これからも残したい風景を、みんなでつくる。相模大野で実践する、新しい大家業のかたち(kichika・渋谷洋平さん・純平さん)
小田急線相模大野駅から徒歩2分、マンション「パークハイム渋谷」の地下へと続く階段を下りた先に、コミュニティスペース「kichika(キチカ)」が広がっています。
天井が高く、窓から光が差し込む広々とした地下空間は、イベント会場やレンタルスペースとして活用され、さまざまな人が主体的に参加できる「まちの基地」として機能している場所です。イベントが開かれると住人や地域の人々が集まり、ゆるやかな交流が生まれています。
このキチカを運営し、神奈川県相模原市周辺の人たちと共に活動しているのが、物件を管理する有限会社ミフミの渋谷洋平さん・純平さんご兄弟です。
今回は、キチカ誕生の背景や、住人や地域の人たちが主体的に活動を続ける理由を伺いました。
「ここには人がいないね」が、敷地のあり方を見直すきっかけに


お二人は脱サラして家業である大家業を継ぎ、2代目大家になったそうですね。
いつかは継ぐことを考えていたんですか?


洋平(兄)
はい。ただ、まさか30代前半で継ぐとは思っていませんでした。
転機は東日本大震災です。深夜まで会社で働く生活を見つめ直していた中で震災が起き、当日は自宅に帰れず、不安がる家族のそばにいられない働き方に疑問を覚えました。
その頃、相続のタイミングもちょうど重なったので継ぐことを決意し、2012年に両親が経営する有限会社ミフミに入社したんです。


純平(弟)
その翌年の2013年に僕も入社しています。
それまでは都内で仕事中心の生活でしたが、家族との時間を考えて、みんながいて自然の残る風景も好きな地元・相模原に戻りたくなって。


純平
最初は、転職先を探していたんです。
そんなとき、兄から「一緒にやらないか」と声をかけてもらいました。
弟さんを誘ったのは、どんな理由だったのでしょうか?


洋平
地域活動や自然と寄り添う暮らしなどにも興味がある弟と協力すれば、大家業の可能性がさらに広がると考えたからです。
父から実務を学ぶ中で、当初は「大家は目立たず、ひっそりと働くものだ」と思っていました。


洋平
ところが、大家向けのイベントに参加してみると、業界の流れは大きく変わり、個性豊かな大家さんが表に出て、住人さんと協業したりユニークな活動をしたりしていることを知ったんです。
「大家業にはもっと大きな可能性がある。二人なら面白いことを起こせそうだ」と思いましたね。

純平
個性豊かな大家さんのお一人が、賃貸のイベントで出会った「大家の学校」を主催している青木 純さんです。


純平
それまでの僕らは、空間デザインや最新のシステムばかりに目を向けていたんですけど、青木さんたちは「人」に焦点を当てていました。

洋平
「大家は孤独な仕事だ」と思っていたけど、青木さんはそうじゃなかったんです。イベントを一緒に企画したり、仕事を発注したり……。
住人さんや地域の人たちとチームを組んで大家業を続ける青木さんの姿がいいな、と思って。
そういう繋がりの中で、人が集う場づくりなどを学ばれたのですね。


純平
青木さんに、僕たちの会社の物件が掲載されたサイトを見てもらったこともあります。
物件のデザインを重視していたので「かっこいいね」と言ってもらえるかなと思ったら、「ここには人がいないね」と言われて、とても驚きました。


洋平
改めて見返してみると、たしかに住人さんの暮らしが見えてこないなと気づいて……。
「人が主役」と書いて「住む」という考えの青木さんだからこその一言だと思いましたね。

純平
それから、「自分たちはどんな場所をつくりたいのか」「そのために大家業として何ができるのか」を模索し始めたんです。
敷地を地域にひらく。畑から始まった共創の場づくり
まずは何から取り組み始めましたか?


純平
2017年から始めたのが、マンションから徒歩圏内にある実家の畑を中心とした『畑と倉庫と古い家』というプロジェクトです。


洋平
青木さんに、「敷地に価値なし エリアに価値あり(※)」という言葉を教えてもらいました。
つまり、“自分たちの敷地内だけじゃなく、周辺エリア全体の魅力や人のつながりがあってこそ、まちが価値を持つ”という考え方です。
※数々のまちづくりプロジェクトに携わってきた、アフタヌーンソサエティ代表取締役の清水 義次さんが提唱した言葉。

純平
その考えに共感し、まずは緑と農があって“相模原の自分たちが子どもだった頃に馴染みのある風景”をとどめる畑を地域に少しずつひらいていき、エリア全体の魅力やつながりを生み出そうと考えたんです。
今では「はたけ部」と称して、住人さんや地域の人たちと定期的に畑の手入れをしています。

なぜ、マンションから離れた場所から始めたのでしょう?


洋平
マンションでいきなりコミュニティ活動を始めたら、驚かれる住人さんもいらっしゃると思ったからです。
興味をもってくださる方とお互いに無理なく関わりたかったので、物理的に少し離れた畑はちょうどいい距離感かな、と。

純平
そして2017年には、住人さんや地域の人とマンション一室のリノベーションをして、そのお披露目会を畑で開催したんです。


純平
そのSNS投稿を見た、地元の相模女子大学で教員をしている依田 真美さんから、「相模原で『100人カイギ(※)』を一緒にやりませんか?」と声をかけていただき、主催者側のひと組になったんですね。
※そのまちで働く100人を起点に、人と人とをゆるやかにつなぐコミュニティ活動。「ゲストが 100人になったら会を解散する」のが唯一のルール。

洋平
毎回5人の登壇者を探す必要があったおかげで、街のいろいろな場所にアンテナを立てられました。
相模原には面白い活動をしている人たちがたくさんいることを知り、「ポテンシャルがめちゃくちゃ高いんだな」と気づいて。


純平
その人たちと挨拶するだけの関係じゃなくて、もう一歩踏み込んで何かプロジェクトを起こせる拠点がほしくなり、キチカをつくることにしたんです。


純平
いろいろな大家さんを見ていると、面白い活動が起こっているまちには、面白いプロジェクトメンバーが大体いるんですよ。
「その人たちがどうしたら興味を持ってくれるだろう?」と考えた先に生まれたのがキチカでした。



純平
この場所をうまく活用すればアイディアを具現化しやすいですし、何かを始めたい人のチャレンジの場にもできるはず。
それで、商業用に貸し出していたこの地下空間を自主管理の多目的スペースへと思い切って変えることにしたんです。
余白をつくり、整えて、関係をゆっくりと育む。共感で集まる人が主体的に動ける場づくり
キチカや畑での活動風景を見ていると、住人や地域の方々が主体的に関わっているように見えます。どんな工夫をされているのでしょうか?


洋平
最初に、僕たちの理想とする世界観を「イメージ図」として発信したことが大きかったなと思います。
大家の学校で「やりたいことをイラストにしてみたら?」とアドバイスをもらい、まずは畑の構想を全体像として描いて発信したところ、共感した住人さんや地域の人たちが自然と集まってくれました。

キチカのイメージ図(提供イラスト)


洋平
その一方で、構想に共感してくれそうな地域で面白い活動をする人たちにも声をかけました。みなさん、まちに積極的に関わるプレイヤーなので、イベントの際には自主的に動いてくれるんですね。
そのとき、僕たちが動きすぎると管理されているようで、つまらなく感じてしまうし、自分たちも疲弊して続かなくなってしまうはず。だからこそ、なるべく“動きすぎないこと”を意識しています。

純平
結局のところ、僕らがしているのは、やりたい人が主体的に関われるように「余白をつくり、整えること」だけなんです。
たとえば、キチカでは本棚とキッチン以外を可動式の什器にして、多目的に使える「余白のある空間」にしました。



純平
その上で、主催者の方がやりたいイベントを開きやすいよう、設備やレンタル品、ルールなどを整えています。
共感で集まった人が主体的に動きやすい場づくりをされているのですね。場に関わる人と接する際に意識されていることも教えてください。


洋平
焦らず、少しずつ関係を築くようにすることです。
初対面では、相手が望む関わり方がわからないので、自分たちのやりたいことを熱量高く伝えてしまうと、引かれてしまうことがあると思うので。

純平
たとえば、急にやる気を出した大家から「このマンションでコミュニティ活動を始めるから来てください!」と言われても、住人さんは戸惑うんじゃないかと思っていて。
だから、イベントなどの告知はマンションの掲示板やエレベーター内に掲示する程度にとどめて、“関わりたい人が自然と関われる状態”を大事にしています。

そうして、関わりたい人たちと構想を実現されているのですね。


洋平
そうですね。まずはイベントや畑での活動に何回か来てもらい、僕たちがやっていることをなんとなく知ってもらったり、どんな活動や暮らしができるとより面白いかを一緒に考えてもらったりしています。
その中で対話を重ね、ゆっくりと関係性を育てながら、みなさんと構想を少しずつ実現しているところです。
活動仲間が地域に根を下ろし、やりたいことを形にする
キチカでの活動を通じて、関わった人たちにはどんな変化がありましたか?


純平
僕たちの構想に共感し、「パークハイム渋谷」に5年間住んでくださったYさんご夫婦は、2025年10月に相模大野駅近くで、電車の見える本屋『Neuk (ヌーク)』をオープンされました。


洋平
お二人はキチカや畑を積極的に活用してくれて、地域の人たちとのつながりも築いていました。
「心地よいコミュニティがあるから」と相模大野を拠点に本屋を開くことにされたそうです。
渋谷さんたちの活動が、このまちで新しい挑戦をするきっかけにもなったのですね。



純平
ここ相模大野で、「地域で何かを始めたい人が、小さなチャレンジからやりたいことを形にできるモデル」をつくりたかったので、実現された方がいることは嬉しいですね。

洋平
「エリアをより面白くして、人の輪を広げ、まちの価値を高めたい」と考える仲間づくりも自分たちが最も重視してやりたかった部分です。


洋平
活動を重ねる中で仲間が増え、何かを始めたいときに相談し合える関係が築けたのは心強いことですね。
まちに「余白」を残し、次世代につないでいく
渋谷さんたちは、なぜ地域のためにそこまで行動できるんですか?


純平
基本的には自分たちが「こんな場所があったらいいな」と思うことを、できる範囲で続けています。


洋平
とくに畑については、開発と変化が著しい相模大野で自然がどんどん減り、まちの風景が変わっていくことに、「このままでいいのだろうか?」と感じていました。
だから、「相模原の昔ながらの風景が残る暮らしを守るために、何かできることはないだろうか?」「それを一緒に考えてもらえる活動仲間がほしい!」と思って取り組んでいます。

純平
僕たちのミッションは「今ある風景を次の世代に残すこと」です。
僕ら以外にも喜んでくれる人がいる風景を残すことが、住みやすさや人との触れ合い、そしてまちの価値にもつながると考えています。


洋平
「大家の学校」での個性豊かな大家さんたちとのつながりを通じて、「自分たちの敷地を地域にひらいて公共の資産として活用すれば、まちが変化していくこと」を教えてもらったんです。

地域に貢献できる可能性がいくつもある大家業ですが、これから相模大野をどんなまちにしたいのか、そのためにどんなチャレンジをしていきたいか教えてください。


洋平
大学が多い相模大野の特性を生かし、若い人たちがよりチャレンジしやすくなり、さまざまな世代の人と交われるまちになれば素敵だなと思っています。

純平
僕たちも人とのつながりのおかげで、考え方や行動が大きく変わりました。
キチカや畑を通して、若い人や意欲ある人がチャレンジできる機会を少しでも増やし、人との関わりやつながりをゆっくりと築いていけたらと考えています。

地域活動に関心があり、「自分も何かやってみたい!」と思っている人におすすめのファーストステップはありますか?


純平
まずは地域に関心を持ち、実際に足を運ぶことが第一歩だと思います。
今は地域ごとにいろいろな活動が起きているので、まちの至るところにアンテナを立てれば、自分にできそうなことが見えてくるはずです。

洋平
また活動するときには、無理せず楽しく、関わる人との適度な距離感を大事にしながら進めることも重要だと思うんです。
みなさんが自然と参加できる状態をつくった上で、共感してくれる人たちと協力しながら、まずは自分にできることを一つずつ地道に進めていけるといいのかなと思います。

【編集後記】
お二人のお話を伺いながら、「大家と住人」の関係性は「総務と社員」の関係性にも通じるものがあると感じました。これまで総務は、裏側から日常を支えるいわば”守り”の役割が中心。しかし今や、オフィスで「コミュニティ」や「共創空間」といった言葉が広がり、総務が突然”場づくり”を担うケースも増えています。
そんな変化の中で、渋谷さん兄弟が実践する新しい大家業の姿は、場を整備・管理するだけでなく、人が関わり合う余白をどう生むかのヒントに満ちており、働く場づくりにも通じる学びが多い取材となりました。(株式会社オカムラ WORK MILL 編集員 / Sea コミュニティマネージャー 宮野 玖瑠実)
2025年9月取材
取材・執筆=流石香織
撮影=森カズシゲ
編集=鬼頭佳代/ノオト


