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仕事を観察し、自分の意思を持つ。「働き方の価値観の違い」に悩むのをやめよう

仕事でもプライベートでも、やりたいことは山のようにある。同時に、周りからのいろいろな頼まれごとにも向き合っていくと、いつの間にか予定はいつもパンパンに。この働き方、暮らし方は思っていたのと、ちょっと違う気がする……。そんなときに必要なのは、こだわりや常識、思い込みを手放すことなのかもしれません。連載「やめるための言葉」では、圓窓代表取締役・澤円さんと一緒に「やめること」について考えていきます。

「働いて働いて……」が流行語大賞に

2025年は、日本史上初の女性総理大臣、高市早苗さんが誕生したメモリアルイヤーになりました。

高市さんが自民党総裁に選出された際の演説で語られた「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が、2025年の流行語大賞になりました。ボクは、この言葉をめちゃくちゃポジティブに捉えました。責任なるポジションに就き、信念をもって働きまくることはなんと素晴らしいことか! 心から応援したいと思ったものです。

ただ、この言葉に対して別の受け取り方をする人もいたようで。

「そんなことを国のトップが言ったら、日本全国ブラック企業化するではないか!」みたいな反応がネット上にもちらほら見かけられました。なんでそうなるんだろう……とボクは純粋に不思議に思ったのですが、それくらい「長時間労働」「過剰勤務」に拒否反応がある人もいるようで。

そして、流行語大賞の授賞式でも、高市首相は「決して国民の皆さんに働き過ぎを促す意図はございません。誤解なきようにお願いします」とコメントされていましたね。

あくまであの発言は高市首相の信念と決意を述べたものであり、他人にも強要する言葉ではなかったと思ったのですが、そうは思えない人も中にはいるんですよね。そんな連中にも気を遣わなくちゃいけないとは、政治家というのはつくづく大変なお仕事だなぁと思いました。

では、なんであのようなコメントをしなくてはならなかったのでしょうか?

あのコメントは、あくまでも個人の覚悟を示したものであるはずなのですが、なぜかそれを「社会的メッセージ」として受け取られるような土壌が、日本には存在していることを端的に示しているとも言えます。

この背後には、日本特有の「長時間労働文化」が潜んでいると確信しています。

長時間労働への恐怖?

日本には「24時間戦えますか」という伝説的な狂気のCMが流れていた時代がありました。「企業戦士」なんて言葉がもてはやされ、世の中には長時間労働が常態化した会社が満ち溢れていました。当然のことながら心身の健康を害する人たちも現れ「過労死」が「Karoshi」という事実上の世界語になってしまいました。

働けば働くほど収入は一定の割合でアップし、それなりに贅沢な暮らしはできたのかもしれません。とはいえ、あくまでも企業から提供される報酬の範囲内の話であり、巨万の富を築くというレベルの話ではなかったでしょう。バブル崩壊と共に長時間労働と収入アップの相関関係が崩れた後も、「長く働くことが美しい」という思想は根強く残っているようです。

そして、この長時間労働は「強制される」というパターンと「自ら選ぶ」というパターンの二極化をしているように感じます。

強制されるというのは「上役からの直接的な圧力」の場合もあれば「職場の雰囲気でとても抜け出せる状態ではない」というパターンもあるようです。

「自ら選ぶ」という場合は「キャリアアップのために会社を使い倒す」というパターンもあれば、フリーランスや自営業など「他にやる人がいない」というタイプもありますね。

フリーランスや自営業などは、本来自分の裁量で労働時間を調整できるはずなのですが、よくよく観察してみると、背後には大きな企業の影があり、「強制される」というパターンに飲み込まれていることもあるようです。

この「長時間労働」というのは、なかなか人間を削ってくるものです。しんどい作業や極度のプレッシャーにさらされるような働き方は、継続性とは程遠いものです。どんどん気力体力がすり減っていき、最終的には働くことができなくなってしまった人もたくさんいます。

これは、自分で自分のペースを作れない状態……つまり、自分の価値観に従って働くということができなくなってしまった状態ではないかと思います。

自らの意思で、健康など気にせず働きまくる人もいます。起業家などは、このタイプですね。いつも言ってることですが、成功する起業家に共通するポイントは「頭がおかしいこと」です。ボクの周囲にいる起業家の連中は、もともと優れたビジネスパーソンでもあり、会社に勤めていても十分に成功した可能性のある人たちが数多くいます。

でも、頭がおかしいので、会社という器を飛び出してしまう。そして、頭がおかしいので、健康など顧みずに世の中を変えることだけに集中しちゃうわけです。それくらいの勢いがないと、世界を変えるサービスやプロダクトは作り出せませんからね。

でも、大抵のビジネスパーソンは、すでに出来上がっている仕組みで社会に貢献できているはずです。端的にいえば、会社や学校、病院や店舗などで働き、顧客へ価値を提供すればいいのです。本来そこでは「極端な長時間労働」が前提にならないようなデザインがされていることが多いはずです。

自分の仕事を観察しよう

では、なぜいまだに長時間労働が蔓延しているのでしょうか?

これは、「他者の価値観に振り回されている」と表現できると思います。

「早く帰るとやる気がないと思われる」
「自分だけ楽をしてると見られたくない」
「上を目指すにはたくさんの仕事をしてアピールしないと」

これは、自分以外の視点にプライオリティを置いている状態ではないかと思います。

もちろん、それが自分の幸福度に直結するなら、なんの問題もないでしょう。長時間労働によって他人から評価されることが自分の喜びである!と本気で思えるなら、どんどんやってもいいと思います。

でも、他人の評価なんてものは本当にアテにならないものでもあります。「前と言ってること違うじゃないですか!」と腹を立てた経験とかありませんか?

他人の価値観に合わせて働くって、そういうリスクと常に隣り合わせなんですよね。だからこそ、自分の意思を持つことが大事だと思うわけです。

まず自分の仕事をしっかりと観察して
「誰のためにやっているのか」
「どのようにその効果が測られるのか」
「最低ラインはどこで、平均的な期待値はどこか」
を観察して言語化・数値化しておくこと。

そこで、自分の「頑張り度合い」を調整してみてはいかがでしょうか。思いっきり活躍したい、自己実現したい、高みを目指したい……と思うなら、徹底的に仕事に向き合いまくる時期があってもいいでしょう。

ボクも、30〜35歳くらいの頃、とにかく徹底的に働くことで一気にビジネスパーソンとしての価値をアップすることができた時期はあります。ここは踏ん張りどころだな、とメタ認知できていれば、セルフコントロールしながら頑張れるでしょう。このメタ認知なしで闇雲に働いてしまうと、いつの間にやら消耗しきって燃え尽きる……なんてことになりかねないわけです。

働くこと=自分の人生、と心から思えるのであれば、それはそれでボクは応援したいなと思います。冒頭の高市首相も、きっとそんな心持ちなのかもしれません。

国を率いる立場ともあれば、自分の信念が何よりも大事。それに従って働くことは、とても素敵だとすら思います。「24時間戦えますか?」のマインドも、国を背負っている方にとっては当たり前の感覚かもしれません。

でも、ビジネスパーソンであれば、もうちょっと気楽に構えるのもよろしいかと。「24時間」のCMと同じくらいの時期にあった、もう一つの有名なフレーズをご紹介します。

「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」

こっちの方が、多くのビジネスパーソンにはマッチするのではないかなと思います。働く時は徹底的に働いて、自分の人生の楽しみは犠牲にしない。こんなマインドも選択肢に入れておきたいものです。

アイキャッチ制作=サンノ
編集=ノオト