働き方研究者がおすすめするビジネス書 ― 幸福学編
はじめに
「働く」に関する社会の関心・課題は時代とともに変化し続けてきました。近年、日本では働き方改革が大きなテーマとなり「生産性の向上」を求め、いまやパンデミックをうけて改めて「安心、安全」が見直されています。社会で起きている変化と、働く人々やライフスタイルの在り方を見つめながら「働き方」を考えていきます。
働く場においてもオフィスだけでなく、私たちが生活する空間すべてにおいて、健康でいきいきとした人間らしい働き方や過ごし方ができることが、今の時代に問われています。この連載では、これからの働き方や働く場を語るうえで考えるべきテーマをもとに、参考になる書籍を「働き方」の研究者が選定し、ご紹介します。
今回のテーマ : 「幸福学」に関する書籍
『ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 幸福学』
編 ハーバード・ビジネス・レビュー編集部
訳 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部
発行 ダイヤモンド社 2018年11月7日
この本のおすすめポイント
- 定まらない基準を文化、歴史、心理学、経営、組織の観点から解明する
- 個人の「しあわせ」と組織の「幸福」の尺度はどんな違いがあるか分析
- 「しあわせ」を欧米の人はどうとらえているのか事例を挙げて説明する
- 心理学から見た「幸福」と「不幸」の違いは何かを解説している
- 「仕事における幸せ」や「モチベーション」を向上させる方法を考えられる
「幸福学」を英語ではWellbeing Study、Happiness Studyなどと呼ぶのですが、日本では「幸せ」と「ハッピー」とで少しニュアンスが違います。「幸せ」は長い時間の中での豊かな人生を指しますが、「ハッピー」は楽しい気分など短い時間の心理状態を指します。
本書では、はじめに「幸せに働く時代がやってきた」として欧米社会における「働く」と「幸福」を日本と比較しながら、この命題に対する概要を解説しています。
「幸せ」には歴史があり、国によってその定義が違うのを知っていましたか?西洋文化は18世紀までは「喜びや悦楽を享受することなく、いくぶん悲壮を装い、禁欲に身をおく」ことが良いとした考えが主流でした。一方で18世紀末に「啓蒙思想」が広まると「笑うアメリカ人」がステレオタイプとなりました。
その後、経済発展により豊かな消費生活が実現するようになって高収入や社会的地位が「幸せ」の基準となっていったのです。さらに「コンシューマリズム」(消費者主権運動)の台頭で製品と幸福を結び付けて考える風潮が高まります。
現代では多様性が重視され、物や経済に基準を置くだけの世界とは言えなくなりました。しかし、いまだ幸福の基準は定まってはいないのが現実です。毎日の食べるものに困窮し、本質的な生命の危険から逃れようとしている地域もあれば、食料を年間6百万トンも捨てている日本のような国もあります。
ビジネスにおいても報酬の為だけではなく働く目的やキャリアの在り方が見直されてきています。これは、そんな注目の話題に関するEI関連(感情的知性関連)の論文や記事を心理学、経済学、経営学の観点からテーマごとに紹介している書籍です。特にアメリカにおける「幸福学」が中心となって展開されています。
『ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 幸福学』の読後感は?
「幸せな国」としてブータンが良く話題に上りますが、決して経済的に豊かとはいえません。でもブータン国民は「国民総幸福量」調査で「一日三食たべられて、寝るところがあって、着るものがあるという安心感」を大事にしていました。幸福度という指標も世界各国に多数あって「我が国こそ幸福度世界一」という国がいくつもあり、その概念の多様さに驚きます。
ブータンのように医療、教育が無償で平等に提供され厚い信仰心があり、国民の一人ひとりが幸福になることで国家も幸福になるという「人中心」の考え方は良い事だと思います。それなら企業も「人」が幸せならばもちろん「会社」も幸せになるのでしょう。「人と国家」「人と会社」ではどう違うのでしょうか。その事も「幸福学」で解明していかないといけない問題です。
『幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで』
著 長谷川 宏
発行 中公新書 2018年6月25日
この本のおすすめポイント
- 日本の幸福論の基本概念と西洋の幸福論の歴史を丁寧に解説
- 古代ギリシャ・ローマ時代から現代までの哲学者や心理学者が考える幸福論を紹介
- それぞれの時代に生きた人々の、日常にあった幸福論を生活や文化・文学から紹介
- ソクラテス、アリストテレス、アダム・スミスなどの論文から古代の幸福論を探る
- メーテルリンクの青い鳥やバートランド・ラッセルの幸福論も取り上げる
「幸福な人生」、「幸せな境遇」このような言葉を聞くと人々は、なんとなく「幸福」や「しあわせ」を理解した気になります。さらにヨーロッパおよびアメリカとアジアを比較すると、文化、地域、宗教、時代によってその概念は異なるようです。この書籍では、そうした例として、日本の幸福概念と西洋における歴史上の幸福感の変遷を紹介しています。
江戸時代中期の与謝蕪村の絵から、「静かで身近な幸せが基本」と日本の幸福感を紹介。欧米の幸福論として、第一章では古代ギリシャ・ローマでの幸せの在り方を紹介しており、「周りの人々が、その境遇をうらやましく思う事実」が人の幸福感へとつながっていたとしています。続いて第二章は西洋近代の幸福論、第三章は二十世紀の幸福論、終章は、幸福論の現在と政治、経済、文化によって揺り動かされる、心のせめぎ合いを解説しています。
日本人の「静かで身近な幸せ」の基本概念。 神の存在が中心だった、西洋中世期の考え方。そして 、政治・経済が発展を続ける一方で真の豊かさを探し求める人々の宗教や自然崇拝。日本と西洋の幸福に対する基本概念の違いが詳しく解説されており、理解を深められます。
『幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで』の読後感は?
私は、初めにご紹介した「幸福学」を最初に読んでから幸福論について興味を持ちはじめました。それから「エンゲージメント」や「モチベーション」と通じる部分で哲学としての「幸福とは何か」を読み、思った以上に広い範囲の解説と論旨の深さにびっくりしました。心理学や哲学における解説では歴史についての記述もありましたがここまで詳しく記述していなかったので理解できなかった部分も、視点を変えて分かり易くかつ丁寧に書き込んであり楽しみながら読むことができますのでとても勉強になりました。
おわりに
時代の価値観の違いで「しあわせ」は変化していきます。日本人は「静けさ」と「平穏さ」が基本だと書いてあり仏教や採集農耕民族の影響ではと感じてしまいます。『幸福学』では欧米でのキリスト教の影響を否定していません。時代が変化するにつれてその価値観も変化し年齢によっても幸福感は異なってきます。
今回の二冊は、『幸福学』の欧米と『幸福とは何か』の日本が対極して書かれており比較検討して読み比べてみると面白く、自分がどちらの見方をしているのか確認するのも一つの読み方ではないかと思います。
著者プロフィール
ー田尾悦夫(たお・えつお)
株式会社オカムラ ワークデザイン研究所 研究員。企業のオフィスや金融機関店舗のスペースデザインを長年、現場中心に携わり、クライアントと一体となる空間づくりを心掛け、支援する。その後、オフィス構築のノウハウを生かし、人々の「モチベーションやウェルビーイング」を主軸にこれからの「働き方」の研究に従事。 また、研究活動の傍ら「オフィス学会」、「ニューオフィス推進協会」、「日本オフィス家具協会」など多くの関係団体で研究や教育研修、関連資格の試験制度の運営にも携わることで、業界全体の啓蒙活動にも積極的に活動している。
2021年5月25日更新
テキスト:田尾悦夫
イラスト:前田豆コ