働き方改革の中で、私たちは何に向き合うべきか―組織論、経営戦略論を研究する経営学者・宇田川元一さん
働き方改革がさまざまな場所で叫ばれるようになった今、多くの企業では小手先の対策ではなく「組織自体の在り方の見直し」が問われています。これから私たちは、皆が気持ちよく伸びやかに働ける環境を実現するために、企業社会の中でどのような組織づくりを目指していけばよいのでしょうか。組織論、経営戦略論を研究する経営学者である宇田川元一さんにお話を伺いました。
前編では「なぜ今、企業は変革を求められているのか?」という問いを主題に、その背景にある時代と人々の変化や、働き方改革で解決されるべき課題の本質について、語っていただきました。
現在は「不信と民主化の時代」? デジタル革命がもたらした価値観の変化
WORK MILL:宇田川先生は組織論の研究者として、古今東西のさまざまな組織づくりの事例に触れられてきたことと思います。
昨今は働き方改革をはじめ、企業が“組織の変革”を求められる機運が高まってきました。これほどまでに組織の変革が叫ばれるようになった現在を、先生はどんな時代だと捉えられていますか。どのような社会の変化があって、私たちは変革の必要性を訴えるようになったのでしょうか。
宇田川:大きな社会の変化の中で「今がどんな時代になったか?」という問いに答えるとするならば、今は「不信の時代」です。別の表現をするならば「民主化の時代」とも言えますね。
―宇田川元一(うだがわ・もとかず) 埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授
1977年東京都生まれ。長崎大学経済学部准教授、西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より現職。専門は経営戦略論、組織論。社会構成主義を思想基盤としたナラティヴ・アプローチの観点から、イノベーティブで協働的な組織のあり方とその実践について研究を行なっている。
WORK MILL:「不信」と「民主化」というのは、同じような意味合いなのですか?
宇田川:同じようには聞こえませんよね。でも、根底でこの2つの言葉は繋がっているんです。
ここ数十年で社会に最も大きなインパクトを与えた出来事と言えば「デジタル革命」、情報技術の飛躍的な発達が挙げられます。インターネットが一般に普及してから、生活者は「欲しい」と思った情報に、簡単にアクセスできるようになりました。
すると、私たちの行動はどう変わったか? おそらく昔に比べて、医者の診断を心から信じられる人は減ったし、家電量販店で押しの強い店員に言われるがままにモノを買う人は、ほとんどいなくなったでしょう。
WORK MILL:それは、自分で情報を調べて検討できるようになったから?
宇田川:そうですね。インターネットの登場以前は、特定の分野についての詳しい情報を持っている人というのは、非常に限られた存在でした。一般に、売り手が買い手よりも知識と情報を持っている構造を、「情報の非対称性」と言います。
インターネットの登場により、これまで見えにくかった情報の可視化が一気に進みました。そして同時に、「情報の非対称性」に守られていたさまざまな構造が、大きく揺らぎ始めます。
WORK MILL:ほかに比較できる情報がないから信用できていたものが、情報を得られるようになったことで、信用しきれなくなってきたと。
宇田川:その対象が、モノの買い方だったり、会社の在り方だったりするわけです。今まで疑う余地もなく絶対的に信じてきた物事については、相対化された瞬間から「本当は間違っているのではないか?」という考えが出てきます。ここで「相対化」と「不信」が繋がってくるんです。
大きな物語が崩れ、主体性を求められている私たち
宇田川:既存の価値観が相対化されたことで、多くの人々がさまざまな物事に不信感を募らせています。一方で、そんな不信の時代にこそ求められているのが「民主化」なのです。
WORK MILL:民主化、というのは?
宇田川:簡単に言うと「一人ひとりが自分の行動や判断に、より責任を持たなければならなくなってきた」ということですね。当事者として参加を求められる必要が出てきました。
WORK MILL:情報が得やすくなったことで選択肢が増えた。そして、選択肢が増えたことで、自分の選択に対する責任も増していると。
宇田川:ちょっと思想的な話をすると、哲学者ジャン=フランソワ・リオタールは、1970年代後半以降を「ポストモダン」の時代だと表現しました。彼によれば、物事の真偽や良し悪しの基準となっていた「大きな物語」(モダン)が終焉を迎え、それに対して不信感が高まると同時に、さまざまな物語が可能な状態である相対化の時代がポストモダンの特徴だと。
WORK MILL:まさに、今のような時勢を言い表していますね。
宇田川:良くも悪くも「これさえ信じていれば大丈夫、うまくいく」という物語が崩壊してしまった今、人々は代わりにすがれるものを探しているんですよね。しかし、一方で皆、当事者として責任を持つことは、怖いんです。
WORK MILL:怖いから、また何かにすがりたくなる。
宇田川:けれども、あらゆる物事が相対化される世界には、過去のように絶対的に信じられる物語は、もういくら探したって見つからない。無理に何かにすがろうとして、ウソみたいな物語を信じてしまったりもするけれど、それがウソっぽいこともどこかで知っている。そんな風にもがいている人たちのイライラやモヤモヤが、社会全体に漂っている……今の日本はそういう状況じゃないかなと、私は見ています。
他人事の働き方改革=「何もやっていない」
WORK MILL:物事の相対化によって生まれた「不信」が、昨今の「企業が組織の変革を求められる機運の高まり」に繋がっている、と見てよいのでしょうか。今まで信じられてきた企業の在り方に疑問を抱く人、あるいは問題点に気づく人が増えてきたと。
宇田川:そうだと思います。旧来的な企業のヒエラルキー(≒階層組織)は、相対化によって上手く機能しなくなっている。そして「じゃあ、これからどんな組織にしていけばいいのか?」という、その先の物語を紡げていない。
WORK MILL:その先の物語は、私たちが主体的につくっていかなければならない?
宇田川:そうなんです。しかし現実では、現場の人間は「経営者が悪い」「上司が悪い」と愚痴をこぼし、上層にいる人間も「現場が悪い」とぼやくだけで、先に歩めていない企業が少なくありません。皆、それぞれの立場で不満が溜まっている。溜めるばかりで、それが語られ、共有されることはないんです。
WORK MILL:個々の「民主化」が進んでいないのですね。
宇田川:この「皆がそれぞれの立場で不満を溜めている」という構造は、働き方改革の現場にもよく見られます。やれと言われて取り組んではいるものの、現場の人間たちの多くは「残業時間を減らして、リモートワークを増やして、女性管理職を増やすことが、果たして働き方改革なのか?」「これは何のため、誰のためにやっているのか?」と、疑問に思っている。
やらせている側も、もっと上から「やれ」と言われたから、それに従っているだけだったりする。それがどんなに言葉で上っ面を覆い隠しても、実は明確に下にはやる理由を持っていないことが伝わっている。だから、現場レベルでも身の入った取り組みに繋がらないのです。
WORK MILL:そういう構造が何重にも重なっていると。
宇田川:ここで問題になるのは、それぞれの立場の人間に「何をしたいのか、組織をどうしたいのか」という問いがないことです。言い方を変えれば、そうした問いを持つことができれば、今は「新しい組織の形」を自分たちでつくっていけるチャンスに恵まれた時代です。これまでの組織では上の人間しか持ち得なかった権限が、実質的に情報の非対称性の低下によって、皆に下りてきているからです。
しかし、権限を行使するとなると、そこには責任が生まれます。「やれ」と言われるのはイヤだけど、「じゃあ自己責任でご自由にどうぞ」と言われると、責任を負いたくなくて変革の当事者になることを避けてしまう。人間ってね、ズルいんですよ。時代や社会の変化に、まだ人のマインドがついていけていない側面があるんです。
WORK MILL:結局、そこで働く人たちの主体性がないままに働き方改革を進めても、それは「やらされている」だけで、何も変わらない?
宇田川:そう、自分の会社のことなのに、他人事のまま数値だけ追いかけて終わってしまいます。「他人事でやっている」とは、「やっていない」のと一緒ではないでしょうか。
それは質的な問題? それとも量的な問題?
WORK MILL:働き方改革の中では、各企業が国や自治体の指導の下で「残業時間削減」「有給休暇取得推進」を目指し、具体的な数値目標を設定しているケースが多く見られます。取り組む企業側に主体性がないと、こうした数値目標を達成しても、やはり本質的な問題の解決には至らないのでしょうか。
宇田川:意味がない……とまでは言い切れませんが、あまり効果的ではないでしょう。これは一元的に「質的な問題」を「量的な問題」に置き換えている、という状況です。
「量的な問題」とは、どこに問いがあるのかが明確な問題です。「1+1は?」と問いが立っているから、答えを量(≒数値)に還元できる。量に還元できる問題は、具体的な方法を用いて達成することができます。
一方で「質的な問題」とは、そもそも問いが何なのかが明確でない問題を意味します。「なんか最近、会社がイケてない」「従業員が働きにくそう」など、ざっくりとした課題感ですね。質的な問題については、まず「問題の原因はどこにあるのか?」「そもそも何のためにこれをやろうとしているのか?」と、自分たちで考える必要があります。
WORK MILL:いま、働き方改革が解決しようとしている組織の課題は、「質的な問題」の方が多いように思えます。
宇田川:本来なら働き方改革は、各企業が自らの抱えている組織上の課題と真摯に向き合い、それぞれ独自に目標を設定していくべきものです。当たり前の話ですが、抱えている問題は企業によって千差万別ですから。
「見えないことにしてきた問題」と向き合うべき時がきた
宇田川:少しは話は変わりますが、1978年にノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモンは「人間の認知領域には限界がある」と主張しました。これ、平たく言うと「人間はバカだ」とおっしゃっている(笑)
素朴な経済学では、人間が「常に完全情報化における合理的な判断で動くこと」を想定して理論がつくられたりするのですが、現実はそうもいかないですよね。向けられる注意には限界があるし、だからこそ思いつく選択肢も限られてくる。
理想を突き詰めるのは無理だから、せめて「認知できる範囲、思いつける範囲の選択肢で満足しよう」と考えるのが人間だと、サイモンは指摘したのです。これを、「満足化基準」と言います。
WORK MILL:その考え方、思い当たる方は多いと感じます。
宇田川:これに加えて、心理学者のレオン・フェスティンガーは「人間は現状で認知できている範囲の外側について、むしろ積極的に見ないようにしている」と言いました。つまり、「人間は今の自分にとって都合のいいものしか見ない」と。
現状の認知と新たな認知の間に矛盾が生じている状態を「認知的不協和」と呼びます。この状態の不快感から逃れるために、人は都合よく新たな認知の解釈を変えてしまったり、「そもそも気にすることじゃないよね」と見なかったことにしたりする。これは、平たく言うと「人間は愚かだ」ということですね(笑)
WORK MILL:なんだか耳が痛くなってきました……。
宇田川:先ほどの話に繋げていくと、「質的な問題」について考えるヒントは、実際に会社の現状と向き合えば、たくさん見つかるんです。「最近、メンタルで休む人が増えてきた」「退職者が増えてきた」「KPIは達成してるのに売り上げが伸びてない」などなど。
でも、皆そういう部分と向き合うのが、心のどこかで面倒だと感じている。だから本質的な問題は「見えない」ことにして、手っ取り早く取りかかれる「量的な問題」にすり替えてしまったりする。
WORK MILL:なるほど。
宇田川:私たちがこれから組織、共同体をよりよい場所にしていくためには質的な問題……言い換えれば、「多義性の問題」と向き合わなければいけません。「多義性の問題」というのは、立場によって多様な状況の定義が可能なため、“正しさ”がぶつかりうる問題です。
一筋縄には解決できないこれらの問題と向き合うためには、私たちが今まで意識の外に置いていた物事や人にも目を向け、新しい認知のフレームをつくる必要があります。認知的不協和を認め、その問題を自分たちで打破していくのです。
そして、この「新しい認知のフレームをつくる≒今まで避けてきた物事や人と向き合う」ために不可欠になってくるのが……私が専門領域として取り扱っている「対話」なんです。
前編はここまで。中編は、今の企業に必要な「対話」とは一体どんなものなのか、詳しくお話を掘り下げていきます。
参考文献―話題に上がったトピックについてさらに詳しく知りたくなったら
- 質的問題と量的問題
カール・E・ワイク(遠田 雄志 訳,『組織化の社会心理学 第2版』文眞堂) - 「情報の非対称性」について
ケネス・J. アロー(村上 泰亮 訳,『組織の限界』筑摩書房) - 「ポストモダン」について
ジャン=フランソワ・リオタール(小林 康夫 訳,『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』水声社) - 「認知限界」「満足化基準」について
ハーバート・A・サイモン(桑田 耕太郎 訳,『経営行動』ダイヤモンド社) - 「認知的不協和」について
レオン・フェスティンガー(末永 俊郎訳,『認知的不協和の理論―社会心理学序説』誠信書房)
2018年11月13日更新
取材月:2018年9月