切
「片頭痛のような症状を気軽に打ち明けられる環境を作りたい」と思っている企業は多いと思います。
どうすれば実現できるのでしょうか?
小宮山
すぐに環境を変えるのは難しいことですが、まずは一人ひとりが相手の状況や痛みを想像することが大切だと思います。
「片頭痛がつらくて」と打ち明けても、相手にその痛みを矮小化されるケースってありますよね。つらいと言っている人に対して「また、頭が痛いって言っているよ」とうんざりする人も、いまだに世の中にはいると思います。
でも、まずは「頻繁に痛みを訴えているけど、どうしてだろう」と立ち止まって考える。相手の背景に思考をめぐらせる。それが一歩になると思います。
特定の健康課題のある「当事者」と、そうではない「当事者以外」で、できるアプローチは違いますか?
小宮山
私たちは、「当事者」と「それ以外」で立場を二極化できないと思っています。片頭痛では当事者ではないけど、他のケースでは当事者になる可能性はあるからです。
だからこそ、まずは誰かが困っているときに一声かける、という環境を作る。そうすると別の当事者も声を出しやすくなりますし、助け合うことができます。
なるほど。
小宮山
私たちは、それぞれの抱える「みえない多様性」をパブリックにするプロセスを「発散」「理解」「課題化」の3つに分解しています。
まず個人の健康課題や事情を「発散」し、周囲が「理解」し、それを組織で「課題化」する。
もちろん、痛みやつらさを公にすることを強制するものではありません。しかし、公にしたい人がそうできる環境を作ることも大切です。
そのためのツールとして、ヘンズツウかるたやストーリーカードを活用してほしいのです。
小宮山
もちろん、そうした環境を作ることは簡単ではありません。上司と部下や、組織に入って間もない人と社歴の長い人、立場の違いなどでも捉え方は違うかもしれません。
でも、そんな立場の違いを超え、他者を理解し理解される安心感を少しずつ積み上げることがポイントだと思います。
一歩ずつ、ですね。
小宮山
昨今は働き方が多様化し、ハイブリッドワークやフレックスタイムを制度として導入している企業もたくさんあります。
そういったハード面の多様性が広がったからこそ、同じ組織で働く人たちの相互理解を深められるソフト面での働きかけが必要です。
ヘンズツウ部は、そうした課題を積極的にサポートできるように、これからも活動をしていきたいです。
2023年10月取材
取材・執筆:桒田萌(ノオト)
写真:小野奈那子
編集:鬼頭佳代(ノオト)