どうしようもない体調の問題、どう伝えて、どう働く? 難病と共に生きる新聞記者・谷田朋美さんの試行錯誤
当たり前のように求められる、1日8時間、週5日の勤務。
しかし、体力や体調、体質など、自分ではどうしようもない理由で、その「当たり前」をこなせないこともあります。一体、どうやってそんな変えられない自分を会社に伝え、自分の働き方を作っていけばいいのでしょうか。
毎日新聞大阪本社で勤務する谷田朋美さんは、15歳の頃から、頭痛や倦怠感、めまい、呼吸困難感などの慢性的な体調不良を抱え、長年病名のつかない体調不良とともに生きてきました。休職期間を挟みつつも、さまざまな調整を重ねてきた谷田さん。現在の働き方にいたるまでの試行錯誤や、誰もが働きやすい環境について伺いました。
谷田朋美(たにだ・ともみ)
新聞記者。1981年生まれ。15歳の頃より、頭痛や倦怠感、めまい、呼吸困難感などの症状が24時間365日続いている。2005年、毎日新聞社入社。立命館大学生存学研究所客員研究員も務めている。note連載「私たちのとうびょうき 死んでいないので生きていかざるをえない」(現代書館)。
病気を伝えるのは難しい
今日のご体調はいかがでしょうか?
谷田
私の体調は天候の変化にシンクロしていて、今日は低気圧なので実はちょっと調子が悪くて……。
もしもまとまらないことをしゃべっていたら、ご指摘いただければ。
取材日を変更したり、カメラをオフにして横になっていただいたりしても大丈夫なので、ご無理はなさらないでくださいね。
谷田
ありがとうございます。もし体調が悪化したらお伝えします。
まずは、差し支えのない範囲で、谷田さんのご病気のことを教えてください。
谷田
15歳の頃から今まで、頭痛、倦怠感、めまい、耳鳴り、ブレインフォグ、呼吸困難感などのさまざまな症状が出ています。
その日の症状によって、全く動けない日もあれば、普通に動ける日もあります。
そうなってくると、原因が気になりますよね……。
谷田
10代のときからいろんな病院にかかったのですが、原因がわからなかったんです。どんな検査でも異常はなく、精神科の薬も効きませんでした。
そういった経緯があるので、自分の病気について語るのが苦手なんです。難しくて。
谷田
その後、28歳のときに「脳脊髄液減少症(※)」と診断されました。難病ではあるのですが、国の指定難病には含まれていません。
専門医ではない医師からは「そんな病気はない」と言われて混乱した経験もあります。
(※)脳や脊髄を浮かべている「脳脊髄液」の減少により、さまざまな不調が出る病気
谷田
社会人になってからは、体調とうまく付き合いながら働いていることもあれば、休職して寝たきりになっていたこともあります。
そのほかにも、短時間勤務で働いていた時期もありました。
働き方について、周りに伝えていくのは大変ですよね。
谷田
障害や病気があっても、特性や症状が一定なら体調管理しやすい面もあるかもしれません。
ただ私の場合、いつ調子が悪くなるかわからないところがあって、体調の波が大きいので調整が難しいです。また、周りへの伝え方にも困ることが多いですね……。
「夜討ち朝駆け」ができない記者
新聞記者のお仕事はハードな印象がありますが、谷田さんはどのように働いてきたのでしょうか?
谷田
そうですね。新聞記者には「夜討ち朝駆け」があります。これは政治家や刑事を早朝や深夜に訪ねて、情報を得る取材の方法を指す言葉です。
他社に先駆けて特ダネを取れるかどうかで、記者として評価されるのです。
谷田
病気のある私も、事件が起きたときには、24時間以上起きて働き続けていた日もありました。
そうなんですね……。
谷田
たとえば、21時に殺人事件が起きたときに、23時頃まで現場で取材します。
それから警察署に移動します。午前3時、4時といった時間帯に警察署の非公式の会見が行われたりするんです。
谷田
警察はもちろん夜通しで捜査していて、記者も張り付いていく。朝になるとまた現場に入って、聞き込みを続けていきます。
気づいたときには、「24時間寝てないな」ということがありました。
かなり大変そうです。
谷田
ただ、現場取材は随分やりましたが、夜討ち朝駆けの経験はほとんどないほうです。体調を崩しやすかったので、「配慮」があったのかもしれません。
私としては、社会問題の予兆に目を向けること、ちょっと別の角度やおもしろい視点を見つけて記事を書くことで違いを出して、記者としてなんとか生き延びていましたね。
なるほど。
谷田
ただ、自分が「新聞記者」と名乗ることに対して、「夜討ち朝駆けもできないのに」とおこがましさを感じることもありました。
でも考えてみると、夜討ち朝駆けをできることを基準にして、それができない記者が自分を卑下してしまうのは、みんなにとって苦しいことだとも思います。
正直なところ、体力があっても、その働き方を長く続けるのはつらそうです。
谷田
もちろん情報を得る上で、夜討ち朝駆けという取材手法は重要です。
ただ、私のように病気がある場合だけでなく、子育てや介護をしている人など、何らかの事情があって24時間体制の働き方ができない人はたくさんいます。
多様な取材手法があってよいですし、それが評価されてほしい、とは思います。
本当にそうですね。
谷田
「しんどいことを我慢した人が偉いんだ」という風潮がベースにある社会は、ちょっと厳しいですよね。
そうですね。反対に、記者として働きやすいところはありましたか?
谷田
記者は基本的に「9時から17時までデスクに座って仕事をしなければいけない」といった決まりがないんですね。
仕事時間をある程度はやりくりできるのは、難病をもつ私にとって働きやすいところです。
急な体調不良でも、調整が効くのはいいですね。
谷田
もちろん取材相手との調整や原稿の締切はあるのですが……。
逆に、毎日決まった時間で同じ場所にいなければならない環境だったら、私は持たなくて辞めていたと思います。
ほかにはどんなところがありますか?
谷田
先輩や上司たちにはずいぶん助けられました。
入社したばかりの頃、すごく体調を崩してしまって。私は「退職しないといけないかな」と思っていたのですが、当時の上司が一緒に病院に付き添ってくれて、病院の先生と会社の間に立って、話をしてくれました。
病院に……!
谷田
休職したときにも、上司が手続きなどを進めてくれました。
私の両親にも「ちゃんと説明したい」と、本社に呼んで話をしてくれて、編集局長と人事部長にも話を通しておいてくれたんです。そのように間に立ってくれる存在は本当にありがたいです。
ご家族への説明まで……。本当に手厚いですね。
谷田
上司には感謝していますし、会社にそういった文化が根付いていて。歴史ある日本企業の良い面でもあると思いますね。
他部署のすごく年上の先輩が、取材相手である難病の作家や詩人の方と出会う機会をつくってくれたこともありました。
だから、私も病気に悩んでいる後輩がいれば、できることは惜しまず支援する心づもりでやってきました。
弱い人を中心に置いてみる
現在の業務はどのような内容ですか?
谷田
編集局のあと、人事部を経て、今は新聞社のなかで主に広告関連の原稿を書く仕事をしています。
実は、希望して異動してきたわけではなかったのですが、ここには編集局の「夜討ち朝駆け」とは違った価値観があって、やりやすさも感じています。
どんな違いがあるんですか?
谷田
広告関連の記事では、広告費を出してくれるクライアントの意向を汲みつつ、読者の関心に応えられる内容であること、報道としての質を担保していることが求められます。
広告営業のメンバーは、そうした調整やコミュニケーション、文章構成の面で評価してくれるんですね。
谷田
働き方としても、事件発生時のように「いざというときに限界まで動けるか」といった能力は求められなくなり、そこはやりやすいですね。
難病の方をはじめ、いろいろな制約がありながらも仕事をしている人たちが働きやすくなるには、どんなことが必要だと思いますか?
谷田
病気があると、普段からすごくしんどいんです。
ただ、会社だって営利組織。慈善事業をしているわけではないので、「病気の人よりも健康な人を採用したい」と言われたら反論できないな、とずっと思っていました。
でも、最近は考え方が変わってきて。
どんな変化が?
谷田
「しんどいことを我慢したら出世できる」といった組織で生き抜いていくのは、病気や障害がなくても苦しいのではないか、と思うんです。
確かに……!
谷田
基本的に、会社では弱いところを見せられませんよね。「自分にはこういう能力があります」と見せ続けなければならない。
そうした環境では、普通に働いているように見える人でも「我慢大会」のようになっている面があるのではないでしょうか。
でも、弱みを見せるのは難しいです……。
谷田
弱い人を中心に置いて、組織づくりを考えてみるのもいいのではないかと思います。そうすることによって、他の人も弱みを見せやすくなる。
谷田
誰しも弱いところはある。でも、健常者はそれを良くも悪くも隠せてしまうんです。
一方で、難病の人たちは隠せません。急に倒れてしまうことがあったりします。そうしたときに、誰かが役割を代わってあげられる職場であるほうが、みんなが働きやすいはず。
実際にGoogleの調査でも、個々が能力を発揮できる「強い」チームとは「心理的安全性が高い」チームである、という結果が出ています。
長い時間を過ごす職場でずっと弱さを出さずにいるなんて、無理ですもんね。
谷田
「失敗した」と言えずに1人で抱え込んでしまう環境では、取り返しのつかない大きな問題が起きるかもしれません。
我慢大会を止めるためにも、弱い人を中心に置いてみるのはどうでしょうか。
難病記事に多くの反響。全員に話を聞いてわかったこと
谷田さんは、新聞記者として「難病」をテーマに発信をされているのも印象的です。
難病の人たちがより働きやすくなるには、社会がどのように変化していけばいいのでしょうか?
谷田
まず、働きたいのに働けていない難病当事者がたくさんいます。そのことを体感したのは、私が2020年12月に、難病についての記事を書いたあとでした。
谷田
私が今まで書いた記事の中で、一番反響があったんです。
「難病当事者の視点が大事だ」と教えられ、私自身が仕事をしていく勇気をもらいました。それで、反響をいただいた難病当事者の方全員に話を聞いたんですね。
全員にですか……!
谷田
話を聞いていくと、最も多いニーズとして浮かび上がってきたのは、居場所がないことと、働きたいのに働けないことでした。多くの難病当事者が社会とのつながりを持てない状況に置かれていることに、改めて気づかされました。
このときに出会った方のひとりが難病を患う重光喬之さんです。彼が理事長を務める特定非営利活動法人両育わーるどの「難病者の社会参加を考える研究会」は、働くことが社会参加につながると考え、難病当事者の雇用事例を集めて、働き方を考えています。
なるほど。
谷田
障害のある人には障害者雇用制度がありますが、障害のない難病当事者には適用されません。重光さんは「難病者の働く事例を作っていくことが大切だ」と話しています。
具体的には、どんな事例がありますか?
谷田
研究会では「まずは行政から」と地方議員向けに1年ほど勉強会を開いてきたのですが、今年度に、山梨県が都道府県では全国で初めて難病患者を対象にした正職員の採用試験をすることになったんです。
今までは、当たり前のように「難病の人は働けない」と思われていたところから、常識を変えていくきっかけになるといいなと思っています。
実際、変化が起き始めているんですね。
谷田
これまで評価されてこなかった難病当事者の力が知られてほしいですね。ただ、実際に働くときには、難病当事者と事業者双方の間の調整が不可欠です。
はい。
谷田
そこで、難病当事者と企業の間に入って調整することができる役割が必要になります。
たとえば、日本で初めての難病専門の就労移行支援事業所「atGPジョブトレ 難病コース(旧ベネファイ)」では、難病当事者と企業の間に入ってそれぞれのニーズや不安を聞き取り、就労のためのマッチングの場を提供しています。
今まで難病当事者は障害者雇用を利用できない人も少なくなく、なかなか採用されない傾向にありましたが、マッチングを実施するようになってから、採用される事例が増えてきていると聞いています。
やはり、理解を促すために間に入ってくれる人の存在は重要ですね。
谷田
就職してからも同様です。私の場合は、上司が病院と会社の間に入って業務を調整してくれたのが非常にありがたかったです。
やはり患者1人では言語化できないこともあるし、言語化できたとしても社内で弱い立場にあったり相手に知識がなかったりすると通じないんです。企業との間に入って調整してくれる人がいることで、難病当事者は働きやすくなります。
ヒントがたくさんありました。
今日は体調が優れないなか、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
2024年7月取材
取材・執筆=遠藤光太
アイキャッチ制作=サンノ
編集=鬼頭佳代/ノオト