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日本的ウェルビーイングのカギは、渾沌を楽しむマインドと技術 ー Designing X in new normal age #2

幸せとは何か、よい人生とは何か。 誰もが一度は考えたことがある問いではないでしょうか。近年の急速なテクノロジーの発展は、人間の仕事や生活における効率を上げ、アクセス可能な人や情報を広げ、私たちの生活を豊かにしてくれたかもしれません。しかし、私たちは幸せなのか——。新型コロナウイルスの流行を受け、図らずも得た自分と向き合う時間のなかで、そう問い直した人も少なくないでしょう。

 

2020年10月29日(火)、産総研デザインスクール主催で「Designing X in new normal age」を開催しました。全5回のシリーズのうち、2回目となる今回のテーマは「Well-being(ウェルビーイング)」です。

 

ゲストスピーカーに春光院副住職の川上全龍氏と予防医学者の石川善樹氏をお招きし、宗教学、予防医学の観点から現代のウェルビーイングを捉えながら、産総研デザインスクールの大場光太郎氏、小島一浩氏と共に「善い社会に貢献するテクノロジー」を考えていきました。

 

ウェルビーイングの形は十人十色。4名のスピーカーの掛け合いをお楽しみいただきながら、ぜひご自身のウェルビーイングに思いを巡らせてみてください。

 

・第1回目のイベントレポート_「文化8割、ツール2割」リモートワークにおける信頼関係の築き方 ー Designing X in new normal age #1

 

Designing X in new normal ageとは
産業技術総合研究所(以下、産総研)が企画運営する産総研デザインスクールでは、「Designing X in new normal age」と題し、未来の兆しを掴む全5回のオンラインイベントを開催。毎回異なる領域「X(エックス)」で活躍するゲストから未来の兆しを共有いただき、共にこれからの時代の在り方を探っていく一般公開イベントです。

 

ー川上 全龍(かわかみ・ぜんりゅう) 臨済宗妙心寺派本山塔頭 春光院 副住職
米・アリゾナ州立大学で宗教学を学んだ後、宮城県の瑞巌寺にて修行を行う。2007年より春光院の副住職として、国内外の企業、大学、学会やイベント(イートン校、MIT、ブラウン大学、HBS、INSEAD、Mind & Life InstituteのISCS 2016とIRI 2018、 TEDx、マイクロソフト社など)で禅やマインドフルネスの講演、ワークショップ、リトリート等を行う。また2008年からは米日財団の日米リーダーシッププログラムのフェローとしても活躍。

 

ー 石川 善樹(いしかわ・よしき) 予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、フルライフ(NewsPicks Publishing)、考え続ける力(ちくま新書)など。

 

ー大場 光太郎(おおば・こうたろう)
1991年東北大学大学院博士課程修了(博士工学)。2009年より独立行政法人産業技術総合研究所知能システム研究部門副部門長、2015年より国立研究開発法人産業技術総合研究所ロボットイノベーション研究センター副センター長。2018年より産総研デザインスクール準備室長兼務、2020年に産総研デザインスクール事務局長、現在に至る。ユビキタス・ロボット(現在のIoT)、ロボット安全を通じて、コンサルテーション、ファシリテーション、デザイン思考などの人材育成研究に従事。日本ロボット学会フェロー、第13回産学官連携功労者表彰で内閣総理大臣賞を受賞。

ー小島 一浩(こじま・かずひろ)
1972年埼玉県飯能市生まれ。東京工業大学総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(博士工学)。2001年独立行政法人産業技術研究所入所。2011年産総研気仙沼プロジェクトに従事し、一般社団法人気仙沼市住みよさ創造機構設立メンバーを務める。2020年現在、国立研究開発法人産業技術総合研究所 人間拡張研究センター 共創場デザイン研究チーム チーム長兼同産総研デザインスクール事務局所属。現在、共創デザイン研究に従事。

 

ウェルビーイングは感覚的で、定義にしばられない

ウェルビーイングとは、16世紀のイタリア語「benessere(ベネッセレ)」を始源とする言葉で、「よく在る」「よく居る」という意味をあらわす概念です。本イベントでは、ウェルビーイングを「善い状態」と翻訳。その理由は、「良い」か「悪いか」の二軸で考えるのではなく、本人にとって望ましい状態かどうかを起点にウェルビーイングを考えていくためです。まずは、ゲストスピーカーそれぞれの「ウェルビーイング」を共有いただきました。

 

川上:「善い」の定義には答えがない。まずはそこからスタートするのがいいと思います。個人の間でも国家間でも違いますし、違うからこそ、人間は長いあいだ「善い」について考え続けているんだと思います。最近、言葉と感覚について考えています。禅宗では不立文字(ふりゅうもじ)といって、文字や言葉に頼らず体験によって伝えていくという考え方があるんですね。人類が二足歩行をはじめたのは約700万年前、言葉が生まれたのは約7万年前、甲骨文字が生まれたのは約3500年前。言葉はまだまだ未発達なもので、それだけで100%伝わることはほぼないんです。

 

ウェルビーイングもまた、言葉では捉えきれない経験や感覚に根ざしているのだと思います。

 

石川:僕なりにウェルビーイングを日本語に訳すならば、「いい感じ」です。では、「いい」とは何か。たとえば、電車でお年寄りに席を譲るのはいいことでしょうか。この問いは、僕が高校生の頃の東大の過去問に出たものです。 いい問題を出しますよね(笑) それから十数年経ち、僕はすごい光景を目にしました。

 

ある日、電車で小学校1年生くらいの男の子がおばあさんに席を譲ろうとしていました。すると「バカにしてんのか!私はまだ元気だ」とおばあさんが怒ったのです。この光景を見て席を譲る優しさ、譲らない優しさがあるんだな…と思っていると、小学生がひと言、「レディには席を譲るようにと言われてるのですが…!」と。おばあさんはぱあっと笑顔になると、譲られた席に座るや否やその男の子に山のように飴をあげていました(笑)

 

たかが言葉、されど言葉。本人が納得感を持って「いい感じ」と思えば、それはウェルビーイングなんです。

 

川上:今の話をスウェーデンでやると、「女だからって何よ!」と言われてしまう。実は、スウェーデンで女性に席を譲って怒られたことがあって。文化や国によっても「いい感じ」は変わりますね。

 

自己と他者の境界線が溶け合う「東洋的ウェルビーイング」

大場:ウェルビーイングは自己と他者との関係において存在すると考えています。自分の「善い」を考えると同時に、他者に何を渡して、他者から何をもらえるかがウェルビーイングの鍵になるのかなと思いました。

 

川上:東洋的な自己と西洋的な自己は大きく異なります。道教では自己を「渾沌(こんとん)」、仏教では「一如(いちにょ)」などという大きな存在の一部と考えます。西洋的な考えでは自己と他者を分けて捉えますが、東洋的な考えでは自己と他者との区切りは曖昧で流動的なものと捉えるんですね。そういう意味で、他者の幸せが自分の幸せに影響する度合いは東洋文化圏のほうが高いと思います。

 

石川:まさにそうですね。西洋では個人がはっきりしているのに対し、東洋は関係性のなかに個人がある。宮沢賢治も「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言っています。すこし極端かもしれませんが、東洋における自己と他者の関係性を示す象徴的な例だと思います。

 

 

僕たち予防医学の研究者は、「ウェルビーイングとは何か」という哲学的・宗教的な内容には答えを出しません。その代わり、「私はウェルビーイングな状態にある」と言っている人たちの特徴を調べます。もっとも大規模な調査は、ミシガン大学のロナルド・イングルハート氏の調査です。1980年から約30年間で人々の価値観や行動がどのように変化したかを調べていて、そのうちの一つが幸福度でした。

 

調査の結果、30年間で「幸せだ」と答える人の割合は上昇傾向を見せました。では、幸せな人が多い国にはどのような特徴があったのか。「経済発展」「民主化」「社会的寛容性」の3つが大きく関連していることが分かりました。特に3つ目は、人との関係性に関わるものです。女性やLGBTQ、あるいは年齢や学歴、収入、さらには能力で区別や差別をしない社会。これが社会レベルの「いい感じ」の正体かなと思います。

 

自己決定の疲弊から思考停止へ

石川:「経済発展」「民主化」「社会的寛容性」。この3つが揃う社会では、生き方の選択肢が増え、自己決定できるようになります。いろいろな生き方や働き方の選択肢があって、そこから自分で選べるという感覚。この感覚は個人の幸福度に決定的な影響を与えます。

 

川上:調査結果が出た2007年頃は、まだスマホが普及していないですよね。ちょうどその後から急速に情報量が増え、常に選択に迫られる時代に突入しました。その反動で、選択の疲弊も起きています。私の話をすると、日本からアメリカに移住した時にすべて自分で決めるのが苦痛でした。日本では決まっているような健康保険も、自分で決めなくちゃいけない。

 

石川:「善い」の話に戻ると、日本でも昭和にはその定義が決められていたんですよね。いい学校、いい会社、いい人生。僕が信じられないのは「夢のマイホーム」。なぜ夢を勝手に決めてくれるんだと(笑) でも、当時はレールを引いて、一歩ずつ進めるようにしてあげるのが善いとされていたんだと思います。

 

川上:同じように、ヨーロッパの中世では「善い」の定義が神になった時代が長くありました。ヨーロッパの中世や日本の昭和は、思考停止の時代だったと思うんです。今もなお、もう一度人々を思考停止にしようとする内容や言動も多く、私は危機感を持っているのですが…皆さんはどう思いますか。

 

 

小島:科学には思考停止を招く危うさがあると思っています。あらゆる根拠を科学に押し込めて「科学的には〜」と言われると、一般のひとは考える余地がない。それを科学者が経済活動に利用して、人々に考えさせずに物を買わせようとするのは問題です。我々科学者は、科学者として語れる範囲を理解してコミュニケーションをとることが大事だと思います。

 

川上:私のなかで、思考停止を招くキーワードが4つあります。シリコンバレー式、スタンフォード式、グーグル式、脳科学式。本や商品の名前につけたら売れる、みたいな原則がありますよね。

 

小島:たくさんの選択肢から選ぶのは大変だし、短絡的に「それさえやっておけば大丈夫」という安心感を得られるからかもしれません。我々もすぐに飛びつかないように、気をつけなければいけないですね。

 

効率主義から脱却し、ほんとうに求められる技術を問う

イベントの後半では、ウェルビーイングとテクノロジーの関係性を考えます。幸せな個人、善い社会に貢献する技術のあり方はどのようなものでしょうか。

 

大場:私はロボットの研究者ですが、技術は「道具」であると考えています。目的は別にあって、技術はそれを達成するためのもの。技術主導ではなく、善い社会を実現したり個人が幸せを感じるために技術をどう活かすかを考えるのが、技術者の健全なメンタリティだと思います。

 

それを強く認識したエピソードをお話させてください。2015年、ロボット研究者として長野県のりんご農家に調査に行きました。りんごの収穫は大まかに3つのプロセスに分けられます。まずは木から果実を摘む「摘果」、次に「搬送」、そして果実を大きさや形によって分類し値付けする「選果」です。この3つのプロセスを経て市場に流れます。

 

 

りんご農家のお父さんに話を聞くと、摘果と搬送は誰でもできるけれど、選果はお父さんしかできないことがわかりました。それなら、選果以外の部分は自動化できるのではないかと。しかしお父さんと対話をするなかで、彼が「収穫は楽しみだから、実はあまり自動化してほしくない」と本音を漏らしました。ロボット工学者であれば、良かれと思って収穫のプロセスをすべて自動化する発想になりますが、よくよく耳を傾けると本当に自動化するべきところ、そうでないところが見えてきます。

 

相手の潜在意識にアクセスできるような問いを立てられるかどうかが、技術を社会実装するための鍵だと考えます。

 

小島:技術者がいいものを作ろうとすると、自動化して効率的にするか、人の負担を減らすかが論点になりがちです。今までの認知フレームを変えていかなければなりません。私が所属する人間拡張研究センターでは、人間をより能動的な存在として捉える技術を開発しています。

 

たとえば、ボールを蹴る足をサポートし、蹴り出しが強くなる機械があります。ボールを蹴ると爆音がなり、ゴールネットに触れた時に音が返ってくるというものです。これでボールを蹴ると超人になったような気分になり、また蹴りたくなる。みずから行動を起こした結果、音によって行動を強く知覚し、また次の行動に繋がります。つまり、主体的な人間を技術がサポートするという考え方です。

 

石川:人間を能動的に捉え、行動することで知覚する技術。目から鱗ですね。本当の意味での人間を拡張する可能性を感じました。

 

 

ここで、参加者の方々に「善い生活のために技術に最も求めること」をアンケートで答えていただきました。

 

石川:最新技術を追いかければよかった時代から、流れが変わってきています。将来を描いて、そこに技術をどう組み合わせるか。やはり「善い生活とは何か」に戻るんですよね。その流れの変化がグラフから読み取れます。

 

川上:意外と効率性が低くて、よかったですね(笑)

 

「将来性」をみて思い浮かんだのは、揺らぎ、遊びです。この間16代続く陶芸作家の方とお話したら、代々続く型がある一方で、それぞれの代が遊んでいるというんです。代ごとに揺らぎがあって、ある時一代飛び越しておじいちゃんがやっていたことが今に繋がるみたいな。揺らぎや遊びの部分が、未来の新しさや楽しさを生むかもしれないですね。

 

渾沌を歓迎するマインドが、新しい価値を生む

石川:大場さんと小島さんが事務局をされている産総研デザインスクールは、社会に必要とされること「共通善」から出発していますよね。善い社会のために技術を活用するというコンセプトが興味深いです。

 

小島:産総研デザインスクールは、企業の方と研究者がお互いの垣根を超えて、社会の共通善を探究し、未来社会をつくるために学び、技術を用いながら実践する場です。まずは自分たちがどういう未来をつくりたいかを考えるわけですが、ずっと迷うんです。スクールが始まったばかりの頃は受講生も不安そうでしたが、最近は迷うことを楽しんでいる様子がうかがえます。

 

大場:今年は新型コロナウイルスの影響で授業をすべてオンラインに切り替えたので、受講生を取り巻く環境の変化も大きかったですね。

 

川上:西洋的な感覚だと、「混沌」って気持ち悪いんですよね。旧約聖書の創世記では暗闇と混沌があって、その後に光が出てきて物がはっきり見えるようになった。一方で、東洋思想では「渾沌」と書いて、元々ある当たり前の状態のことをいうんですね。仏教用語の「諦念(ていねん)」とも言えますが、物が明らかにみえた状態で、自分はこんなもんだと諦める。だからこそ謙虚になれるし、もっと知りたいと思える。諦めるってネガティブに聞こえるけど、いい言葉ですよ。

 

 

小島:思考停止しないように、あえて渾沌を作り出すことも大切だと。

 

川上:建築家の安藤忠雄さんは、作品のなかに必ず一つ「不便さ」を取り入れるといいます。悩みながら不便な部分を工夫して使っていくうちに、いつしか愛着が生まれるからだそうです。そう考えると、不便を感じるのも悪くない。人は悩みが無くなったらつまらないですよ。

 

大場:デザインスクールでは日々迷いながら渾沌を楽しんでいるので、それで良かったんだと思いました。組織として渾沌を許容できる余白づくりが大切ですね。

 

石川:問いを持って行動して、技術を使えばいいし使わなくてもそれはそれでいい。主流となるよりも、産総研デザインスクールのように渾沌から次の時代を切り開くような人が一人でも増えてくれれば嬉しいですね。

 

 

次回、11月24日(火)19:00〜21:30にて「Designing X in new normal age」第3回を開催します。テーマは、「新しいサステナビリティ 」。上智大学グローバル教育センターで講師を務める山﨑瑛莉氏、スウェーデンのストックホルム大学 ストックホルムレジリエンスセンターでプログラムディレクターを務めるSarah Juhl Gregersen氏をお招きし、サステナビリティの本質や、グローバル企業のSDGs取り組み事例をご紹介いただきます。

■ お申し込みはこちらから
https://peatix.com/event/1691702/view

 

2020年10月取材
2020年11月20日更新

テキスト:花田奈々
グラフィックレコーディング:仲沢実桜

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