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世の中は、動物園から変えられる -旭山動物園 坂東園長の「はたらく」。その覚悟と挑戦

あなたは、日本最北の動物園、「旭山動物園」を知っていますか。

そこには、水槽の中を泳ぎ回るペンギンやあざらし、悠々とした面持ちのカバやホッキョクグマ、遠吠えをするオオカミ、地面を駆け回るライオン、ゆったりと空中散歩を楽しむオランウータン、美しい歌声を披露するシロテテナガザルなどをはじめ、100種613点(令和5(2023)年4月1日現在)の動物が、豊かに幸せに暮らしています。

その旭川市旭山動物園(以下「旭山動物園」)を創り上げてきたのが、園長の坂東元(ばんどう げん)さん(以下「坂東園長」)です。坂東園長は、「自然と共存する未来を選択する社会をいかに作っていくべきか」を、日々の具体的な取組の中で、ひたむきに、誠実に発信し続けています。

今回は、坂東園長のこれまでのお仕事と生き様から、その姿勢や覚悟を学びます。

坂東 元(ばんどう・げん)
旭川市旭山動物園 園長 / ボルネオ保全トラストジャパン 理事
1961年北海道旭川市生まれ。酪農学園大学酪農学部獣医学修士課程卒業。獣医となり1986年より旭山動物園に勤務。飼育展示係として行動展示を担当。97年の「こども牧場」から「ぺんぎん館」「あざらし館」「ちんぱんじー館」「レッサーパンダ舎」「エゾシカの森」「きりん舎かば館」などすべての施設のデザインを担当,数々のアイデアを出し具体化し、また手書きの情報発信やもぐもぐタイムなどのソフト面でも係の中心となり、システム化を図ってきた。2009年より現職。

2024.01.17 イベント開催(ハイブリッド)
坂東園長が、東京の共創空間Seaに!
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僕の人生は、生き物が支えてくれた

WORK MILL:坂東園長が、生き物に興味を持ったきっかけを教えて下さい。

坂東:昔は、他に何もなかったんですよ。生き物しかなかった。

今と違って、テレビだって、朝から晩まで放送されている時代じゃなかったんです。
それから、あまり社交的な性格でもなかったこともあるかな。親が転勤族で、あちこちに引っ越していたこともあって、そもそも学生時代の思い出って、あまりないんですよね。

子供の頃を振り返ってみると、先生にはあまり好かれないタイプでした。
幼稚園の時に、オルガンを習っていたんだけど、クリスマスにケーキがもらえたことがあって。一人ずつ、名前を呼ばれて前に出ていく時に、僕は先生から指示された動作がしっかりできなくて、何度もやり直しをさせられたんです。「ロボット歩きになってる」って。本当に何度も何度もやり直しを指示された。それで、ケーキがなかなか貰えなかったなんていう悔しい想いをしたこともありました。

結局、最後にはきちんと貰えたんだけど、帰る途中に転んでしまって、ぐちゃぐちゃになったケーキを家で食べた想い出を、しっかりと記憶しています。

先生に嫌われるって最悪なんですよ。
ほかの皆からも嫌われてしまう。

そういう状況の中、毎日の登下校で、道端にいる虫を夢中で拾って、家に持って帰ってくる。
それが僕の救いだったのかな、と思います。
ある時は、持って帰ってきたカマキリの卵が孵化して、家中が小さなカマキリだらけになったなんてこともありました。でも僕は、それがうれしくてうれしくて。

だけど、不思議と親に咎められることはなかった。
僕があまりにも嬉しそうに持って帰ってくるので、何も言わなかっただけらしいのですが、親は親なりに当時の僕の状況を感じ取っていたんでしょうね。

WORK MILL:先生に嫌われるタイプ…!今の坂東園長からは想像ができないですね。

坂東:高校3年生になった時、3人の仲間と一緒に、とある授業をさぼった時のことです。

高校は小樽の坂の上にあったんですが、学校に戻ろうと思ったら、坂のてっぺんで先生が仁王立ちして待ち構えているのが見えたんです。「サボったことがばれたんだ」と腹を括って坂道を登っていくと、ものすごいスピードで坂道を下ってくる7~8名の生徒とすれ違った。彼らはいわゆる「やんちゃな生徒」だったんですけども。そうしたら、その後を先生がこれまたすごいスピードで追いかけて行ったんです。

その後、僕ら3人は「授業をサボってすみませんでした」と職員室に謝りに行ったんです。すると、ある先生から「ちょっと待て。さっきお前ら、他の生徒とすれ違わなかったか?」と尋ねられた。そして、続けざまに「(その生徒の)名前を言いなさい。言わないと許さない」と言われた。面倒臭そうな先生だし、さっさと名前を言って、その場から立ち去ればよかったんだけど、僕は「それ言う必要ありますか?言いません」と言い返した。

当時の僕は、自分が悪いと思ったことは潔く反省するけれど、自分の関係のないことで「言わないと許さない」と言われたことに対して、理不尽な憤りを感じたんです。おかしいものは、おかしい。曲げられないものは、曲げられない。きっとこの頃には、今の僕を形作る信念みたいなものが確立されていたんだと思います。

すると、その日から毎日居残りして、反省文を書かされる羽目になった。高校3年生って、進学だったり、人生そのものを考える大事な時期でもあったんですけど、とにかく毎日2~3時間居残りをして、反省文を書く日々が始まった。
「さぼった」ことではなく「先生の質問に素直に答えなかった」ことが問題視されたんです。

そのうち、このことが学校中の噂になって、首謀者の生徒が自首して、その日のうちに先生から「もう反省文は書かなくていい」と言われたんです。僕はすかさず「それおかしくないですか?」と職員室で先生に食ってかかった。担任の先生のところにも抗議に行ったけど、大人の都合を聞かされただけだったんです。

その瞬間、僕は「こんな大人たちから、何も教わりたくなどない」と思ってしまった。

そこからは、学校には行くけれど、昼には学校から消えている、というような高校生活を送りました。定期試験も受けない、追試も受けない。だから、成績は地を這うような悲惨なものになりました。1年生から2年生の間に積み上げた「優秀な生徒」の信頼が、一気に崩れ落ちました。
だけど、僕は僕で「先生といえど、どうせ僕らを退学になんかできないだろ」と思っていた。

机を教室の後ろに向け、先生には背中を向ける格好で授業を受けていました。

それでも、親は僕に何も言わなかった。
きっと学校から呼び出されたこともあっただろうけど、一切咎められたことはなかったんです。

管理棟内でのインタービューの様子。坂東園長が築き上げてきた旭山動物園の歴史は、この場所から紡がれてきた。

WORK MILL:ところで、どういう経緯で獣医を目指すことになったのですか。

坂東:中学3年生の時に、飼っていたセキセイインコを救えなかったことがあって。僕はその時、当時住んでいた小樽中の動物病院を尋ね歩いたんですが、どの病院でも「治せない」と匙を投げられてしまい、結局インコは僕の手の中で死んでしまった。これは、今でも自分の中に、ずっとある出来事です。

その後、高校3年生の2学期になって、これからの人生を考えた時、自分には何も目標がないことに焦りを感じました。それから、さっき話したような「事件」も踏まえて、僕が今まで頑張ってこられたのは、セキセイインコのおかげであるということに気付いたんです。家に帰れば、セキセイインコがいる、そのことにどれだけ自分が支えられていたんだろう、と。それを自覚したら、しっかり勉強して、獣医になろうという答えにたどり着きました。

単純に「飼っていたセキセイインコが死んじゃって、かわいそうだから獣医になろうと思った」ということではないんです。とはいえ、2学期の時点で、学校の成績は絶望的な状態だったので、1年間浪人して、自分なりに死に物狂いで勉強し、酪農学園大学(北海道江別市)に入学しました。

余談になりますが、当時の選択肢は、「大工」か「獣医」。
何もない状態から物を作るのが好きだったんです。
大工になってもいい仕事をしていたと思います。

WORK MILL:大学での生活と、旭山動物園で獣医になるまでのいきさつを教えて下さい。

坂東:大学では、牛と…たまに豚に向き合いました。牛の胃の中の寄生虫を研究していたんですが、たまに屠場に研究材料をもらいに行くと、牛が狭い通路に押し込められて殺される瞬間を見たりするわけです。彼らは、目を真っ赤に充血させて、死ぬ。

彼らも彼らなりに、“死”というものを理解しているんだと思いました。

このように、日常的に「生き物」、すなわち「命」に向き合う過程で、僕らの体は何からできているんだろうと考えたことがあって。当たり前のことなんですが、僕らは、何千・何万の生き物の命を「いただいている」という事実が僕の中にくっきりと浮かび上がってきたんです。人間は、自分一人で生きているのではないという単純な事実に気付いた瞬間でもありました。

それから、どうにかこうにか獣医になって、就職活動をしていた時に、大学で「旭川市の旭山動物園が獣医を募集します」という話を知り、応募することにしました。
だけど、僕は当時動物園には興味がなくて。
動物園は「デパートの陳列ケース」みたいなものだという偏見を持っていたからです。

例えばカブトムシ獲りって、本来の生育環境、すなわち「山の中に入って、樹液が滴る木を探して、その木にしがみついているカブトムシを自分で見付けて獲る」ことこそが醍醐味であって、「お金を出して買うなんて邪道だ」と、僕の中での決め事があった。そういう考えを持っているものだから、お客様は動物園の何を見てどこに感動するんだろう、という疑いを持っていたんです。

旭川市の採用担当の方が「2、3年でなくなる動物園かもしれないけど」と言われたことが少し気にはなったんですが、とにかく動物園という世界に飛び込んでみることを決心しました。

ちなみに、僕は、定期採用(4月1日)ではないんです。5月1日に採用されました。

つまらない」を「素晴らしい」に変えるために

旭山動物園で40年ぶりに誕生したホッキョクギマの「ゆめ」。「種の保存」も動物園の重要な使命。

WORK MILL:なくなるかもしれない?就職したばかりの坂東園長は、そこで何を感じ、どう行動したのですか。

坂東野生動物って、生き方がぶれないんですよね。

例えば、人間が、餌を置いても、絶対に気軽に近づかないし、食べない。
生きるためには食べるしかないということを分かっているはずなのに、絶対に食べないんです。すごいですよね。

動物園の動物は、飼育下にあるから、ペットの犬猫の延長線上くらいにしか思っていなかったんですけど、実は本質的な野生の部分は何も変わらなくて。絶対に人のことを安易に受け入れない。何もない狭い檻の中でも、ライオンはライオンなんです。その凄みや生き方って人間には真似できないと思いました。だけど、彼らはお客様から「つまらない」だとか「寝てばっかり」と言われて石をぶつけられ、「起きて!」と手を叩いて驚かされたりする。そして、餌代だけがかかる金食い虫だと言われる。

僕の中に
「動物園はこのままの状態でいいんだろうか」
という問い
が生まれました。
興味がなかったはずの動物園に、僕の中で、言葉にならない感情が芽生えてきたんです。

動物には言葉がない。決して自分のことを自慢しない。
だけど、彼らの素晴らしさは僕たち飼育員が一番分かっている。
なのに、お客様からは「つまらない」と言われてしまう。
そもそも、動物園がなければ、少なくとも「動物ってつまらない」という価値観は生まれなかったのではないかとさえ思いました。でもそれってあまりにも悲しくて悔しい答えじゃないですか。

「つまらない」では終われないでしょう。
だから「つまらない」を「素晴らしい」に変えるために、どうやって彼らの素晴らしさをお客様に伝えるかを真剣に考えました。

そこから生まれたのが「ワンポイントガイド」です。
まさに、「つまらない」を「素晴らしい」に変えるために、僕たちが仲立人となってお客様を振り向かせるために始めた行動です。入園したての当時25歳の僕が担当者に指名され、道具の準備や、呼び込みまで、全部一人でこなしていました。

毎週日曜日の11時から、雨の日も、風の日も、お客様がいなくても、必ずやる。僕たちが餌をあげながら話をしていると、動物たちは普段しないような仕草や動きをするわけです。ちなみに、「もぐもぐタイム」はその延長線上にあるんですけれど。

そんな感じで諦めずに行動してると、共感者が現れ、笑顔と、感動が生まれるようになった。
「旭山動物園らしさ」って、そういった小さな努力の積み重ねが紡いできたものだと思っています。

WORK MILL:坂東園長の行動からは、絶対に諦めないという覚悟を感じます。不安になったり、落ち込んだりすることはありましたか?

坂東動物園に入って、自分があまりにも何も知らないという事実に愕然としたことはあります。例えば飼育員から「ライオンの便がおかしいから見てくれ」と言われても、僕はライオンの正常な便がどのようなものであるかを知らなかった。当時はインターネットがなくて、情報が簡単に入手できる時代ではなかったから、分からないことは、文献を調べるか、直接知見を持っている他の施設に電話で聞くしか方法がなかったんです。

悔しいので、入庁2年目に市役所に借金をし、私財を投げ売り、ヨーロッパに視察に行くことにしました。

僕はそこで衝撃の事実に出くわします。

日本の動物園は、パンダやコアラといった「珍しい動物」を特別な施設で飼育していますよね。一方で、タヌキやキツネといった「珍しくない動物」は明らかに粗末な檻で飼育している。
「生き物の価値には差がある」という見せ方を、動物園自体がしてしまっていたんです。

ところが、ヨーロッパの動物園はそうではなかった。全ての動物を平等に展示していたんです。
なんと、熊の施設の横に、何ら特別扱いされることなく、パンダが展示されていた。
僕はパンダを特別な存在だと思っていたので、咄嗟に「なんでこんなところにパンダがいるんですか?」と飼育員に質問しました。
すると、その飼育員から「なんでパンダだけ特別扱いする必要があるんだ?」と切り返されたんです。

僕はここで、すごく恥ずかしい気持ちになりました。
同時に「旭山動物園は、パンダやコアラがいないからダメなんだ」と思い込んでいた自分に幻滅しました。だけど、小学生の頃から、「昆虫はすごい、タヌキもキツネも素晴らしい」と思っていることは間違いではなかった、それでいいんだ、ということにも気付きました。
ようやく、「動物園とは動物たちの当たり前の日常を淡々と魅せる場所なんだ」という答えにどり着いたんです。

その他、施設作りの概念にも衝撃を受けました。

例えば、ヨーロッパの動物園には「人止め柵」がありません。入園は園とお客様との「契約」であり、ルールを守って鑑賞してもらうことを前提に、施設が設計されている。
万が一、お客様が柵の方に手を差し出して何か事故が起きたとしても「それはルールを破ったお客様ご自身の責任ですよ」ということをそれぞれが理解し、行動しています。「お金を払っているんだから、何をしても構わない」という権利を主張する人はいません。

一方で、日本では必要以上に「万が一」を背負おうとしますよね。あちこちに柵やロープが設置され、結果として動物と人との距離を遠ざけてしまっています。

「万が一」とは1人のために9999人が我慢をするという考え方であり、その考え方は絶対におかしい。だから旭山動物園では、9999人が喜ぶための施設や仕組みを作り、残りの1人が9999人と同じようにルールを守ることができる、守らざるを得なくなる環境をいかに作ることができるかを考えて施設を展開してきました。
ペンギンの散歩も、ロープを張らずに実施しているのは、そのためです。

見る側の共感と感動を引き出す施設―「行動展示」の実現へ

WORK MILL:日本初・世界初の施設が生まれるに至ったいきさつを教えて下さい。

普通なら、ある程度知見のある大手のコンサルタントや建設会社に頼めばよさそうな話なんですが、うちは旭川市の施設だし、市役所には、地域振興という使命があるわけですから、地元の企業とタッグを組むことにしました。

公共事業って、基本的に安全の担保がとれる「前例のあるもの」しか作らないので、市役所の土木部門などとの意識合わせ・景色合わせには、大変苦労しました。彼らの十八番である「人間が使う施設」を造るのとは理屈が違うので、積算や設計に至るまで、全ての工程に自分が意見を具申して、本当に必要な施設が出来上がるように徹底的に対話を重ねました。ドアノブの形状一つをとっても、動物の特性上、この部材を選定して、こうした方がいいと伝えてみたり。

動物が一番気持ちよく過ごすことができるために、何をすればいいのかも含め、僕が妥協をすることは一切ありませんでした。

「主役は動物、“動物の暮らし”を見せる」-坂東園長のひらめきと想いが詰まった施設で、動物は今日も豊かに幸せに暮らしている。

ほんのちょっとしたことで、動物の見え方や、お客様の感じ方って変わるんです。
例えば、ユキヒョウの施設は、当初、危ないから底面をアクリル板にした方がいいんじゃないかと言われたりもしたんですが、ユキヒョウがお客様の頭上でふわふわした毛をなびかせて気持ちよさそうに寝ている様子を見せることでお客様が「あ、そっとしておいてあげよう」「見守ってあげよう」と優しい気持ちになれるような施設を目指したかったから、今の形状(フェンス)にこだわりました。その考え方を貫き通したからこそ、「さる山」、「ペンギン館」、「オランウータン舎」、「ホッキョクグマ館」、「あざらし館」など、日本初・世界初かつ旭山動物園らしさ滲み出る施設が生まれるに至ったのだと確信しています。

そんな感じで、毎年のように新施設をオープンさせていくためには、設計と建設を同時に進行していく必要があって、気付いたら「月月火水木金金」状態。だから、ここ20年間は、一瞬で駆け抜けてきた感じがあります。

でも全く苦じゃなかった。自分の想いを実現することができる喜びと楽しさの方が勝っていたからだと思います。

WORK MILL:そこまで坂東園長を駆り立てる原動力(執念)とはどこから生まれるのでしょうか?

坂東それは、自分の仕事に対する「誇り」に他なりません。

動物園を「つまらない」と言われてしまうと動物に申し訳ないし、お客様をそういう気持ちにさせてしまうこと自体が申し訳ない。また、僕は誰よりも動物に本気で向き合っているはずなので、「つまらない」を生み出すわけにはいかないというプライドがありました。

動物はもちろん、その背景も含めて、自分が素晴らしいと思うものを、お客様に一瞬で感じ取ってもらうために、どういう施設を造ったらいいのか、どういう伝え方をしたらいいのか。
僕には、見る側の共感と感動を引き出す施設を生み出す使命があるんです。
人間は、感情で動く動物ですからね。正しいことを理詰めで伝えたら伝わると思ったら大間違いなわけで。

とはいえ、これは余談になりますが、前例のないことを成し遂げようとすると、しんどい目に遭うこともありました。だけど僕は、いかなる時も相手の立場や意見に迎合することはありませんでした。同時に、相手に理解してもらうための努力も惜しみませんでした。「僕の考えを実現すると、10年先にこういう未来が描けますよ」という完成図を相手の頭の中に描かせて、「あ、これ面白いね」と言ってもらって仲間に引きずり込めたらしめたもの。

よくあることですが、一つうまくいけば、次からは何も言わなくなるんですよ。今では、前例のないこと、難しいことを提案しても、「旭山動物園だもの」と妙に納得され、反対されることはなくなりました。

直感を信じて行動する

WORK MILL:坂東園長は、計画的に物事を進めるタイプなんですか?

坂東時には「ノリ」というか、直感を信じて行動することも大事だと思っています。例えば、ごっこ遊びの延長線上みたいに、妄想が爆発したのが「ペンギン館」です。構想当時、水中にアクリルチューブ(トンネル)を通すという発想はなかった。あの大胆な発想は、設計を進めていく中の対話でひらめいたことなんです。

それから、自分には常識と離れた所でものを想像できるという能力があったということも大きい。常識の中で行動する人に、「日本初」・「世界初」のアイデアは生み出せないでしょう。

円柱水槽からこちらを見つめるあざらし(写真提供:旭山動物園)

「あざらし館」の円柱水槽もそう。僕の中には、当初からなんとしてもあざらしを3次元(立体)で魅せたいという構想があった。それまでに収集した断片的な情報や、一緒に泳いでみた時のあざらしの好奇心の持ち方から「あざらしはここを気に入るに決まってる」という自らの直感を信じて疑わなかった。その構想を具現化するために、各地の水族館を視察して情報のピースを集めている時に、「あ、これだ」というひらめきが降りてきた。

それが「円柱水槽」です。設計の段階で関係者から「本当にあざらしはここを通るのか」と何回も尋ねられたんですが、僕には「あざらしは絶対にここを通るんだ」という確信があった。根拠を示せと言われたら困るんですが、僕には分かる。今でも「どうやってあざらしをここに通したのか。訓練をしたんじゃないか」と質問を受けることがありますが、そういうことを言っている人に、うちのような施設は生み出せないと思います。

後日談になりますが、出来上がったら出来上がったで、「これはどこの施設のコピーなんですか」と散々質問を受けました。日本の小さな公立の小さな動物園が、地元の企業と二人三脚で創り上げた作品だとは思われなかったんです。だけど、僕らは、間違いなく、完全に自前でそれをやってのけた。
今でも関係者はその家族を含めて、この事実に誇りを持っています。

その後、奇跡といわれた「旭山ブーム」に突入するわけですが、僕はブームを作るために「あざらし館」を作ったわけではなく、あざらしの素晴らしさを感じてほしかった、ただ、それだけなんです。だけど蓋を開けて見たら、一時的に、年間に300万人が訪れる動物園にまで成長していた。

日々の想いと実践の積み重ねが評判になり、旭山動物園というブランドができただけなんです。ブランドって頑張って作ろうと思って作れるものではありません。
旭山動物園というブランドは、間違いなく、皆さんに育まれたものであると思っています。

WORK MILL:最後に、坂東園長が今考えていることを教えて下さい。

坂東僕は常に「10年後どんな社会になっているかな」ということを想像しながら動物園を創造してきました。将来も通用する普遍的な価値観や魅力を携えた動物園を創りたかったんです。動物園が、動物たちが本来持っている素晴らしさや尊さを伝え続ける場所であれば、お客様に飽きられることはないだろうと思っています。

少しくらい高くても、商品が開発されたストーリーを理解し、応援するためにその商品を購入する。そういう優しい選択で、未来はちょっとずつ変えられる。

昔と違って、地球環境への配慮が本気で必要な世の中になってきました。今この瞬間が、自分達の生活や自然への態度を見直す最後のチャンスと言ってもいいのかもしれない。

そのような背景も踏まえて、ここには、僕たちが守らなければならない代表的な動物たちがたくさんいる。彼らの棲家を含めた地球環境に対する思いやりの気持ちを育み、自然と共存する未来を選択する社会をいかに作っていくべきか。僕は動物園という場所が、その架け橋になれるんじゃないかと、本気で考えています。

とはいえ「地球環境を守りましょう」という理屈を頭では理解していても、それを実際の行動に落とし込み行動できる人はなかなかいませんよね。人は、心が動いてこそ、行動しようとする動物ですから。
だからこそ、これからは地球の未来を見据えた「情報+商品」のブランド作りと、シームレスな発信がますます必要になってくる。
さらに、環境への負荷を考慮すれば、経済活動を地域(ローカル)で完結させるという発想が必要になってくる。地域の特性や、豊かな資源を生かした新たな産業の育成に取り組んでいくためには、企業や行政が一体となって、議論をしたり、研究をしたり、技術の開発をしたりする「プラットホーム」が必要です。僕はこれから、そういうことを、動物園を舞台にやってのけたいと考えています。

実は既にエネルギーの分野でその取組みを始めているのですが、日本の小さな公立の動物園である旭山動物園が、その中心的役割を担い、企業や団体を巻き込んで、世界で初めて具体的な一歩を踏み出そうとしている。なんだか面白いことになりそうな予感がしています。

旭山動物園は、地域の最前線で頑張る人や技術を繋ぐ「保全活動のプラットホーム」を目指して、地球上のすべての命が輝き続ける未来のために、今できることを考え、実行し続けていきたいと思います。

僕は、世の中を、動物園から変えていきます。

【ハイブリッドイベント開催 2024.01.17】世の中は、動物園から変えられる

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2023年6月取材

執筆:豊田 麻衣子
撮影:中村年孝