カレーが建築・設計の入口に? 独自の形で宇治のまちに関わるカレー設計事務所とは(加藤拓央さん)

これまでのキャリアとスキルをまるごと活かしてみたい。そう考えながら働く人も多いでしょう。それを独自の形で仕事に繋げている人がいます。京都府宇治市の「カレー設計事務所」店主、加藤拓央さんです。
カレー店と設計事務所を兼ねた場所を運営する加藤さんは、新卒で就職した建築会社を辞め、楽器の修行のため単身インドへ。そこでカレーづくりの技術も習得しました。
建築とカレー、そして元々好きだったインド音楽。それぞれに「90%」ずつエネルギーを注ぎながら、地域にも貢献したいという加藤さん。まったく異なるジャンルを融合させ、独自のキャリアを築きながら地域に関わり続ける理由を伺いました。

加藤拓央(かとう・たくお)
大阪芸術大学を卒業後、音響建築の会社に就職。その後、インドのコルカタに渡り、打楽器・タブラの技術を習得。その一方で、屋台カレーに魅了される。島根での起業を経て京都府宇治市へUターンし、2021年5月に一級建築士としてカレー設計事務所をオープン。
27歳で会社を辞め、楽器の修行のためインドへ
カレー屋さんと建築設計事務所が一緒になって、「カレー設計事務所」。直球ですね!


加藤
ストレートに伝わるのが良いかなと(笑)。店名は「これしかない」という感じで、全く悩まなかったですね。覚えてもらいやすいですし。

「カレー設計事務所って何ですか?」と聞かれませんか?


加藤
よく聞かれます。「カレーを設計しているカレー屋さん」だとイメージする人が多いみたいで。
入口としてはカレーを食べに来る方が多いんですが、「実は設計事務所もやっているんです」と話すと、「え、そうなんですか」と驚かれることもあります。

どうして、カレーと建築設計の2つの仕事をすることに……?


加藤
もともとは音楽が好きで、学生時代もバンド活動をしていたので、建築と音楽、両方できる仕事はないかと調べていたら、音響建築という分野があると知りました。
それで、大学では空間演出や建築設計も含めて幅広く学びました。卒業後は大阪の音響建築会社に就職し、音楽スタジオやコンサートホール、映画館など、音に関わる建築の設計や管理に携わりました。

好きだった音楽と建築、両方に関わることができる職場だったんですね。


加藤
そうですね。同僚や先輩にも音楽活動をしている人が多かったですし、自分の生活において音楽と建築の2つが離れることはなかったです。
でも、27歳のときに会社を辞めて、インドに渡ることにしました。
えっ? なぜインドに?


加藤
学生時代にインド古典音楽に出会って、タブラという打楽器を始めたんです。就職してからも、先生について勉強していたのですが、日本で学べることの限界を感じて。
そんなときに、インドの有名な演奏者に教えてもらえるかもしれないという機会が巡ってきたので、一念発起してインド行きを決めました。

会社を辞めてインドに渡る……。思い切った決断ですね!
インドではどんな生活を?


加藤
3年間ほどインドで暮らして、タブラの修行に打ち込んでいました。気温が40℃を超える中、エアコンのない部屋で1日8~10時間くらい練習していましたね。
あと、昔から料理が好きだったので、インドで生活する中で、いろんなお店でカレーの作り方を教えてもらって。器具を揃えて自分でも作るようになり、ハマっていきました。
ここでカレーが登場するのですね。


加藤
そんな生活を続けていたのですが、生活費も必要なので、ときどき日本の建築の仕事も請け負っていました。
学生時代の友人が、ちょうど同じタイミングで仕事を辞めて、ニューヨークで家具の勉強をしていて。
当時はSkypeなどが普及しはじめた頃。遠隔で彼とやり取りして一緒に仕事を進めていました。
帰国することになったきっかけは?


加藤
その友人と一緒に、島根県で大きな新築工事を手がける機会があって。しばらく付きっきりになるので、帰国して2人で建築デザイン事務所を立ち上げることにしました。
最初はいずれインドに戻るつもりでいたんですが、どんどん仕事が忙しくなって、そのまま建築に専念する形になりました。
好きで作り始めたカレーが、たちまち人気に
島根では主に建築の仕事に携わっていたんですね。具体的に、どんなお仕事を?


加藤
古民家のリノベーションや商店建築、新築など、さまざまな建築を手がけました。島根県江津市という、まちづくりがさかんな地域だったので、空き家の再生やエリアリノベーションに携わる機会が多かったですね。
その中で、シャッター街になっている商店街を復活させようというプロジェクトがあり、地域の青年部が中心となって活性化の起点となる店舗を作ったんです。
そこで、お店で何かフードを出せないかという話になり、僕が週末カレー店を始めることになりました。

インドで親しんだカレーですね。

すごい! もともと自分でカレー店をやろうと思っていたわけではなかったんですよね?


加藤
実は、島根で暮らし始めて2年目くらいのときから、建築とカレーを両方やりたいという構想はあったんです。
事務所を移転するタイミングで厨房を作るなど、準備は進めていたんですよね。でも、そこから建築の仕事が忙しくなり、結局その厨房は木材の加工場所になってしまいました。
その間も、建築の仕事のお客さんにカレーを振る舞ったり、イベントに出店したりと、カレーを作ること自体はずっと続けていました。
インドでの経験が生かされていたんですね。

カレーと建築から広がっていく、地域とのつながり
島根から地元の宇治に戻ってきたのは、何かきっかけがあったんですか?


加藤
島根で10年ほど暮らして、地元への愛着が強い人たちと一緒に、まちづくりや地域活性化の活動に関わるうちに、「自分の地元でも何かしないと」という気持ちになってきたんです。
そういった活動に影響を受け、地元の宇治に戻りました。母親の実家だった築100年の家屋をリノベーションして、今までやってきた建築とカレーを一緒にできる場所を作ることにしました。

ついに、島根での構想が実現したんですね!
長年離れていた地元で仕事を始めることに、不安はなかったですか?


加藤
不安よりも、この地域を何とかしないといけないという思いのほうが強かったですね。
昔はこの近くに商店街があって、飲食店や銭湯もあったんですよ。でも、今は住宅ばかりで、ベッドタウン化してしまって。このカレー設計事務所は疎遠になってしまっている地域のコミュニティを復活させる拠点にもなれたら、と思いました。
お店を始めてみて、地域の人たちの反応はいかがですか?


加藤
娘が小学生なので、同級生や近所の子どもたちが学校帰りによく寄ってくれるんですよ。
親御さんたちがカレーを食べに来て、「いつもありがとう」と声をかけてくれることもあって、うれしいですね。そこから地域の輪も広がっていくので。
ほかにも、レンタルスペースとして英会話教室やワークショップなどでも使ってもらっています。
さっきも加藤さんの娘さんが「ただいま」とお店に帰ってきたり、お友達が遊びに来たりしていましたね。すごく入りやすくて、開かれた雰囲気だと感じます。


加藤
元は家の周りが塀で囲まれていて閉鎖的な印象だったんですが、塀を取り払って、入り口も透明のガラス戸にして、中が見えるようにしました。
店内も、かなり低いローテーブルを使って、奥まで広く見渡せるような、風通しの良い空間になるよう意識しています。

現在、宇治のまちにはどのように関わっているのでしょうか?


加藤
カレー屋の立場で行政と協力してイベントを開いたり、建築士の立場でエリアリノベーションのプロジェクトに参加させてもらったりしています。
お店がある黄檗エリアは、宇治市の観光エリアからは少し離れている地域。そのため、こちらにも人の流れを作れたらと行政も力を入れていて、それをお手伝いしていますね。

設計事務所としての仕事もしているんですよね。


加藤
はい。島根の頃のつながりで依頼を受けることもありますが、最近はカレー屋さんのお客さんとして来てくださった人からの依頼がほとんどになっていますね。
カレーを食べに来た人が、設計事務所もやっていると知って、「じゃあ今度相談に乗ってくれへん?」と言われることが多いです。
カレーと建築の意外な相乗効果ですね。


加藤
実は狙ってはいたんですよ。設計事務所って、ハウスメーカーや工務店に比べると、なんとなく何をしているのかはイメージしづらくて、敷居が高いじゃないですか。
それをどうやって低くするかと考えたときに、飲食店のカウンター越しに気軽に相談できたらいいなと。今は実際にそんな依頼の流れができているので、すごくありがたいなと思っています。

「好き」を掛け合わせ、人に喜んでもらえる仕事を
インド音楽とカレーと建築。好きで続けてきたことが今につながっていると思います。
改めて振り返ると、それぞれどういったところに惹かれたんでしょうか?


加藤
やっぱり全部、幼少期の経験の延長線上にあるのかなと思いますね。僕は4人兄弟の末っ子で、姉が2人いるんですが、姉たちの真似をして小学生の頃から料理をしていました。
それから、お城の模型を作ることも好きで。建築の仕事でも、図面を書いたり模型を作ったりしますが、そうやって手先を使ってものづくりをするのがずっと好きだったんだろうなと思います。


加藤
タブラも同じで、スティックなどを使って叩くのではなく、指先だけでいろんな音色を出すんですよ。そこにハマったんじゃないかなと。
全く異なるジャンルのように見えますが、実は共通点があったんですね。


加藤
自分が好きなことは何なのか、ちゃんと自己分析できていると、長く続けられるし仕事にもつながるのかもしれませんね。
でも、ただ好きなだけとか、楽しいだけとかだと仕事にはならない。「どうやったら人を喜ばせられるんだろう」と考えることが、仕事をする上では大切です。
確かに、その視点が加わって初めて「仕事」になるというか。


加藤
はい。カレーを「おいしい」と言ってもらったこと、手がけた建築を喜んでもらえたこと。そういう成功体験を積み重ねてきたからこそ、仕事として続けられたのかなと思います。

カレーや建築、音楽など、それぞれ異なることを同時に仕事にしている加藤さんは、「これだ」と思うものを突き詰めていく力がとても強いと感じます。


加藤
好きなことは、どうしてもプロくらいのレベルになりたいっていう気持ちがすごくあるんですよ。なぜそう思うのか、考えたこともないんですけど……。
最初にものすごい感動があって、それが「自分もやってみたい」という情熱にそのまま変わっている気がしますね。
その情熱が途切れることはない?


加藤
ないですね。建築とカレーとインド音楽が、自分にとっての3本柱で、それしかできないので。
他の建築士の方は、建築に自分の120%を注ぎ込んでいると思うんですよ。
でも僕の場合はそうじゃなくて、80~90%くらいを3つに振り分けているイメージで。それをずっと継続しているだけなんです。
でも90%を注ぎ込むことが3つあったら、全部で270%になっちゃいますよね。大変じゃないですか……?


加藤
そうでもないですよ。単純に足し算をするわけではなく、やってきたことが掛け算になって、結果的に100%になっているだけなので。
1つのことを極める人もいれば、僕のように複数を掛け合わせていく人もいる。いろんなやり方があっていいのかなと思います。

なるほど。加藤さんの場合、複数を同時に走らせているというよりも、掛け合わせながら仕事を生み出していくイメージですね。


加藤
あと、今のスタイルは忙しそうに見えがちですが、実は以前よりもゆとりを持てているんですよ。
島根で会社に属していた頃は、建築の仕事が忙しすぎて、家族との時間が全然取れなかった時期もありました。
でも、今は妻とカレー屋さんをしているから四六時中ずっと一緒にいて、通学路にお店があるので娘と毎日顔を合わせられる。「生活の導線上に家族を入れたい」という思いが叶って幸せですね。
仕事や暮らしを「導線」で考えているのは、やっぱり建築家だなと思いました(笑)。今日はどうもありがとうございました!



【編集後記】
何よりもまず、加藤さんの“好き”に妥協しない姿勢に驚かされました。実際に建築・インド音楽・カレーが三本柱となるまでには相当な道のりがあり、その研鑽ができるのは、燃え続ける情熱のともしびがあってこそ。もし表面的に「建築」や「カレー」の掛け合わせを真似したとしても、自分自身の中に熱がなければ、そもそも色んなものを乗り越えてまで続きようがないのです。加藤さんにとっての“好き”が今3つの柱となっているように、自分にとっての「 “好き”で続けていること」に目を向けてみよう。そう感じるひとときでした。(株式会社オカムラ 前田英里)
2025年5月取材
取材・執筆=藤原朋
写真=楠本涼
編集=桒田萌(ノオト)