第12話「ブラック」から「ホワイト」へ
働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による連載コラムです。働く場や働き方に関するテーマを毎月取り上げ、『「〇〇」から「××」へ』という移り変わりと未来予想の視点から読み解きます。
ブラック企業
♪黄色と黒は勇気のしるし 24時間戦えますか♪ 皆さんご存知の栄養ドリンクのCMソングがテレビで流れていたのは1989年頃のこと。当時は24時間バリバリ働くことが当たり前。モーレツに働く企業戦士を世の中あげて賞賛していた時代が我が国にはあったのです。ところが今では、働きすぎ・働かせすぎはご法度。いやはやたったの30年で世の中変われば変わるものです。
ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』など。
今政府主導で働き方改革が推し進められています。過労死の問題はどうしても解決しなければならないことですから、改革の議論が長時間労働の抑制に向かうのは致し方ありません。ですが、一人あたりの労働生産性が低い日本にとって、労働時間の適正化だけで改革を終わらせてはなりません。他にも改革すべきことがあるように思えるのです。改革を国まかせにしてはいけませんし、勤めている企業に委ねてもいけません。すべての働く人に関わることなのですから、一人ひとりが「働く」ことを考えていかなければなりません。というわけで今回のテーマは「働き方」。将来の自分の働き方はどうなるのか、そうしたいのかを考えるきっかけになれば幸いです。
でも「働き方」って何でしょう。さらにもっとそもそもの疑問になりますが、働いて成し遂げられる「仕事」って何でしたっけ。あらためて問われると答えに窮してしまいます。このあたりのことを考え、整理している組織があります。それは、日本オフィス学会のワークスタイル研究部会(部会長:妹尾 大 東京工業大学教授)。彼らが2016年9月に開催されたオフィス学会大会で報告した「働き方」と「仕事」に関する考え方を紹介させてください。
時間と場所からの解放
同研究部会では「働き方」を、「働き方の分類」の図のように二つの軸で分類しています。横軸は働く時間が決められているか否か、縦軸は働く場所が決められているか否かになっています。時間と場所いずれもが「固定」化されているのが従来ながらの働き方。毎朝全員が同じ時間までに同じ場所出社して、一日そこで働き退社時刻になると帰宅する働き方です。これを“労働”と名付けています。場所は「固定」ですが、時間は「自由」なのは“フレックス”勤務。逆に時間は縛られているものの、働く場所に制限をもたせないやり方が“ノマド”ワークです。最後に、時間も場所も本人まかせ、結果さえきちんと残してくれればいい、という働き方が“裁量”労働ということになります。
“フレックス”は有効に活用されているとは言えないかもしれませんが、制度としては既に少なくない企業で導入されています。また、職種は限定されているものの、どこで働いてもいい“ノマド”式の働き方を認められる人も増えてきています。時間も場所も限定された従前たる働き方は徐々に減っていき、「自由」の方向へとシフトしていきます。一度動き始めたこの解放路線の流れは止まることなく、むしろ加速していくことでしょう。私たちが行き着く先は、時間も場所も自由に設定できる“裁量”制かもしれません。これは自律性が無ければやっていけない働き方。自分に甘い人は、自分を戒め、厳しく自己管理する習慣を今から身に着ける努力をしておきましょう。
さて、こんな具合で働き方が変わっていく中、行われる「仕事」はどうなるのでしょう。次はそちらに関する報告になります。
飯のタネはつくるもの
前述のワークスタイル研究部会では、「仕事」の定義を試みています。勤務時間が9時-5時に限定されず、オフィスに行くことなく働く、そんな働き方になるということは、働く人にとって仕事とその人自身の生活の時間と生活の場が大接近、あるいは融合することを意味します。ワークとライフはもはや別個に存在するのではなく、生活の中に仕事が組み込まれる図式になるはずです。個人が自らのために行っている活動はワークとライフの狭間に位置するようになる、というのが研究部会の主張で私もその通りだと思います。そうした活動の中には、将来的にその人の仕事になっていくものが存在する可能性があるのです。そうなると、これまで生活の中で行っていた収入とは無縁の活動が一転して「飯のタネ」になる可能性がでてきます。
同部会が考案した、これからの「仕事の定義」の概念図をご覧ください。横軸は、その活動を行う人がそれによって報酬を得ようとする意図があるか否か。縦軸は、その活動に対して世の中が価値を認めるか否かになっています。報酬を得る意図があって世の中が価値を認める活動が従来の労働になり、これを「ワーク」と呼びます。意図はないが価値を認められた活動。例えば自分のために書き溜めていた書評がある日突然日の目を見て大ブレークするようなことを「発掘された」。これは絶対に売れると本人は信じているけれどもまだ世の中的にはその価値が認識されないような活動を「仕込み」。最後に儲けるつもりはさらさらなく、価値もないと思われる活動を「道楽」としています。
近年のようにSNSなどで個人的な活動を世に知らしめることが容易になっていますので、これまで仕事ではなかったものが「ワーク」として認められる機会は以前と比べると飛躍的に増えているのです。今趣味でやっていることを一度総点検してみましょう。ちょっとした工夫を加えたり、見方を変えてみるだけで金の卵に大変身するような活動があるかもしれません。
真の働き方改革
働く人一人ひとりは、人生の目標も、家族構成や家庭の事情も、学んできた知識や技術もみな異なります。なのに働き方はきわめて限定的。多くの企業には育児や介護のための時短勤務制度などはあるものの、それに該当しない従業員のために用意されている働き方は単一であるところが圧倒的に多いのが現実です。考えてみればこれってとても不合理な話ですよね。管理する側の論理で続けられてきたルールだと言ってもよさそうです。これからの時代、働く時間と場所の自由度を本人のスタイルに合わせて選べるような労務制度づくりが求められることでしょう。また、一人ひとりの働き手が自ら新しい仕事をつくり出す、そんな活動(スカンクワークと呼ばれたりしています)を後押しするような制度も必要になっていきます。
仕事に対して「熱意」「没頭」「活力」の三つが揃って充実している心理状態のことをワーク・エンゲイジメントと呼びます。このワーク・エンゲイジメントを高めるために強化したい取り組みは何かを調べてみたところ、第1位は「多様な働き方の容認」でした。また、自らのワーク・エンゲージメントのために重要な要素は何かを訊いてみると、もっとも支持が多かったのは「仕事の内容」だったのです。
自分の行動を自分で自由に決めることができる状況にあるとき、人は幸福感を感じるのだそうです。いきいきと活力を持って働く組織をつくるためには、いろいろな働き方の選択肢の中から自分に合った働き方を自由に選べる制度と、働き手が自らの意思で飯のタネを蒔き育てていく土壌が欠かせない。こんな働き方を実現させるためには、一人ひとりの働き手ごとに、一つひとつの仕事ごとに、裁量権と責任の所在を再設定することが必要になります。これこそが真の働き方改革につながる施策だと思う今日この頃です。
ホワイト企業
還暦をようやく超えた程度の私がこんなことを言うと、70、80を超えてなお意気軒高、バリバリ仕事をしていらっしゃる先輩がたから叱られるのを承知で告白します。今の私にとって一日の間でトップギアで仕事できる時間は、午前中の1時間、午後はせいぜい2時間程度。他の時間はセカンドギア(さすがに自分からローギアとは言いたくないので)で走行している程度。若い頃に比べると格段に能力(体力というべきか)は落ちていると自覚しています。
持続力のないこんな私に適した働き方は、 働く時間帯を細かく分ける分散型勤務かもしれません。身勝手な要求ではないことを確認した上で、働く人の特性に応じて仕事をさせる。これを奨励する企業こそが本当に真っ白な「ホワイト企業」ではないでしょうか…。
24時間戦える人は存分に働いてその対価を得ればいいし、一方で私のような働き方・生き方も認められてそれ相応の評価を得られる。みんな違ってみんないい、そんな世の中に遠くない将来なるはずです。
おわりに
昨年の7月から月に1回のペースで、はたらき方やはたらく場の過去・現在・未来について話をしてまいりました。まだまだ話足りないような気もしますが、ちょうど1年という区切りを迎えるということで、今回を持って「クジラの眼」の連載は終了させていただきます。これまで愛読してくださった皆さんや応援してくださった皆さんにこの場を借りて御礼申し上げます。ここまでの話を少しでも役立てていただけるのであればこれに勝る喜びはありません。
また、こんなよもやま話を掲載するこの場をつくってくれた関係者の皆さんにも感謝申し上げて、筆を置くことにいたします。
これから先、どこか違う場所でお目にかかることもあろうかと思います。その日までずいぶんとごきげんよう、さようなら。
ありがとうございました。
第12話 完
2017年7月6日更新