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選択肢を増やすための福祉とは? コンサル出身がコーヒー焙煎所を開いた理由(ソーシャルグッドロースターズ・坂野拓海さん)

仕事をしていると、常に成果や結果を重視してしまいがちです。しかし、「ビジネスとは真逆の考え方」で福祉のお仕事に取り組み、障がいのある人たちの働きがいとソーシャルグッドな価値を生み出しているのが、坂野拓海さんです。

コンサルティング会社での経験を経て、週末のボランティア活動がきっかけとなり福祉の道へ。2016年に一般社団法人ビーンズを設立し、2018年には、福祉とコーヒーを掛け合わせた焙煎所「ソーシャルグッドロースターズ」を開設しました。

「福祉の仕事は選択肢を作ること」と話す坂野さんに、コンサルでのお仕事が福祉にいかに生かされているのか、そしていかに選択肢を生み出してきたのか、伺います。

坂野拓海(さかの・たくみ)
1980年、徳島県出身。コンサルティング企業で働く傍ら障がいのある子ども向けのボランティア活動がきっかけで、2016年に一般社団法人ビーンズを設立。グループホームや放課後等デイサービス、就労継続支援などの福祉施設を運営。2018年に、障がいのあるバリスタや焙煎士が活躍するロースタリーカフェ併設の福祉施設「ソーシャルグッドロースターズ千代田」を開設。

「福祉だから」ではなく、「本物だから」選ばれる場所に

今日は、坂野さんが経営されている「ソーシャルグッドロースターズ千代田」にお邪魔しています。コーヒーが美味しいです!

坂野

ありがとうございます。ここは2018年にオープンしたコーヒー焙煎所であり、福祉施設です。

ここでは、自分たちで海外からコーヒー豆を輸入し、ソーティング(検品)と焙煎を行い、バリスタとしてお客様に提供し、さらにはECサイトや自社店舗への卸販売までを一貫して手がけています。

規模は小さな焙煎所ですが、コーヒーに関わる一連のプロセスを実際に体験できる職場であることが、大きな特徴です。

「ハンドソーティングは、繊細な感覚と集中力が求められる職人的な作業です」と坂野さん。この工程には、障がいのあるスタッフを含むすべての焙煎チームのメンバーが、日々丁寧に取り組んでいる

坂野

焙煎機には、コーヒーの世界大会でも使用される、オランダ製の「GIESEN(ギーセン)」を導入しています。高性能な焙煎機であるため、2018年の導入当時は国内でも限られた人しか操作できませんでしたが、ソーシャルグッドロースターズでは、現在10人以上のスタッフがこの機材を使って焙煎を行えるようになっています。

空間に堂々と設置されている焙煎機

本格的ですね。それと同時に、ここは福祉施設(就労継続支援B型事業所)なんですね。

坂野

はい。ここでは焙煎所の運営を通じて、障がいのあるスタッフが焙煎やバリスタの技術を学び、実践できる環境を整えています。

ただここで製造されるコーヒーは「福祉施設だから」という理由で手に取っていただきたいものではありません。

お客様に「他のどの専門店よりもおいしい」と感じていただいているからこそ、選ばれています。私たちのこだわりや姿勢が、多くのお客様からの支持につながっているのだと思います。

そのコーヒーの背景には、職人である彼らの存在があります。だからこそ、仕事の価値をきちんと伝え、それがきちんと本人たちに還元させていきたいんです。

コーヒーだけでなく、ハンドバッグやボトルなど、さまざまなグッズも展開している

坂野

一流の技術を身につけてもらいたいからこそ、だからこそ、焙煎機も世界大会でも使用される一流のものにこだわりました。

開業当初は「福祉施設なんだから、もっと手軽で安価な焙煎機でもいいのでは」と言われることもありました。しかし、機材に限界を設けてしまえば、その先に見える世界にも限界が生まれてしまうと思うのです。

ここで本気になって目指したい世界があるなら、障がいの有無にかかわらず、バリスタや焙煎士といったコーヒーのプロとしてどこまでも成長していくことができます。 店舗のデザイン、パッケージ、ユニフォームなども、できる限りのものをみんなで話し合いながら自分たちでこだわって作りあげてきました。

誰でもふらっと入ってきてコーヒーを飲める。そんな場所は、福祉施設としては珍しいのではないですか?

坂野

そうですね。ここには、障がいのある人とお客様の間に物理的な壁がありません。そうした壁があると、関係がたたれてしまって、自然なかたちで出会ったり、関わりあったりすることが難しくなってしまうと感じています。

コーヒーを扱うバリスタや焙煎士の仕事は、お客様に直接届けてこそ、その価値が伝わるものだと思っています。

それが区切られているのもおかしいだろうと思い、行政と相談し、施設設置の基準は満たした上で、開かれた作りにしています。

自分のした仕事が誰かのためになる喜び

坂野さんは、コンサルティング業界から福祉業界へと珍しいキャリアチェンジされています。 元々、コンサルではどんなお仕事をしていたんですか?

坂野

コンサルには種類や規模がいろいろあるのですが、私が働いていたところは大きな会社の大きな課題を扱うことが多かったです。

たとえば、経営層が決めた大きな方針が、社内でなかなか伝わっていないケースがあるとします。そんな状況に対して、まずは全社のコミュニケーションの流れや情報を全て書き出して、どんな部門や派閥があるのかを丁寧に可視化していきます。

事業単位ではなくて、”人のまとまり”で見たときに、どこに橋渡しが必要なのかを捉える。その上で、ちゃんと話が滞りなく届くように設計し直して、部署の再編成を提案するようなことも仕事の一環でした。

すごい。

坂野

組織の課題だけでなく、「調達や交渉」も得意分野でした。

例えば、新しい事業で工場を建てるようなプロジェクトでは、関係者がものすごく多くなります。

土地の所有者がいて、設計士、資材の仕入れ先の人など、それぞれの立場や利益が絡み合う中で全体のコストをどう最適化するかが大きなテーマになります。

だからこそ一人ひとりと丁寧に対話し、見積もりを集めて、必要な部分を精査していく。そのプロセスのなかで、プロジェクト全体の費用が2割下がることもありました。やりがいを感じる仕事でしたね。

人やもの、お金など、難しいことを間に入ってスムーズに整えていくのがお仕事だったんですね。

坂野

話が通れば、お金の流れも整理されて、関わる人たちにとって進めやすくなる。結果的に全体がスムーズになるように整理をするのがわりと得意でしたね。

コンサルのお仕事は楽しかったですか?

坂野

自分のした仕事が誰かのためになっている感覚があったので、組織の中で働くのは好きでした。

思い返すと、当時は想像以上にハードな経験もありましたが、クライアントのために何かできることがあると思えるのは喜びでしたね。

道路に寝転がっていた30分間で見えた景色

お仕事が充実していたなかで、なぜコンサルから福祉の業界へ移ったんですか……?

坂野

きっかけは、障がい者採用の仕事に関わったことでした。それまで障がいのある人と接した経験がほとんどなくボランティアでしたが、障がいのある人の外出を支援する仕事でした。

そのとき衝撃を受けた経験があります。一緒にお出かけをしていた知的障がいのある方が道端に座り込んで、そのうち寝転び始めたんです。「どうしたんだろう」と思ったけど、理由は教えてくれません。「なんで寝ているのかな」と思うけど、説明はしてくれません。

だから、私も一緒に寝てみたんですよ。すると、道路を走る車のホイールが光を反射して、キラキラときれいに回って、残像になって、シューっと走り抜けていくんです。それがとっても美しくて。

なかなかその角度で車を見ることってないですよね。

坂野

そうなんですよ。だから一緒に30分ぐらい寝転がって、ずっと車を見ていて。

はたから見たら変な2人かもしれないですけど、「そんな楽しみ方があるんだ」とびっくりしたんですよね。

その美しさを発見する力と、それを見るための行動力がすごいですね。

坂野

食べたいものが食べたい。飲みたいものが飲みたいとか。行きたいところに行きたい。そうやって素直に自分のやりたいことを言える人ってすごいなと思ったんです。

他にも、知的障がいがあり、自分が行きたい場所を言葉にできない子どもとも出会いました。

身振り・手振りで説明しようとしてくれて、最初はわからないのですが、慣れてくると「山に行きたいんだ」とわかってきて。

だんだんとわかることが増えてくるんですね。

坂野

山に行きたいとわかったら、登山に同行するようになったりもしました。私はもともと山登りの経験はなかったのですが、新しい世界を見せてもらいました。

一緒に料理したり、音楽をしたりと、普段やらないことをやっているときの顔がすごく楽しそうで。 でも、彼らが障がい者雇用の枠で採用されることは、そう簡単ではありません。

そうなんですね……。

坂野

障がい者採用では、いわゆる「健常者に近い業務上支援が少なくても働ける人を求める傾向があります。でも、そうした方は全体の1割ほどしかいないのに、その限られた層が企業同士で取り合いになっている。

一方で、支援が必要な人たちの多くは、その選考の土俵にすら立てないまま。そんな状況を目の当たりにしました。

私はそこを変えていきたいと思いました。けれど、本気で取り組むと、当時の「障がい者採用コンサルタント」としては、目に見える成果が出しにくくなってしまう。

それが分かったとき、「これ以上この立場にいることは誠実じゃない」と思ったんです。そして、コンサルの仕事を辞めることを決めました。その後も、福祉に関わるうちに「障がいのある人たちの働く場所を作ってほしい」との声をいただくようになり、背中を押されて福祉の世界に飛び込みました。

福祉とは選択肢をつくること

福祉の仕事の魅力は何ですか?

坂野

福祉の仕事は、選択肢を作ることなんですね。

それがしたくて、私は「ソーシャルグッドロースターズ」のような場を作りました。

坂野

そもそも、コーヒーのバリスタや焙煎という仕事を選んだのも、ここに集まった障がいのある人たちの声から。

「働く場所を作ってほしい」と言われたときに、まずは周囲の障がいのある人たちに話を聞いたんです。すると、ダンサーがやりたい、写真家になりたい、とさまざまな「やってみたいこと」が集まりました。コーヒーのバリスタもその中のひとつでした。

今ではビールの醸造やものづくりなども展開しています。

まさに選択肢が増えたんですね。

坂野

まずは選択肢を増やすための箱を作る。その場所の中の環境、仕組み、流れを作るのはコンサル時代に学んだ技術です。

全部を整理していって、お客さんの求めているものと今作れるもの、その間にあるコーヒーの仕事がある意味は何かを考える。必要な機材を揃えたり、資金を集めたりする。

調達が得意ともお話しされていましたね。

坂野

あと、今はコーヒー豆の生産者と直接10年の長期契約を結んで仕入れているんですが、取引価格より1ドル高い値段で買うように設定しているんです。焙煎したコーヒーの売上は、被災地や医療機関、生産地で課題を抱える生産者の方々の支援にもあてるようにしています。

この場所で、障がいのある人の仕事の価値がを生み出しお客さんに商品として還元し、その売上が給与や支援につながっていく。ここで働く皆やお客さんは、そんな循環に価値を感じてくれていると思っています。

この場所があることによって、社会が良くなっている。まさに「ソーシャルグッド」ですね!

坂野

やりたい仕事ができる、住みたい場所に住めるといった可能性を用意することが、福祉の持つ最大の魅力だと思います。

のびのびといられる空間や環境があることで、選択肢を作れる。その場所を作る上に、コンサルの経験が活きています。

現在はこの本店の他に、上野駅にも店舗を出されていますね。

坂野

2024年にソーシャルグッドロースターズのエキュート上野店もオープンしました。毎日16万人が利用する駅で、朝から晩まで休まず営業しています。

私たちは、ビジネスと違って、戦略ありきの出店を決めたわけではありません。本店に集う障がいのある人たちがいて、みんなが成長して初めて「もっと働きたい」という気持ちが生まれてきて、それを実現するために、上野駅のお店を作った。だからビジネス的な拡大戦略とは全く逆の考え方なんです。

今後やりたいことはありますか?

坂野

引き続き、福祉を通じた場所づくりに専念することはもちろんなのですが、あと、個人的には、仕事はあと10年ぐらいで一区切りして、「親」に専念したいんです。

親に専念……?

坂野

里親として子どもたちを受け入れていきたいと思っています。

原体験として、私自身に父親がいなかったんです。私を身ごもった母が出産に迷いを抱いていたところ、祖父母が「戸籍を変えて自分たちの子どもにしてもいいから」と言ってくれて、私が産まれました。

だから祖父母への感謝の気持ちがあって、それを次の世代に返したいと思っているんです。

それもまた、福祉的なアプローチになりますよね。

坂野

そうなんです。何か自分の中ですごくやりたいテーマが生まれたとき、福祉という仕組みは、その想いに寄り添って実現できる手段を生み出しやすいんです。いろんな制度や人の力を借りて問題に直接アプローチしていけますから。

里子の受け入れは少し先になりそうですが、今はコーヒーの売上から出る利益を医療機関や福祉施設に寄付するかたちでサポートもしています。

今年は、4月に東京で初めてオープンした「赤ちゃんポスト」に寄付しました。

すでに行動を始めているんですね。

坂野

コーヒーを提供して飲んでもらうことで、誰かへの支援や選択肢を増やすことができる。

こういう循環を作ることができるのは、やはり福祉の仕事だからこそだと感じています。支援を受ける方だけでなく、社会に対しても大きな価値を生み出せる福祉の仕事は楽しいです。自分の取り組んだ仕事が誰か価値に代わり、それがまた次の良い動きにつながっていく。その流れにかかわれることにとても励まされます。

今後も福祉を通じて、そうした良い循環を生み出せていけたらと思います。

2025年9月取材

取材・執筆=遠藤光太
写真=栃久保誠
編集=桒田萌(ノオト)