旅が止まって生まれた価値観 ― Airbnb
この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE06 Creative Constraints 制約のチカラ」(2021/04)からの転載です。
新型コロナウイルスの感染拡大により、国境を越える移動はもちろん、観光地は多くの制約を受けるようになった。こうした事情に伴い、旅行業界が大きなダメージを受けているのは紛れもない事実だが、人々の旅に対する憧れが減退したわけではない。旅は形を変えて必ず戻ってくる。世界最大手の民泊仲介プラットフォーム『Airbnb』はその答えを導き出しつつある。
2021年1月、アメリカの『Airbnb』が旅にまつわる興味深い調査レポートを発表した。「2021年はMeaningful Travel(意味のある旅)の年になる」というタイトルで始まるこのレポートの内容は、名の知れた観光地を訪れ、時間やお金を消費する旅は終焉を迎え、新しい旅の形が生まれ始めている、というものだった。
これまでの旅のスタイルが過去のものとなりつつある現在、人々はこれからの旅にどのような意味を求めるようになるのだろうか。 レポートによると、21年はパッケージツアーのような、観光客が多く集まる旅が復活する可能性は極めて低いという。一方で、アメリカ人の54%がすでに次の旅行を予約、または計画していると答えている。
一見すると矛盾を感じる結果だが、『Airbnb Japan』代表取締役の田邉泰之はこう語る。
「世界中の人が1年以上も外出を控えていますから、その影響が反映された結果なのだと思います。日本でも同様の意識調査を行いましたが、コロナ終息後、1年に1回以上旅行したいと答えた方が78%もいました。Gen Z(18〜24歳)はさらにその傾向が強く、2~3回という回答も全体では43%なのに対して、50%を占めているのです」
こうしたデータからも、人々がいかに旅を渇望しているのかがわかる。だが、注目すべきは旅に出る動機や目的、その背景にも変化が見られる点だ。
「アメリカでは53%が家族や友人とのつながりが希薄になった、56%が地域やコミュニティとのつながりが弱くなったと答えており、24%が孤独を感じているという結果が出ました。これは日本も同様で、全体の55%が人々とのつながりが、やや、もしくは非常に弱まったと感じていると回答しています。また、誰と旅に行きたいか、誰に会いたいかという質問では、家族やパートナーという回答が63%と最も多く、少人数の友人が19%で続きます。つまり、多くの人がコロナ後の旅に “人とのつながり”を求めているのではないでしょうか」
国やエリアを問わず行動が制限され、身近な人とのコミュニケーションをとることも難しくなった。そこで旅を通して、失いつつあるつながりを深めたい、そんな思いが旅の動機となっているのだろう。
行き先が意味する心の変化
これまでの旅といえば、海外の名所や旧跡を訪ねる、ショッピングやエンターテインメントを楽しむことが主流だった。また、数百、数千キロという距離が生む非日常さに醍醐味を感じていた人も多いはずだ。
しかし、国境を越えることが難しい現在では、こうした図式にも変化が表れてきたと田邉は続ける。
「ゲストが行き先に望む条件は、自然が豊かであること、居住地から車で訪ねることのできる比較的近い距離にあること、この2つです。そして宿泊施設を選ぶ際の条件は、価格の手頃さが突出していますが、安全性と衛生面、心のこもったおもてなし、アットホーム感が続きます。こうしたニーズに応えるべく、ホストと一緒にリスティング(宿泊施設)や地域の魅力を訴求していく様々な仕掛けを、今後も続けていく考えです」
これらの変化は、何を意味しているのだろうか。在宅勤務をするなかで、家族やパートナーと同じ空間に長く一緒にいるのにもかかわらず、仕事がオンラインになったことで実際の勤務時間が延び、会話を交わす時間が少なくなったと感じている人もいるのではないだろうか。
ならば、密を避けた田舎の家に宿泊をして、一緒に趣味やBBQを楽しみたい、つながりを深めたいと、心が動くのも自然な流れだろう。旅の価値はモノやコトの消費から、近しい人との共感や共有へとシフトしつつある。
旅がもたらす新しいつながり
では、自然豊かな近くの田舎、家族や友人など身近な人、2つのキーワードをつなぐのは、どのような旅だろう。田邉は、“暮らすような旅”だという。
「パンデミックに前後して、Airbnbの利用者の中でも、地方の家に泊まり、暮らすような旅をする方が増えていました。買い物や食事、アクティビティも地元の方と同じようなスタイルになりますから、観光とは違う景色が見えてきます。日本は地域文化も多様なので、発見も多く、じっくりその土地の生活を楽しむ旅との親和性も高いのでしょう。また、ホストは地域の魅力を発信するいい機会ですし、ゲストには移住検討のきっかけになるなど、大きな可能性を秘めていると思います。実際に、都内で長年暮らしていたAirbnb Japanの従業員の中にも、長野県の一軒家での数カ月の滞在を経て、その地域へ移住した人もいます」
暮らすような旅は旅行者の新鮮な経験につながるが、そのメリットが利用者だけにとどまらないのも特徴だ。現在は人が住んでいない古民家の再生を行えば、地域に新たな動線やサービスが生まれ、経済効果も期待することができる。
「とはいえ、私たちはあくまでP2P、ゲストとホストをつなぐプラットフォームです。使用されていない施設などをホームシェアリングに変えたり、広く普及させるには、私たちだけでは難しいこともあります。それゆえ、特に近年力を入れている弊社がホームシェアリングを一緒に推進していくパートナー企業とともにソリューションとしての提案が重要だと考えています」
現在、Airbnb Japanには128社のパートナー企業があり、その業種は「サプライ」「サービス」「ディマンド」の大きく3つに分かれる。サプライは物件の確保、サービスはホームシェアリングのためのサポート、ディマンドは創客サービスの施策を行なっている。
そのリストにはみずほ銀行や損保ジャパン、ファミリーマートやANAといった企業が名を連ねる。 例えば、損保ジャパン系列のコールセンターでは4カ国語で利用者のやりとりをサポート、ファミリーマートの一部店舗では鍵の受け渡しを担っているという。
「ホームシェアリングの普及はもちろんですが、地域がベネフィットを得られるようにしたいと考えています。地元の方の生活を崩すことなく、新しい方にも来てもらい、文化を体験していただく。こうした地域との協業や連携が今後、日本のサステナブルツーリズムにつながると思います」
暮らすような旅という新しい旅の形を作るための一連の施策は、ゲストとホストをつなぐだけではなく、地域や自治体、企業との新たなつながりを生んでいる。既存のシステムやノウハウをいかに活用するか、という話だけにはとどまらない。暮らすような旅を楽しむための新たな取り組みもスタートしている。
「周辺サービスとして、オンライン体験の提供をスタートしました。例えば、Webを介してイタリアのお母さんからパスタの作り方を学ぶ、スペイン在住の方に街の歴史や見どころを教えてもらうなど、国内外を問わず多彩なプログラムを用意しています。最近は日本の利用も多く、国内の落ち着くことのできる場所で、大切な人と一緒に新しい体験を共有することで、つながりを深めるきっかけを提供したいと思っています」
パンデミックにより、私たちの生活は多くの制約を受けるようになった。だが、人々は古い旅行文化を離れ、身近な人や場所とのつながりに目を向け、新たな価値を見出しつつある。それを支えるAirbnbも制約をネガティブにとらえるのではなく、新しい旅の形作りに転換する原動力としているのだ。
-田邉泰之(たなべ・としゆき)
Airbnb Japan 代表取締役。94年に米国の大学を卒業後、02年米ジョージタウン大学院経営学修士(MBA)取得。ミズノ、マイクロソフト勤務などを経て、13年にAirbnbのシンガポール法人に入社し、日本法人設立に参加。14年5月のAirbnb Japan設立と同時に代表取締役に就任。
2021年7月8日更新
2021年3月取材
テキスト:村田尚之