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今の自分の役割と等身大を知る。気遣いしすぎる人が生きやすくなる3つの考え方(公認心理師・みきいちたろうさん)

相手に喜んでほしいと望むことを先回りしたり、失礼のないように配慮したり……。「気遣い」はよりよい関係性を築く上で大切なスキルのひとつです。

しかし、周囲に気を遣いすぎて疲れてしまったり、回り道をしてしまったりする人も少なくありません。

とにかく気を遣いすぎてしまう癖は、どう直せばいいのでしょうか? 公認心理師で心理カウンセラーのみきいちたろうさんに、お互いにとってちょうどいい気遣いをするための3つの考え方を教えていただきました。

とにかく気を遣いすぎる人の特徴

気遣いのできる人は、仕事のできる人……。そのように評価される職場は少なくないように思います。

一方で、気を遣いすぎるあまり、気疲れしてしまうという人も少なくないですよね。

みき

そうですね。そもそも、ビジネスシーンで気を遣う相手は、上司や取引先のお客様になるでしょう。

ケースにもよりますが、気を遣いすぎて疲れてしまう人は、仕事における「気遣い」の意味を捉え違いしていたり、上司や取引先の方々に評価されたい、もっと言えば「見捨てられたくない」と不安を抱きすぎてしまったりしている傾向があるように感じます。

見捨てられる不安ですか?

みき

はい。たとえば、相手が怒っているのではないか、失望されてしまうのではないか、というような不安です。

相手の言動や態度から心の内を敏感に察して、「怒られないように」「機嫌よくいてもらうために」など、相手にうまく合わせようとします。

いわゆる場の空気を読んで、先回りしてスムーズに事を運ぼうとするのですね。

みき

最初はうまく回るように感じて良いように見えるかもしれませんが、不安から相手の望みを最優先に考える「過剰適応」になるので、結局気疲れを起こしてしまうのですね。

なるほど……。今日は、そんな「気を遣いすぎる人」に向けて、心が楽になれる考え方を教えていただきたいと思います。

その1:「気を遣う」ではなく「役割を果たす」と再定義する

役割を果たす、ですか。

みき

はい、そうです。「気を遣う」という言葉に大きな混乱の原因がある、と思います。職場においては自分の役割を果たすことが、本来の意味での「気遣い」です。気を遣うとは感情を動かすことではありません。

仕事における気遣いの意味を明確に捉えなおし、「気を遣う」ではなく「役割を果たす」と再定義することです。

なるほど。もし上司などから「気を遣えていない」などと言われることがあれば、どう考えればよいのでしょうか?

みき

それは、「気を遣えていない」ということが示している意味がうまく伝わっていない可能性もあります。

その場合、上司が言いたいのは、「自分の役割がわかっていない」「できていないよ」ということだと思います。また、業務には前工程、後工程、また部署間のやり取りがあると思いますが、そのことも踏まえて仕事をしてほしい、という意味とも考えられます。

もちろん、そのことを伝えるのに、「気を遣う」という誤解を招く表現を使っている上司や職場にも問題はあるかもしれませんね。

でも、相手の考えを「察する」ことが求められる場面もあると思うのですが……。

みき

それも多くは、業務として段取りや進め方を考えたり、という意味です。

決して、相手が発する言葉や態度から、「ああ言っているけど、本当はどう思っているのだろう?」「気分を害していないかな?」「本音は違うのでは?」と、不安を感じたりわざわざ相手の頭の中を覗きにいくようなことではないはずです。

共感力を高めるのは良いことだと思っていましたが、自分の仕事を増やし、やがて負担を感じる原因にもなり得るということですか。

みき

そうです。例で申し上げたようなことは間違った共感ですね。

たとえば、気遣いとして思い浮かぶ仕事としてホテルで宿泊客を相手にサービスをするスタッフ。彼らの気遣いとホスピタリティあふれる仕事ぶりは、見ていて感動します。

しかし、こうしたサービスは、彼らにとっては業務の一環です。しっかりと自分の役割を果たしている、ということですね。もし、頭の中を覗き込まれるように応対されたり、感情を乗せられたりされていたら、こちらも重く感じるでしょうね。

たしかにそうですね。仕事でも、共感することが良いことだと漠然と考えていました。

みき

スポーツでも、よく「気が利く選手」「気が利くプレー」という表現がありますが、あれも共感したり、感情を動かしていたりしているわけではなく、競技を深く理解している、2手先・3手先を読めている、味方を活かすことができている、という場合に使われます。

「気を遣う」という言葉の表面的な感覚に振り回されずに、その意味を再定義し、仕事で求められているものを、自分の役割を果たすことを意識してみましょう。

きっと、気疲れもなくなり、「気が利くね」といわれるようになると思いますよ。

その2:家族や友人・・・・・・過去の関係を投影していませんか?

みき

気を遣いすぎる人の中には、かつて自分とかかわりのあった人を目の前の人に投影して、勝手にネガティブなイメージを抱いているケースもあります。心理学では「投影」といいます。

たとえば、男性の上司が苦手な人は、実は自分の父親への複雑な感情を無意識に重ねあわせている……など。

なるほど。性別や年代、属性など、似ている人を無意識に投影して、勝手にネガティブな感情になってしまうわけですね。

みき

そして、「ああいうタイプは意地悪な人が多い」とか「きっと気難しい人だろう」と決めつけてしまう。

でも、その人は本当にそういう人でしょうか? 話してみたら全然違った、という例は珍しくありません。

「ああいう人はきっとこういうタイプだから」とあれこれ配慮していたけれども、実際にはその必要はなかった、いうことも多々あります。

過去に関係のあった人たちと、目の前にいる人は違うのだと切り分けて見ることが大切です。

心当たりがある人も多いかもしれませんね。

みき

あと、自分は年下の部下を相手にしたコミュニケーションが取りやすいけど、同僚は上司たちとの関係づくりがうまいとか、その逆は苦手という話も、よくある話です。

ほかにも、きょうだいがいたのか、一人っ子なのかなど、その人の家族構成が関係することも多いですね。これも、一種の投影です。

上司や部下との間柄を、得意、不得意といった感情で見ていましたが、自分の育ってきた環境を投影していると考えると、また見方が変わりそうです。

その3:聞きすぎない――適度にスルーする、そして等身大の大切さ

みき

「聞く技術(傾聴)」とかコーチングといったことが言われすぎることの弊害でもあるのですが、気遣いしすぎる人の中には、良かれと思って必要以上に傾聴を実践する人もいます。指示やフィードバックをすべて受け止めてしまう、という状態です。

しかし、すべてを受け止められるほど、人は時間も能力もあるわけではありません。

確かに、すべてを受け止めて、自分がパンクしてしまっては意味がありませんね。

みき

2002年に経営学者の高橋伸夫さんが『できる社員は「やり過ごす」』という著書を書いたように、ときにはやり過ごすことで、間違った指示があればそこに拘束されずに、本当に大切な仕事に集中できるようになります。

全てを受け止めていたら、大事な仕事が回らなくなります。

ほどよいスルーが大切なのですね。

みき

スルーするとは決して、話を聞かないとか、自分勝手というような意味ではありません。

自分の仕事と全体の業務と関連を把握できている、ということです。そうすると自然と、全体の成果に関連しないことはフィルタされて、やり過ごされることになります。

過剰に気遣ってすべての指示を聞いて実行してみたら、上司がそれを評価せず、空回りしてがっかり、なんてことも職場ではよくあります。これも、「気遣い」という言葉を間違って捉えてしまっていることで起こる不一致の一つです。

だからこそ大切なのは、「自分の役割は何か?」「縦横の業務との関係」を冷静にとらえることです。

何が自分の役割なのか、何が自分の役割でないかを自分の頭でよく考える。それこそがスルー力につながりそうです。

みき

心理学的なアドバイスですが、どうしても相手の言葉や気持ちを過度に承ってしまうという方は、自己イメージと他者イメージが等身大であるかをチェックしてみることです。自己イメージや、他者イメージが過大もしくは過小になっている人も多いです。

自己イメージと、他者イメージ?

みき

自己イメージを過大にとらえるということは、「あれもこれもできるかもしれない」と役割の範囲を大きくしてしまいうことで、逆に過小にとらえると自信をなくしてしまう。

他者イメージとは他者から見た自分のイメージのことで、大きすぎると相手に過剰に配慮したり、指示や言葉をうまくスルーできなかったりします。

なるほど。

みき

そんな自覚がある場合は、自分の等身大とは何か?を意識してみてください。具体的には、自分の身体や役割の範囲よりも、意識が外に出ていないか?を確認してみることです。

すると、多くの場合、意識がはみ出ていることがわかります。それは過剰な部分です。等身大まで小さくしてみましょう。

徐々に、「今の自分にできることはこれしかない」と感じられ、やがて自然な形で適度に周囲に気を遣えるようになります。他の業務との関係性も身体で理解できるようになってきます。

「気遣いをしすぎる人」が周りにいる場合は?

最後に、気遣いをしすぎる人が周囲にいたら、どのように接するといいでしょうか。

みき

「気遣い」というようなあいまいな言葉を使わないことはもちろん、互いに具体的な業務の範囲を整理することでしょう。

もし後輩や部下にそういった人がいる場合は、役割を明確にして、過度に気遣いをしなくても十分評価されることを示せば、肩の力を抜いてのびのび取り組めるでしょう。それらは、ある種の心理的安全性を確保することでもあると思います。

まさに、「自分が今やるべきこと」に集中できる環境づくりができるといいですね。

前向きになれるお話をありがとうございました。

前田 英里
前田 英里

【編集後記】
空気を読み、相手の気持ちを考えて行動できてこそ立派な社会人。わたしの中にもこうしたイメージがあります。ただ、そんな風に相手を思いやろうとするうち、実は「考えても仕方がない範囲」にまで足を踏み入れていた!? みきさんのお話を伺っていてハッとした点です。気遣い自体は悪いことではありませんし、必要な場面も多くあります。でも、気を遣うことで自分が疲弊しているなら、それはやりすぎのサインということ。勇気をもって「やり過ごす」と、案外何事もなかったり、むしろシンプルに物事が進んだりするかもしれません。自分であれ他者であれ、まずは「この気遣い、やりすぎかも」に気づくことが最初の一歩だと感じました。

2025年1月取材

取材・執筆=國松珠美
写真=三好沙季
編集=桒田萌(ノオト)