木彫職人の技術と現代の暮らしの最適な関係を探る。富山県南砺市・井波から生まれた新たな仕組み(山川智嗣さん・後編)

伝統文化を守り続けること、そしてそれをビジネスとして成立させることは決して簡単ではありません。しかし、生まれ故郷でもない土地で、その実現に挑戦している人がいます。
2016年、富山県南砺市井波に職人に弟子入りできる宿「Bed and Craft」を開業した山川智嗣さん。2024年には、職人集団「井派(IPPA))」を新たに設立し、新人職人の未来まで見据えた仕組みをつくりながら、着実に歩みを進めています。
「ものづくりのまちに生きる人々に可能性を感じた」。そう語る山川さんと一緒に「現代人のものづくりとの最適な関わり方について考えていきます。

山川智嗣(やまかわ・ともつぐ)
富山県生まれ。明治大学理工学部建築学科卒業。日本一の木彫刻のまち富山県南砺市井波にて「お抱え職人文化を再興する」をコンセプトに、ものづくり職人と新たな価値を創造するクリエイティブ集団・コラレアルチザンジャパンを運営。日本初の職人に弟子入りできる宿「Bed and Craft」は、2024年ミシュランキー「セレクテッド」に認定。「世界を動かす45歳以下のカルチャープレナー(文化起業家)30組」(Forbes Japan)に選出。ジャパンツーリズムアワード観光庁長官賞、グッドデザイン賞(岩佐十良審査員特別賞)など受賞。
宿を通じて職人の仕事を伝える
前編で、職人に弟子入りできる宿「Bed and Craft」の設立は、木彫刻家・田中孝明さん、漆芸家・田中早苗さんご夫婦との出会いが大きかったと伺いました。


山川
はい、おふたりの作品が本当にすばらしくて、多くの人に知ってほしいという想いがとにかく強くて。けれど、今の日本では、アーティストとして大成する道は非常に狭いのが現状です。
よくあるのは東京芸術大学などの芸大を経て、卒業制作展で賞を取り、その後、都心のギャラリーで発表する……という流れです。


山川
一方で、井波の彫刻職人は高校や中学を卒業後、親方に弟子入りし、「年季(ねんき)」と呼ばれる修行期間を5年間過ごす。そして、このまちで自分の工房を開き、職人兼アーティストとして活動するのが一般的です。
彫刻職人の仕事は社寺建築などで使われることが多く、建築関連の会社や本店などBtoBの依頼が中心となります。


山川
そのため、普段はエンドユーザーの方々に自分の作品を見てもらう機会はほとんどないんです。田中さんご夫婦も、まさにそういうタイプでした。
彼らの作品をもっと多くの人に知ってもらう方法を考えたとき、この宿がメディア的な役割を果たせるのではないかと思いました。


山川
田中孝明さんは、宿に飾ってあるアート作品を海外のお客様から高く評価され、香港で個展を開いたり、世界三大アートイベントの一つであるスイスの「アート・バーゼル」に招かれたりしています。
こうした海外での評価がきっかけとなり、銀座での展示にもつながるなど、逆輸入的なかたちで、日本国内でも知っていただく機会が増えていきました。


山川
僕は、職人を子どもたちが憧れる職業にしたいんです。
いつも一緒にお仕事している職人さんたちには、「フェラーリに乗せる」とよく話しています。自分のまちでフェラーリを乗り回す職人がいたら、きっとその仕事に憧れる子どもも出てくるはず。
ちょっと極端かもしれませんが、職人をそれくらいの経済力を持てる職業にしたいですし、それほど価値のあるものだと思っています。
シンパシーが大切。滑らかに共有されるビジョン
山川さんの今の取り組みでは、職人さんとのつながりが大切になってきそうですね。


山川
出会いは、すべて紹介なんです。建物が増えていく中で、いろんな職人さんを紹介してもらって。
話している中で、「シンパシーを感じる」と思えた方々と協業しながら進めていっています。
その結果、彫刻家や漆芸家、作庭家、仏師など、多種多様な分野の職人さんと一緒に活動しています。

どんな方と「合う」と感じますか?


山川
短期的な儲けを最優先に考えている方とは、なかなか合わないですね。現状、私たちが提供する職人体験だけで食べていくことはまだ難しいので。
しかし、職人たちは宿泊者が実際に工房に足を運び、作品に対して「いい」「悪い」といったフィードバックをしてくれることを喜んでくれて。自分の作品に対する反応を欲していたんですね。
そうやって双方向な関係性を長期的に築いていける方々と、これからも一緒に取り組みを続けていきたいですね。
そんな山川さんが地域の人々を巻き込むために大切にしていることはありますか?


山川
小さなネットワークを作りながら、「地域のあり方ってこうだよね」「こういうものを作りたいよね」というビジョンをしっかり見せていくことを大切にしています。
世の中に発信していくことで、生きたお金がちゃんと巡る。そう信じて、その方向性で活動しています。
オーナーシップ制度で、地域との“関わりしろ”を増やす
そのほかの仲間の増やし方についても教えてください。


山川
最近は、オーナーシップ制度を採用しています。自社ですべて投資するのではなく、個人の投資家や法人に物件を所有してもらい、改修費を出してもらいながら、私たちが設計から運営までワンストップで行うビジネスモデルです。
まちを歩きながら「あの空き家、こうなったらいいな」と言っていると、実際に、100人に1人くらいは「それやってみようかな」と思ってくれる方が現れるんですよ。

どんな人がオーナーなんですか?


山川
もともとお客さんだったオーストラリア人の方や、上海でビジネスをやっていた頃のパートナーだった方もいますね。
あとは、沖縄の大手旅行会社「沖縄ツーリスト」がサポートしてくれるなど、多様なバックグラウンドを持つ企業と人が関わってくれています。


山川
単純な不動産投資というよりも、その地域との“関わりしろ”を増やしたいという思いを持つ人が来てくれます。
僕は「関係人口」という言葉が、実は少し苦手で。むしろ「関係資本」という言葉の方がしっくりくると個人的には思っています。
それはなぜですか?


山川
関係人口というと、どうしても「毎年通わなきゃいけないんじゃないか」などのプレッシャーを感じることがありますよね。
ですが、もっと自然に、自分の出身地ではなくても、「ここにならお金を投資してもいい」と思える関係性を築ければいいのではないかと思うんです。
“関係資本”を意識すると、柔軟な関わり方をしながらも、地域の可能性を応援できそうです。


山川
お金を出資してもらい、協議しながら進めていきますが、もちろん赤字にしないように注意しながら、きちんとリターンを提供します。
ただ、5年で回収しますという短期的な目線ではなく、次の世代にどう残すかをロングスパンで考えてくださる方が多いですね。
「お抱え職人文化」を継承する

山川
職人ファーストであること、これはずっと変わらない考えです。当社が掲げるビジョンの一つに「お抱え職人文化を再興する」があります。
今、地域を支えてきた職人文化が、人口減少などの影響で危機に瀕しています。でも、デジタルやDXの時代だからこそ、井波にすばらしい職人がいることを国内外の人々に伝えることができる。そういう仕組みをどう作っていくか、さまざまな実験をしています。
お抱え職人がいる暮らし……。あまり、考えたことがなかったです。


山川
皆さん、人生の中でいくつかのターニングポイントがあると思います。
たとえば、新しく家を建てるときやリノベーションするとき、子どもが生まれたときなど、特別な瞬間。お抱え職人がいれば、そうしたタイミングで既製品から選ぶのではなく、一緒に職人と作り上げるという選択が可能です。


山川
そういう職人がいること、まだこの文化を継承していけることをもっと多くの人に知ってもらいたいです。
彫刻のまち・井波には身の回りのものを手作りしたり、職人に手伝ってもらったりする文化が残っているのでしょうか?


山川
そうですね。お祝いや記念日になると、みんな自分で作ったものをギフトとして持ってきてくれます。それを見ると、やっぱりいいなと感じますよね。
ものを修理して長く使い続けるなど、愛着を持ってものを使うという考え方はとても大切です。SDGsという考え方が広がってきた今こそ、この価値観を日々の暮らしに取り入れてほしいですね。

“繋ぎ手”として、オーダーメイドでものづくりの最適化を目指す
10年目を迎えるにあたって、企んでいることはありますか?


山川
井波は小さなまちですが、他の地域の憧れとなるような、特別な場所になれたら嬉しいです。
私たちが取り組んできた地域資源を活用した新しいビジネスモデルの構築は、他の地域へ横展開できる可能性があると感じています。今も少しずつですが、別の産地でも復興支援や地域活性化のお手伝いをさせていただいています。
すてきですね。井波のものづくりの未来についてはどのように考えていますか?


山川
ものづくりの世界には作り手と使い手という立場に加えて、「繋ぎ手」がいると考えています。私たちの役割は「繋ぎ手」です。
クリエイティブディレクターなど「繋ぎ手」の職能を持った人たちは、どうしても都会の大手企業に行きがちですよね。
その結果、東京には使い手と繋ぎ手はたくさんいますが、作り手はほとんどいません。全国で、その数をならしていくといいのではないでしょうか。


山川
実は地方こそ、課題がたくさんあり、やりがいのある仕事があるんだと、もっと気づいてほしいと強く思っています。
次の10年は、そういった価値をしっかり伝えていく期間になるのだろうなと思っています。
そうなった先にはどんな世界を期待しますか?


山川
旅に出かけることも、物を買うことも、もっとたくさんの選択肢から選べる、自分らしくオーダーメイドできる世界ができたらいいなと思います。
今は大量生産・大量消費ではなく、最適化の時代。井波から、そんな価値観や仕組みを発信していきたいです。
2024年にスタートした職人集団「井派(IPPA)も、それを実現させるためのひとつの方法なのでしょうか?


山川
そうですね。「IPPA」は、いわゆる彫刻職人の組合ではなくて、彫刻のまち・井波の文化を継承させるためのグループとしてのプロジェクトです。
これまで一緒にやってきたプロダクトデザイナーや、Webエンジニア、フォトグラファーなどにも参加してもらっています。
IPPAに入る職人たちにはどんなメリットがありますか?


山川
一昔前は、親方に仕事があり、弟子も安定したお給料がもらえていました。しかし近年、職人のもとで修行をしても、独立するほどの仕事がなくて諦めてしまうケースが多くなってきていて。
そこで、現代のライフスタイルに合った製品開発を一緒にしながら、収入を得てもらう仕組みを作れないかなと考えました。

現代のライフスタイルに合った製品というのが素敵ですね。


山川
はい。基本的に、製品はすべて受注生産。ECサイトで気軽に注文してすぐ届くのではなく、数カ月間楽しみに待ってもらうスタイルを提案しています。
IPPAに所属する彫刻師が製品のクオリティコントロールをしており、新人の職人さんも腕を磨きながら生計を立てられる仕組みです。
改めて、井波彫刻らしさとは、どのようなところにあると思いますか?


山川
まったく同じものは作れないことは大きな特徴ですね。逆に言えば、「この人に作ってもらいたい」という想いが生まれやすいんです。商品の“ゆらぎ”もデザインの一部として楽しんでいただけたらと思います。
今、若手の彫刻師には作品の裏に落款を入れてもらっています。将来的にその彫刻師が有名になれば、価値が上がるかもしれません。そういう期待感も楽しんでいただければ。


山川
これまで先人たちが脈々と築いてきた、約600年の井波の歴史、その中で約250年続いてきた彫刻文化。僕たちは、その積み重ねの上に成り立つ文化をお借りし、商売の基盤にさせてもらっています。
だからこそ、先人たちへ還元し、文化を未来へと繋げていかなければいけません。


山川
今、若い起業家たちが井波に集まってきています。たとえば、地域でずっと廃棄されていた干し柿を使ったビールを世界で初めて作るなど、彼らは誰にも教えられることなく、ナチュラルに自分の職能を使って地域課題を解決するんですよね。
彫刻の職人に弟子入りしている人も9割くらいは県外出身者です。そんなことからも、この地域の開かれた姿勢が伝わるはずです。
常にチャレンジし続けられる環境を井波に残していきたい。今、そうした想いがいいかたちで繋がっていると感じます。

2025年3月取材
取材・執筆=岩井なな
撮影=大木賢
編集=鬼頭佳代/ノオト