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学び直して、未来の飯の種を得る。34歳で大学院入学したアーティスト・市原えつこさんに聞く、仕事と学びの両立法

仕事の力はついてきたけど、なんだか物足りない。もっと専門的な知識をつけたい。できればもう一度、学び直したい――そう考えるビジネスパーソンのロールモデルになりそうのが、メディアアートの作家・市原えつこさんです。

すでに業界の第一線で活躍してきた市原さんは、2023年4月に東京藝術大学大学院に入学しました。34歳を迎えたタイミングで、あえて大学院に入学し、学び直すことを決意した背景には、どんな理由があったのでしょうか。入学してからの仕事への意識の変化、仕事との両立方法なども併せて伺いました。

―市原えつこ(いちはら・えつこ)
アーティスト/妄想インベンター。早稲田大学文化構想学部卒業後、ヤフー株式会社へインタラクションデザイナーとして入社。学生時代の卒業制作が社会人になってから話題となり、副業アーティストになる。2016年に独立し、アーティストのキャリアに専念。2023年に東京藝術大学大学院美術研究科(修士課程)先端芸術表現専攻に入学した。主な展覧会に「六本木クロッシング2022展」(森美術館)など。

学生時代の学びが、作家としての核を形つくった

メディアアーティストとして世界で活躍する市原さん。

美術大学ではなく早稲田大学文化構想学部で学び、会社員兼作家として活動されていましたが、アーティストとして独立するきっかけは何だったのでしょうか。

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市原

まず、大学卒業後の2011年にYahoo! JAPANへインタラクションデザイナーとして入社しました。

同時に、大学ではメディアアートのゼミに入っていて卒業時に作品を制作したのですが、それが会社員になってしばらくしてから話題となり副業アーティストになったんです。

腹を据えて自分の作品と向き合おうと決意して、2016年にアーティストとして独立しました。

卒業制作って、「セクハラ・インターフェース」ですよね。大根を撫でると、喘ぐ声が聞こえるという。

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市原

そうです。卒業論文と共に提出した作品です。日本のやたら豊かすぎる独自の性文化と、日本人特有のデバイスへのフェティッシュをかけ合わせたらどうなるのか、という好奇心から制作しました。

学生時代の学びは座学が中心で、作品を制作することがメインだったわけではありませんでしたが、当時突き詰めた考え方やテーマは、世界をどう捉えるかという課題意識と作品のコンセプトにつながって、作家としての核になりました。

「セクハラ・インターフェース」(2012)。メディアアートの分野で「性」の香りが排除されていることに疑問を持ち、「大根を撫でると喘ぐ」という作品として形にした(提供写真)

社会人生活において、アーティスト活動につながるスキルは身につきましたか?

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市原

マーケティング感覚が身につきましたね。アートに関係のない会社に勤めることで、「世の中の大半の人はアートに興味がない」ということを、良くも悪くも身をもって実感したんです。

その気づきを生かして、アーティスト活動では自分の作品に興味がない人にも振り向いてもらえるキャッチーな言葉やエンタメ的な要素を作品に取り入れるなど、工夫しています。

大学院受験は3度目。今、入学を決意した理由

今は東京藝術大学の大学院に在学中ですが、高校生の頃に「美大を受験しよう」とは思わなかったんですか?

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市原

受験はしたのですが、自分の適性がわからない状態で高い学費を払って入学すべきか悩んで、将来の見通しが立たないことから進学を諦めたんです。

情報が少ない地方の高校生だったこともあってその頃は視野が狭く、メディアアートという存在を知ったのも上京して大学に入学してからでしたね。

アーティストとして様々な展覧会などに参加された後、2023年に東京藝術大学の大学院に入学されます。どういう心境の変化があったのでしょうか?

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市原

30代半ばになり、社会人としての経験も積んだことで仕事もコントロールしやすくなったし、「今ならいけるかな」と思ったのがきっかけでした。「ちゃんとした美術教育を受けたい」という気持ちは学生の頃から持ち続けていたので、人生の宿題の回収をようやく始めたという感じです。

私の場合、20代の頃ならノリと直感と勢いでやれる仕事が多かったんですけど、中堅の年齢に差しかかるにつれて審査員など有識者としての仕事をいただく機会が増えてきて。

「専門的な知見をバックグラウンドにして仕事に取り組みたい」と思うようになったんです。

立ち入ったことをお聞きして恐縮ですが、受験の動機に、専門の大学を出ていないことに対するコンプレックスみたいなものはあったのでしょうか? 美大コンプレックスみたいな……。

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市原

大学時代は美大を進路として選ばなかった後悔がずっとありました。でも、卒業後にデザイナーとして就職できた時点で、そのコンプレックスは割と解消できていたんです。

また、独立前に第18回文化庁メディア芸術祭の審査委員会推薦作品などの賞に選出していただいたことや、結果的にものづくりが仕事にできたことで「別にいいや」って。

実績がつくことで、自信につながったんですね。

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市原

はい。……でも実は私、前年度に東京藝術大学の別の学部を受験しているんです。合格をいただいたのですが、今後の方向性を考えたときに自分の学びたい分野と違うかもと気付き、先端芸術表現専攻を今年受け直しました。

それに、会社員時代の2014年にも別の大学院を受験しているんですよね。当時は「やっぱり大学院に通うのは今じゃない」って思い直して見送ったんですけど。だから大学院は3回合格してようやく入ったんです。我ながら何をやっているんだという感じですが。

じゃあ、大学院に通いたいという気持ちは、ずっとあったんですね。

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市原

そうですね。常に最優先だったわけではありませんでしたが、何かの折に触れてたまに大学院への思いが顔を見せる状態ではありました。

今はメディアアートだけでなく、現代美術の領域にも作品を広げていきたいと思っているので、大学院生活でその礎を築きたいと思っています。

仕事と学業の両立で活用したもの

仕事と学業を両立していて、気が付いたことはありますか?

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市原

学びつつ稼ぐ日々は思った以上に大変だ、ということですね。学業ってやっぱり時間を取られるじゃないですか。でも、稼ぐことも時間がかかる。1人の人間が両方やるのって1番しんどいんです(笑)。

学ぶ時間を増やすと仕事を減らさなければならず、すると収入が減るというジレンマを抱えながら学生生活を送っています。

学ぶ時間を捻出するために、仕事の取り組み方で変化したことはありますか?

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市原

めちゃくちゃAIを使うようになりました。事務作業の大変さが軽減されるので助かります。

海外の人とやりとりするメール文の英訳や、作品にまつわる報告書を作る時も使っていますね。 通学時間にChatGPTを使って雛型をたくさん作っておいて、机に向かえる時に全部精査して送っています。ある程度叩き台があるだけでも、全然ストレスが違うからAI様様です。

仕事は、絞っているんでしょうか?

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市原

今は、大学院の研究テーマに繋がりそうな仕事を優先して選ぶようにしています。

大学院における私の制作テーマは「未来のディストピア」なので、例えば、企業の未来予知の仕事だったら役に立ちそう、という感じで。

課題に直接つながる仕事というよりは、より研究テーマを深められる仕事、ということなんですね。

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市原

そうですね。学生生活と全く関係のない仕事だと、頭を切り替えるまでに時間がかかっちゃうんです。それが自分にとってストレスになるとわかってからは、学業との関連性を重視しています。

仕事と学業の両立って体力的にもきついと思うんですが、そんな時はどうしていますか?

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市原

疲れはなるべく溜めないように、早めに温泉施設やマッサージ店に駆け込むようにしています。仕事や学業で追われていると、自分の体を労わることが疎かになって、結果的に生産性が下がってしまうので。

自分で学費を払うからこそ、授業では前のめりに

学生に戻ることで得られた刺激はありますか?

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市原

これまでの私の作品は、テクノロジーアートがほとんどで、複製しやすいがゆえに売りにくいという課題がありました。でも、大学のドローイングの授業の課題で1点物のアートブックを作った時に、解決の糸口が見つかったんです。

フリーランスだと、自分のできることを仕事として請け負いがちです。でも、得意分野じゃないことを学ぶことで、思わぬかたちでこれまでの仕事の問題を解決するピースをゲットすることもあるんだな、と思いました。その授業のおかげで、未来の飯の種が増えた実感があります。

大学院生活では、年下の学生と一緒に学ぶこともありますよね。戸惑いはありませんでしたか?

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市原

自分もまったく想像がつかなくて、最初は「現役作家と学生さん」という関係性になるのかなと思っていたのですが、最初に履修した選択授業が苦手分野だったので、年上だとかプロの作家だとかのプライドがボキボキに折れましたね(笑)。

それも前述のドローイングの授業だったんですけど、やっぱり高校からそのまま美大に進学してきた人たちは、入試課題でのトレーニングの影響か短い時間でぱっと仕上げることに慣れているんです。私は1年くらいかけて作品を作ることが多いので、短時間での制作が不得手で。

なので、むしろ「皆さんから学ばせてください」という気持ちで過ごしています。

ドローイングの授業で作成したアートブック(提供写真)

授業はどんな雰囲気で受けているんですか?

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市原

めちゃくちゃ質問しています(笑)。相手が教授だろうが学生だろうが、そこに垣根はないですね。学生の醍醐味って、質問権を得られることだと思っているので。ゲスト講師でいらしたアーティストに「メモ帳、何を使ってるんですか」と細かいことまで聞いています(笑)。

その背景には、「学費をできるだけ回収したい」という気持ちもあるんですけど。

社会人院生だと、自分で学費を払っている方が多いため「元を取ろう!」という決意は強いかもしれません。

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市原

一方で、大学院で勉強を始めると、それまで仕事としてお金をもらっていたことを無償で行うケースもあって、それは葛藤がありましたね。

例えば、展示のための設営や運営って作家だったらお金が発生する「仕事」なんです。でも、学生だから自分たちですべてやらなきゃいけなくて。そこに金銭は発生しないんですよね……。

「仕事として請け負ったら〇円もらえるのに……!」と悔しくなりますね(笑)。

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市原

そうなんです。学生から社会人になるのってわからないことだらけだったと思うんですけど、社会人から学生に戻るのも、やっぱりわかんないことが同じくらい多くて。戸惑うことはたくさんありますね。

先端芸術表現専攻の入学展示「INTRODUCTION EXHIBITION 2023」の様子(提供写真)

大学院での学びを経て形にしたいアートとは

今後は、博士号の取得も視野に入れているんですか?

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市原

やりたい気持ちはありますが、仕事と学業の両立を2年以上継続するのは大変だと感じていて……。進学するとしても、しばらくフルパワー社会人に戻ってからが現実的かなと思っています。

忙しい毎日が伝わってきます……! 大学院生活を経て、どんな作品を発表されるのか、今からとても楽しみです。

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市原

現在は、ディズニーランドならぬ「ディストピアランド」を作ろうと構想しています。具体的には、ある一定の世界や人物を妄想で作って、マップに落とし込もうかと……。

森美術館の「六本木クロッシング2022」で発表した作品『未来SUSHI』も、「100年後の“食”の未来」をテーマにディストピアの世界を自分なりに形にしたものでした。それをさらに発展させたイメージですね。

森美術館の「六本木クロッシング2022」で発表した作品『未来SUSHI』の一部
森美術館の「六本木クロッシング2022」で発表した作品『未来SUSHI』の展示の様子(提供写真)
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市原

先日、マカオのアートビエンナーレに参加した際、他国を代表するような現代美術分野の作家と交流をして、刺激を受けるとともに実力の違いも痛感したところです。

今後は、大学院での学びをもとに現代美術にもフィールドを広げつつ、彼らに負けないくらいの作家に成長していきたいと思っています。

2023年8月取材

取材・執筆:ゆきどっぐ
撮影:栃久保誠
編集:桒田萌(ノオト)