中身を変えれば物事は新しくなる。築100年を超える洋館と神戸・塩屋に人々が集まる理由(旧グッゲンハイム邸の管理人・森本アリさん)
神戸市垂水区塩屋町。中心部からは少し離れた立地であり、快速列車が停まらないことから、多くの人にとって通り過ぎてしまうエリアです。
一方、神戸の中でも最も海と山が隣接する町でもあり、急な斜面や階段、狭い道路に敷き詰められた個人商店など、自然豊かな景観と昔ながらの街並みに惹かれて訪れる人もいます。
そんな塩屋の海の望む丘に建つのが、築100年を超える洋館「旧グッゲンハイム邸」。管理人を務めるのは、音楽家・森本アリさんです。
旧グッゲンハイム邸を拠点に、まちづくりイベントやワークショップ、音楽会などを実施。さまざまなクリエイターとのプロジェクトに積極的に取り組んでいます。
気づけば多くの若者や商売人、クリエイターが集まる場になった塩屋で、数々の「共創」を生み出してきた森本さんにそのヒントを伺いました。
森本アリ(もりもと・あり)
神戸・塩屋の海沿いにある洋館「旧グッゲンハイム邸」の管理人。「三田村管打団?」や「音遊びの会」などで活動する音楽家としての顔も持つ。塩屋の町や人の魅力を塩屋内外に発信する「シオヤプロジェクト(シオプロ)」主宰。「塩屋まちづくり推進会」「塩屋商店会」など、町に関する活動も積極的に手がける。著書に『旧グッゲンハイム邸物語』(ぴあ)がある。
塩屋海岸が一望できる旧グッゲンハイム邸
まずは旧グッゲンハイム邸について教えてください。
森本
旧グッゲンハイム邸は神戸市垂水区塩屋町にある、築100年を超える洋館です。
「グッゲンハイム」は、明治・大正時代に神戸に滞在したドイツ系アメリカ人の貿易商一家の名前に由来します。
森本
塩屋はもともと漁村だったのですが、海と山との距離が近く、町から海を見下ろせる景色の良さもあり、この土地を好む貿易商が多かったそうです。
そうやって邸宅として建てられた洋館の一つが、旧グッゲンハイム邸です。
現在、どのように活用されているのでしょうか?
森本
塩屋海岸が一望できる旧グッゲンハイム邸の建物は、本館、長屋、別館の3つから成り立っています。
本館は、1909年にグッゲンハイム家の邸宅として建てられた場所です。
現在は結婚式の前撮りやパーティ、音楽イベントなど、さまざまなイベントで使用されています。映画や雑誌のロケ撮影に利用されることもありますね。
本館のすぐ裏にも、建物がありますね。
森本
ここは「長屋」と呼んでいて、現在はシェアハウスとして使用しています。
森本
会社員や公務員といった社会人から学生まで、さまざまな人が入居していて、画家と音楽エンジニアのアトリエとスタジオ貸し含め、現在は10部屋すべて満室になっています。
不動産サイトなどには掲載していませんが、興味を持った人がひっきりなしにやってくるので、空き部屋になることはほとんどありません(笑)。
自分の部屋は入居者自身がそれぞれ、DIYでカスタマイズをして生活しています。
森本
別館は、主に事務所やシェアオフィスとして利用しています。編集者やデザイナー、イラストレーターなどのクリエイターが集まっていて、彼らでタッグを組んでまち系イベントや商店会のパンフレットを作成したり、案件を受けたりすることもあるんです。
この場から日々たくさんのつながりが生まれ、循環していることが嬉しいですね。
管理人になるきっかけは妹の結婚パーティー
森本さんは2007年より、旧グッゲンハイム邸の管理人をされています。
塩屋のまちづくりにも深く関わられているようですが、もともと塩屋の町に縁があったのでしょうか?
森本
2歳から塩屋に住んでいます。私は父がベルギー人、母が日本人で、海外が身近な存在でした。それで、高校の1年間と大学はヨーロッパで過ごしました。
そして、ちょうどヨーロッパ生活も終盤に差し掛かったときに起きたのが、1995年の阪神淡路大震災でした。
幸いにも大きな被害の少なかった垂水区。帰国後に、昔と変わらない光景を前に安堵したと同時に、「この町を守っていきたい」という気持ちが芽生えました。
当時から、旧グッゲンハイム邸とも関わりがあったんでしょうか?
森本
小学生の頃、友達が旧グッゲンハイム邸の別館に家族で住んでいて、遊びに来ていました。
当時、長屋のほうは寮として使われていて、たくさんの人が住んでいる開かれた空間でもあったんです。
当時から、地元の人にとっては身近な存在だったのですね。
森本
でも、いつの間にか空き家になってしまって。震災や台風の影響で瓦が飛んだり、窓ガラスが割れたり。老朽化が進み、お化け屋敷のような状態に……。
その様子を妹がずっと気にかけていて、「ここで自分の結婚パーティーがしたい。屋根の瓦を修理してくれないか」と建物の持ち主さんに話をしに行ったんです。持ち主さんはとても喜んでくれました。
しかしその後、建物の売却が決まり、話は一旦なかったことに……。
それは悲しいですね……。
森本
ただ、同時期にお隣の須磨の由緒ある洋館が不動産会社に売却され、方針変更で取り壊しになるという出来事があって。
それをきっかけに、持ち主さんが「責任放棄につながることはしたくない」「塩屋に根付いている、信頼できる人にお渡ししたい」と、私の両親のもとへ話をしにきたんです。
その結果、なんと両親が旧グッゲンハイム邸の購入を決断したんです。
急展開……!
森本
本当にその通りです。購入額も安くはありませんし。
実は家族の中で私だけが大反対していて……。購入を決断できたのは、長屋を目にして、そこに可能性を感じたから。
というと?
森本
あの長屋が、地域住民や若い人が集える場所になったら面白いだろうな、と。
私は音楽活動をしていたり、劇場で働いていたりした経験があるため、そういった場所を作ることに興味もあったんです。それが購入を受け入れる決め手になりました。
ゼロから新しいものをつくるのではなく、目線を変えて「昔から変わらないもの」を面白く見立てることに関心を持っていて。だから、シェアハウスとして積極的にDIYをしていきました。
そんな経緯があったのですね!
森本
あと、塩屋って何か用事がなければ立ち寄らない、まさに通り過ぎてしまうエリアなんですよね。
私も管理人になった当初は、本館ですぐに何かできるとは思っていませんでした。
では、本館の活用の幅はどのように広がっていったのですか?
森本
最初は音楽家の友人がライブで使ったり。そういった企画の運営を引き受けるうちに、関係が広がっていきました。
特にミュージシャンの原田郁子さんが自身のアルバムを旧グッゲンハイム邸で録音したことで、塩屋以外の人にも広く認知してもらい、建物の用途の幅が広がりました。
いろんな使い方ができそうです。
森本
本館はライブ、マルシェ、発表会、上映会から文化教室さまざまな利用があります。そして最近は結婚パーティー会場として使用が多いです。
長屋は住まいとしての場でもある。建物ありきでの幅広い楽しみ方をしてもらえているのは嬉しいですね。
森本
本来、拝観料を設定して、見学するだけの場所にすることもできます。でも、旧グッゲンハイム邸は使い倒されてこそ価値が生まれると私は考えていて。
「用途を持たない大きな空間」だからこそ、誰もが気軽に使ってくれる場になったのだと思います。
“すでにあるもの”を、見方を変えて新しくする
アリさんは管理人を引き受けた時期に、塩屋を歩いて撮影した写真を集めた『塩屋百人百景』や、町の古い写真を採集した『塩屋百年百景』などの写真集も企画されていますよね。
森本
はい。旧グッゲンハイム邸の「元からあるものを面白く見立て直す」という目線と同じで、塩屋の町を文化的な側面から面白く捉えられたら、と思ったんです。
原動力は同じなんですね。
森本
阪神淡路大震災以降、さまざまな地域で再開発が行われました。
塩屋も震災により多くの洋館やや古い住宅が失われましたが、面的被害は少なかったため、おおよそ震災前と変わらぬ姿を残しています。
それで、いまだに駅前は2人以上並びながら歩くのが限界であるほどの狭さの道ばかりで、1台の車が通るのもやっとだったり……(笑)。
森本
そんな中、塩屋にも大規模な道路をつくったり、駅の近くにもっとテナントを入れたりするべきだ、という声もたくさんあるのが現状です。
震災復興の一環で、同じ神戸の中でも長田区のように綺麗に整備された場所を見ていることもあり、「塩屋はどうしてごちゃごちゃのままなんだ……」と。
震災復興の過程を見ていると、つい他の町と比べてしまうものですよね。
森本
塩屋は道が狭く、お互いの距離が近い。だからこそ、いろんな人が自然と知り合いになる……という文化があるんですね。そうして独自のコミュニティが形成されている。
しかし、「もっと開発するべきだ」という声を、誰も何も反対しないまま受け入れてしまうと、いつのまにか望まぬ方へ大きく変わり、後戻りできなくなるかもしれない。
違和感と危機感を覚えた私は、旧グッゲンハイム邸の管理人になった同時期に塩屋という町を再認識する機会づくりを始めました。
なるほど。それが『塩屋百人百景』『塩屋百年百景』につながるのですね。
森本
このプロジェクトでは、塩屋に興味のある人と一緒に町歩きをするのですが、塩屋の高低差が激しい階段や坂道を面白おかしく紹介しているときに「地域資源が豊富なんですね」と言われたことがあって。
そこで、「こうして日常的にふれているものも地域資源と呼べるのか」とあらためて気がついたんですよね。
街中で当たり前のように見える海も山も、「地域資源」なのかもしれません。
森本
何も動かさず、もともとあるものを活かし続けていることが、地域資源が豊富だと言われる理由のひとつなのかもしれません。
森本
そこから、木版画家の西野通広さんによる「地図プロジェクト」や、すでにある町の特徴や習慣、変なモノ・コトを面白がり発信する「レディメイド・シオヤ」などを始めました。
素敵です!
森本
こうやってイラストレーターさんやデザイナーさんなど、クリエイターの方とお仕事をしているうちに、気づけばその人たちが塩屋に引っ越してきていたり、事務所を構えたりしているパターンが多いんですよ(笑)。
長屋から引っ越した後もやっぱり塩屋に家を構える……という人もいて。そこで、一緒に何かの活動を行うことで、まちづくりの活動が広がったりするんです。
塩屋の魅力に引き寄せられてやってきた人が、塩屋の魅力を発信する人になっていく。良い連鎖が生まれていますね。
「自分ごと」の幅を広げることが世の中を変える
町に関わる活動をするなかで、意識していることはありますか?
森本
ハード面を変えるのではなく、ソフト面に働きかけることを大切にしています。
見た目を大きくリニューアルしたり、無理やり何かを変化させたりしない、ということですね。
森本
僕がかつて住んでいたベルギーには、築100〜500年以上の建物が当たり前に立ち並んでいました。それを、住民が自由にDIYして住んでいるのを間近でみたり、実際に手伝ったりしていて。
だから、日本でどんどん新しい建物ができる様子を見ると、「壊さなくても使えるのにな」と感じるんですよね。
形ではなく、見方を変える。
森本
そうです。外見ではなく、中身を変えれば物事は新しくなります。
それに時代は循環しているので、昔はダサいと思われていたことも、今はかっこよく見えることってありますよね。昔から下宿や長屋はあったけど、それが今はシェアハウスというかたちで普及したように。
だから、今は見えにくくなっているものも、もう一踏ん張りすることでかっこよく見える日が来る。すでにある状況をもう少し広げて見つめてみることが、新しい価値の創造につながります。
私も塩屋に住む一人として、「ここをちょっと変えるだけで良くなるよ」「すでにあるものを活かせるんだよ」と伝えたいと思います。
塩屋にはもともと住んでいる方もいれば、引っ越してきた方もいらっしゃいます。町への想いも立場もさまざまかと思いますが、共創に必要なものは何でしょうか?
森本
私はよく「公私混同したらいい」と話しているんです。
でも、ビジネスの世界では「仕事とプライベートを分けよう」という意見が多いですが……。
森本
私のいう「公私混同」は、決してプライベートを犠牲にするといったことではなくて。一人ひとりが物事を“我がこと”にすることで、より良い社会が実現できるのかなと。
自宅の落ち葉だけでなく、路地の落ち葉までも「自分たちの住むところだから」と掃除できるようになる。それが、世の中を良くしていくことだと考えています。
現状を俯瞰して“我がこと”にする対象を広げることが、まわりと価値を創りあげることにつながるのですね。貴重なヒントをありがとうございました!
2024年2月取材
執筆:おのまり
写真:三好沙季
取材・編集:桒田萌(ノオト)