「進まない」というキャリアを決断した日
キャリアの選択とは、どうしてこうも難しいのかと思うことがある。
多様化が盛んに叫ばれる時代だからか、誰しもが自分らしさを追い求めて生き様を決めているように感じられ、その自分らしさとやらが見つからないことはあたかも「悪」だと誰かに後ろ指を指されているような気がしてならないからだ。
SNSを開いてみれば、古くからの友人が転職して新しい環境で活躍している様子が目に入るし、また違う友人の投稿からは独立して起業したという報告を知ることになったりする。そのたび、わたしは“ここ”に立ち止まっている、昨日と変わらない自分に嫌気が差すのだった。
そんなふうに変化のない自分にどうもモヤモヤしてしまうとき、わたしは過去の自分がくだしてきた“進まないという決断”に思いを馳せる。決して後ろ向きなんかではなく、明らかに前を向いてワクワクしながら選んできた「進まない」という道。それは、わたしの人生において、実は大切なものだったと今なら確信できるのだ。
わたしは、俗にいう「一般的なキャリア」からは大きく外れるかたちで人生を歩んでいる。たとえば、夢にまで見た憧れの大学に進学したのにもかかわらずたったの2年弱通っただけで中退しているし、その後に進学した専門学校すら在学中に興味を持って始めた文章の仕事が軌道に乗ったことを理由に再び中退し、フリーランスとして独立してしまった。
履歴書の経歴欄をとことん傷つけた挙げ句、結局フリーランスという生き方を選んだがために社会人になってから7年目を迎えるまで会社員として組織に所属したことすらなかった。たまたまそうなったというだけなのだけれど、周囲の人たちからは随分と不思議な人間だと思われてきたように感じている。
そんなわたしは、フリーランスとして文筆業に携わる傍らで、2022年10月からはとある医療系のスタートアップで正社員としても働きはじめた。その選択にとても驚いていたのは、わたし自身ではなく、むしろ周囲にいる仲の良い友人たちのほうだった。
「これまた、どうして大きな決断を?」
そう尋ねてくれる友人は、数え切れなかった。その問いかけになんら間違いはない。それなのに、わたしはそう尋ねられるたび、心のなかに小さなわだかまりを抱えていた。おそらくそれは「大きな決断とはわかりやすい変化を伴うもの」というイメージがついていることに対するものだった。
なぜなら、わたしにとって会社員になるという一見大事そうに見えるその選択は、ささやかなものでこそないものの、いうほど大きな決断でもないものだから。
その決断の背景には、人に話すことすらなかった「大きくて、ただし表には見えない“進まない”という決断」が、いくつもいくつも隠れている。そして、自分の人生にとっては、それらのほうが決して忘れることのできない、かけがえのない意思決定だったとすら思うほどに。
たとえば4年前、わたしは社員数が二人(当時)だけのちいさな会社への入社が決まっていた。そこはフリーランスとして働きはじめたばかりの頃から一緒にお仕事をしていた会社で、長いこと一緒に働くなかで「正社員にならないか」という話をいただいたのだ。
毎日のように顔を合わせていた彼らと働くイメージは十分に湧いたし、楽しみながら働けるだろうという直感もあり、最初に声をかけてもらったときは深く考えず「ぜひ」と即答した。
ところが、最終的にその就職が実現することは、残念ながらなかった。理由はいくつかあるが「今の環境に留まるほうが成長できる」と考えたことが大きい。
当時、わたしはフリーランスとしてとあるメディアの仕事に多くの時間を充てていた。メディア唯一の編集者として働ける環境だったそこは厳しいが、失いたくない大切な場所だった。
しかし、正社員をオファーされた会社に就職すると、そのメディアに関われる時間はどうしても少なくなる。平たくいえば、そのメディアからは離れなければならないという状況だった。
頭を抱えたわたしは、どうにかならないものかと試行錯誤を繰り返した。身近な人を中心にさまざま相談もした。どれだけの人の意見を聞いてもこたえが出ることはなく、永遠とも思えるほどの時間をかけてウジウジと悩み尽くしていたのだった。
そうして出したのが「進むことをやめる」という結論だ。正社員になるという道に進むことをやめ、フリーランスを続けるという覚悟を決めたのだ。
このこたえを出すまでの思考時間は、これまでのキャリアのなかでは最も長く、そして毎日涙を流すほどには苦しいものだった。過去の記憶がそれなりに美化されているはずの今思い返しても、当時の苦しみはキャリアにおいて他のできごとでは代替できないほどのものだった。
結果だけを見ると、わたしの選択は「変化しない」というものだった。そんな華のないアンサーは、表面のみをなぞるばかりだとなんの面白味も感じられないものかもしれないが、過去の自分に対して盛大に拍手を送りたくなるほどには良い決断だったと感じている。
環境を変えていたら経験できなかったであろう大きな仕事を任せてもらうことができたし、仕事の幅を一気に広げる経験もできたからだ。留まったことで見えた景色は想像できないほどに素晴らしいものだった。
キャリアについて考えるとき、私たちはついつい次に進むべき道だとか、停滞することが悪だという前提のもと考えを深めようとしてしまう。どういう変化をするのかばかりを考えてしまうのだ。けれども、本当にそれは自分らしい選択なのだろうか。
「詩乃は、なんのためらいもなく新しいことに取り組んでいくよね」
わたしを知る友人は、ときどきそんな言葉をかけてくれる。たしかに、キャリアや生き方を事実ベースでなぞっていくと、フットワーク軽く新しい世界に進んでいくようにも見えるのだろう。実際、足取りが重たい人間ではないのだとも思う。
けれどわたし自身、いつだって自分のキャリアには悩んでいる。存在するわけもないこたえを探して思考をめぐらせ、頭を抱える日々だ。そんなとき、自分に問う。「ここに留まるという選択肢も、あるよ?」と。
変化をすることは、わかりやすいキャリアのターニングポイントになり得る。ただ、それと同じくらい、留まることもキャリアの選択のひとつであり、案外そういう道を選ぶことで得られるものは多いだろう。
その選択肢を選び取るのにはそれなりに勇気がいるし、変化しないという選択は、時として変化に身を委ねることよりもハードモードだ。けれど、留まることで体験できる喜び、達成感、そういったものは思いのほか多い。
人には見えやしない「進まない」という決断。決して華やかではない選択だけれど、それだってひとつの大きな岐路なのだ。納得して選んだ道なのであれば、それは必ず私たちの礎になってくれているはずだから。少なくともわたしは、そういう決断だって愛して生きていきたいと思っている。
執筆・撮影=詩乃
編集:鬼頭佳代(ノオト)