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ブランドと地域の「幸福な関係」ー ブルネロ クチネリ

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE06 Creative Constraints 制約のチカラ」(2021/04)からの加筆・修正しての転載です。


イタリアの職人の手で丹念につくられた高級カシミアニットで知られるラグジュアリーブランド、ブルネロ クチネリ。創業者のブルネロ・クチネリ会長兼クリエイティブディレクターは「人間の尊厳を守ること」を経営哲学に掲げ、イタリア中部にあるソロメオ村とともに事業を発展させてきた。場所や時間に意志のある制約を設けることで人を豊かにし、次代に森羅万象を引き継ぐ。

イタリア・ソロメオ村の小高い丘に立つ古城に、白いジャケットに身を包んだブルネロ・クチネリはいた。まさにインタビューが始まるそのとき、時を告げる鐘の音が村に響いた。その音色に耳を澄ませながら彼は話し始めた。「私はいま、春の象徴である燕が来るのを心待ちにしています。農村で暮らしていたころ、燕が訪れる時期には必ずお祭りをしました。燕は、7,000km
の距離を飛んで必ず同じ巣に戻ってきます。それは天地創造の主からの素晴らしい贈り物なのです」

クチネリが手がけるラグジュアリーブランド「ブルネロ クチネリ」は、主にイタリアの職人の手で仕立てられた上質なカシミアニット製品で知られる。1978年の創業以来、誰の尊厳も奪うことなく利益を生み出し、収益の一部を“贈り物”として人間の暮らしの向上に使う「人間主義的資本主義」を経営方針に掲げてきた。

ブランドの歴史はソロメオ村の再興の系譜でもある。村や近郊の住民を数多く雇い、彼らがもつ職人の技をブランド価値の中核に据えた。ソロメオ本社に約800人いる同社従業員のうち住民が全体の約8割を占め、うち3分の2は職人だという。従業員にはイタリア人の平均より約20%高い給与を支払い、地域に経済的・精神的な豊かさをもたらしてきた。

さらに、利益の一部を使って古くから残る建造物を修復し、時代に取り残された村に美しさと尊厳を取り戻すことに情熱を注ぐ。荒れ果てていたソロメオ村にはいま、劇場や図書室を併設したアートフォーラムがあり、職人技術学校ではイタリアの伝統的な手仕事とともに職人としての精神性を学ぶ若者の姿を見ることができる。

― ブルネロ・クチネリ
実業家。イタリア生まれ。イタリア共和国労働騎士勲章、キール世界経済研究所経済賞など数多くの勲章や権威ある賞を受けている。ペルージャ大学哲学・人間関係倫理学名誉学位も取得している。高級カシミアニットを中心に、クラフツマンシップを大切にしたハイエンドプロダクトで知られるイタリアのラグジュアリーブランド「ブルネロ クチネリ」を創業する。実業家でありながら人文主義者としての顔も併せもつ。10代のころから哲学をこよなく愛し、書物を通じて独自の倫理観を築いていった。

しかしなぜ、ここまでソロメオ村にこだわるのか。クチネリは第14代ローマ皇帝・ハドリアヌスが残した「私は世界の美に責任を感じた」という言葉を紹介したうえで、こう答えた。「自分が生まれた土地に対する、小さな責任をもちたかったのです。いま、私がいるのは14世紀に建てられた古城です。多くの人たちがここで愛し、泣き、人間の営みをしてきました。『所有者ではなく、管理人』としてこの村を修復し、永く続く物をつくり、次の人たちに伝える。それが私の役割なのです」

クチネリは、手仕事と職人技にこそ人間性と美の探求の根幹があると説く。そして、人間性を中心に置いた仕事によって、人は尊厳が得られると言う。これこそがブルネロ クチネリというブランドの哲学であり個性である。

「利益だけを追うのは、私は好みません。人間への尊厳を軸に据え、ほどほどに成長し、ほどほどに利益を上げる。従業員はほどよい時間に働き、適当な給与をもらう。地域に害を与えることなく物をつくり、恵みを皆で共有する。これが私の会社と人生の指針なのです」

分かち合い、慈しむ。クチネリの経営哲学の背景にあるのは、生まれ育った農村での暮らしの記憶である。

利益と贈り物のバランスこそ大切

1953年、ソロメオ村にほど近いペルージャ県近郊の農家に生まれた。石と煉瓦でできた家で、ブルネロは家族と祖父母、叔父たちの総勢13人と暮らした。車も電気もテレビもない簡素な日々の営みの中で、家族には自分に見合う役割が与えられていた。祖母と母は家事をし、屈強な父は薪を割った。細身だったブルネロはオリーブの木に登って実を摘んだ。農場の価値は小麦の収穫量で決まった。多くはなかったが、家族はいつも収穫に満足していた。祖父は必ず、最初に収穫した麦を地域の人たちと分かち合っていた。労働から得たものを皆で共有する。その喜びと尊さをブルネロは知った。

だが、15歳で都会に移住すると暮らしは一変した。家にはシャワーもテレビもあった。物質的には豊かになったが、家族は少しずつ社会的なつながりを失っていった。工場労働者になった父は時折、雇い主から侮辱を受けた。瞳を潤ませながら苦悩する父の姿に、クチネリ氏の心は激しい痛みを覚えた。そして、「人の尊厳を踏みにじる行為は決して許されてはならない。人間の倫理的・経済的な尊厳を守るために生きたい」との思いが芽生えたという。

イタリアの職人がもつ伝統と技を生かし、ハイエンドラグジュアリー層に向けたレディースのカシミアニットの製造・販売を仕事にすると決めたのは25歳のときだ。美しい色合いのカシミアニットは当時としては斬新だったが、支払いのよい顧客や出資者に恵まれ、事業は少しずつ軌道に乗っていった。

ソロメオ村はクチネリの妻、フェデリカ氏の故郷である。82年、結婚を機に夫婦はソロメオ村へ移り住んだ。妻への愛は、村への愛にもつながった。中世の佇まいを残す村にいると心が穏やかになった。だが一方で、旧市街は過疎化が進み、荒れ果てていた。

ー「人間は、美しい環境で仕事をしてこそ尊厳とクリエイティビティを保つことができる」というのもまた、クチネリ氏が掲げる経営哲学の重要な側面である。工場の開放的な窓からは、仕事をしながら四季折々の変化や時の流れを感じることができる。

村の尊厳を取り戻すために、できることは何か。考えた末に、荒廃していた古城を購入し、そこに本社を置くことを思いついた。85年のことである。城を買うことで、ブルネロは3つの構想を実現すると誓った。昔ながらの美しい場所で働くこと。歴史的価値のある村の価値を高めること。そして、ソロメオ村が経済的にも生活の質の面でも再評価を得ること。

特定の地域に根差す。ともすれば、それは企業にとって制約にもなりうる。実際、伝統や地域に縛られることなく都会で暮らしたいと望む人が多かった当時、この選択は常識の逆をいくものだった。それでもクチネリは信念を貫いた。顧客や取引先と対話し、倫理的な価値を伝え、理解と協力を呼びかけた。そして、ビジネスで得た利益の一部を使って村の修復と美化のプロジェ
クトを進めた。ブルネロ クチネリの知名度は日に日に高まっていった。

2000年代の初めには、メンズ・レディースのトータルルックへと方向転換した。時を同じくして、ソロメオ村の谷にあった1970年代の工場を買い、修復を施して新社屋にした。風通しのよい回廊に、陽光が差し込む大きなガラス窓。草木に囲まれた泉。2018年には約1,000ヘクタールの村の平野部に公園などをつくることで美しい景観を生み出し、「ソロメオ村の管理人」として古い村に再び命を吹き込んでいった。

いつしか村は、芸術や文化に満ちた場所となった。2012年にはミラノの証券取引所に株式を上場。初日の株価は50%上昇した。それはブルネロ・クチネリが掲げる「人間主義的資本主義」が高く評価された瞬間でもあった。「創業から42年になりますが、この間、会社はほどほどの利益を上げ続けてきました。20年はコロナ禍で総売上高が約10%下がりましたが、私は十分満足です。なぜなら、利益と贈り物のバランスこそ大切だからです」

利益と贈り物。その哲学は、コロナ禍でクチネリが取った行動に体現されている。イタリア政府がロックダウンを実施する中、彼は即座に3つの方針を打ち出した。すべての雇用を保証し、賃金水準を維持する。供給業者をはじめ、誰に対しても値引きを求めない。そして、直営店で売れ残った衣料品をすべて無償で寄付するプロジェクト「Brunello Cucinelli for Humanity」を立ち上げた。

「人間の魂は簡単には癒されません。眠れない夜もあります。しかし、痛みこそが人生の師であり、これこそが責任なのです。何を失ったのかを語るのではなく、20年が何をもたらしたかに目を向ける。コロナ禍は、森羅万象に対する私たちの態度を見直すきっかけになったと言えるでしょう」

インタビュー開始から1時間が経ち、再び時を告げる鐘が鳴った。「最後にひとつ、アドバイスさせてください」。そう言ってクチネリは、私たちにひとつの“制約”を求めた。「仕事の時間を減らしてください。そして毎日、頭を休ませ、魂と心のための時間をつくってください。人間として、幸せを感じながら暮らすために」

2021年6月23日更新
2021年4月取材

テキスト:瀬戸久美子