「課題だらけ」の働き方改革 ― 立教大学経営学部・中原淳教授に聞いた「魔法の杖」がなくても取り組むべきこととは
「働き方改革」も多くの企業では実行段階へと移行し、少しずつ制度面の整備が進んでいます。けれども一方で、現場にそれを“押しつけた”結果、「一般社員を帰らせる」ためにマネージャーが業務を抱え込む、サービス残業が横行するなど、早くも形骸化してしまう側面も出てきているようです。
立教大学で経営学部教授を務める中原淳さんは企業における人材開発や組織開発について研究を行い、長時間労働に陥りがちな日本企業の問題点を著書やレポートなどで明らかにしています。今回は中原さんにお話をうかがい、「働き方改革」の実態を深掘りすることにしました。
前編では、長時間労働の根本的な改善のためには何が必要なのか。マネージャーに必要なマインドセットやマネジメント力を検討します。
働き方改革に取り組む企業にも課題が山積
WORK MILL:「働き方改革」が話題に取り上げられることも多いですが、中原先生から見て、日本企業の置かれた現状をどう捉えていますか。
中原淳さん(以下、中原):2017年に僕の研究室とパーソル総合研究所との共同プロジェクトで2万人規模の調査を行ったのですが、実際、働き方改革に関連した施策に取り組んでいる企業は45%ほど。2015年から政府が働き方改革を最重要課題に掲げているにもかかわらず、半数に満たなかったわけです。そして施策に取り組んでいる企業も課題だらけ。これは、いくら「働き方改革」という旗印を掲げても、そう簡単には変わらないだろう、と思い知らされました。日本は「広い」のです。
―中原淳(なかはら・じゅん)
立教大学 経営学部教授。北海道旭川市生まれ。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科、メディア教育開発センター(現・放送大学)、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学講師・准教授等をへて、2018年より現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・組織開発について研究している。専門は人的資源開発論・経営学習論。立教大学経営学部ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)主査、立教大学大学院 経営学研究科 リーダーシップ開発コース主査、立教大学経営学部リーダーシップ研究所 副所長などを兼任
中原:そして今年4月から働き方改革関連法が順次施行され、時間外労働の上限規制や有給休暇の消化義務などが企業に課せられることになりますが、容易に想像できるのは、「一応やっていることにする」ような企業も出てくるだろうな、ということ。
プロジェクトをはじめる前に、世の中にある「働き方本」を一通り読みまくったんですよ。そこで展開されている議論のほとんどが、個人が効率のいいやり方や働き方を覚えれば働き方改革になる、といったもの。「時短術」なんて言葉が飛び交っているけど、それで残業が抑制できると考えるのは、間違っていると思います。我々の調査が明らかにしたとおり、長時間労働は組織レベルや職場レベルで起こっていて、マネージャーや経営者の要因に左右される部分が大きい。もっと上流工程で起こっていることで、個人レベルでできることなんて限られているんです。仕事量も何も変わらないのに、法制化によって「働き方改革」というキャップがはめられることで何が起こるか。間違いなく個人にどんどんしわ寄せがくるでしょうし、業務の「見えない化」…つまりサービス残業化が進んでいくに違いないんです。
WORK MILL:悪質な企業は抜け道を探すでしょうし、業務の「見えない化」が進むとますます深刻化しそうですね…。
中原:とはいえ法律では決まっているので、違反が判明すれば企業には社会的な制裁が加わるということ。でもそこまでに至るってことは、何かもっとひどい状況が起こっているはずなんですよ。長時間労働を起因とした過労死や自死、何らかの事件……それを未然に防ぐための法整備のはずなのに。パーソル総合研究所との共同研究を『残業学』という一冊の本にまとめましたが、そこでは働き方における課題は組織ぐるみ上司ぐるみで解決しなければならない、ということをひたすら説いているんです。そもそもこの課題に取り組もうとしない企業は間違いなくレピュテーションリスクを負うことになりますからね。
WORK MILL:調査では「働き方改革に取り組む企業にも問題が山積している」と判明したとのことですが、具体的にどういった状況なのですか。
中原:プロジェクトでは「3層分析モデル」と称し、まずは「長時間労働を抑制する施策」の効果性と副作用を明らかにしました。そして長時間労働を生じさせている根本的な原因やマネジメントの機能不全について分析を行い、長時間労働を是正した先に広がる「その先の希望」について、3つのレイヤーで明らかにしました。そこで見えてきたのは、うまくいっていない企業にはある種の類型があって、それは中途半端に人事施策をいくつか行って、痛みだけが現場に残る、というもの。僕は施策を外科手術にたとえて、「大手術は一回」と言っているのですが、中途半端な手術を何度も繰り返して、体力も減って「これって何のためにやってたんだっけ」と意味のわからない状態になる。
中途半端に戦略性のない施策はやめたほうがいいんです。とは言え、人事施策としては、非常にありきたりなやり方なんですよ。これには4ステップあって、
- 残業時間を「見える化」する
- 従業員本人と組織としてのコミットメントを高める
- 施策導入後1カ月の「死の谷」を乗り越える
- 効果を「見える化」し、残業代を「還元」する
というもの。その中で地味な施策を重ねていく以外に方法はないんです。ところが、本を出版してさまざまな感想をいただいたのですが、「提示されている施策って当たり前のことですよね」みたいなものも多くて……逆に皆さん、何を期待されていたんだろう、って(笑)
WORK MILL:……何か「魔法の杖」のようなものがあるのか、と。
中原:「ちちんぷいぷい」で全部解決する、みたいな。そんな幻想は捨てたほうがいいです。そんなのありませんから(笑)。それと「この施策を行えばいいんですね」と鵜呑みしてしまうこと。そんな「コピペ幻想」も失敗する大きな要因の一つです。実際に施策を行った会社と、その人が勤める会社は違います。自分たちの会社の課題と照らし合わせることなく「この通りにやりましたが、うまくいきませんでした」というのは、考えていない証拠です。
もう一つ、うまくいかない要因としては、「御触書モデル」。人事担当者がいきなり人事施策に関する一斉メールを送りつけ、表題には「長時間労働是正について……」なんて書かれていて、「○月○日からは残業60時間以内に収める」「社用PCの管理にあたって、申請書類に記載する」「表記のことについて各課でお取り計らいのほどお願いします」……以上。そして大量のワードファイルが添付されていて、「これ全部僕がやるの?」みたいなことになる。それでは従業員に「やらされ感」が募るばかりです。
WORK MILL:その施策をやるために、マネージャーの残業が増える、みたいな本末転倒なことが起こりそうですね。
中原:実際、ミドルマネージャーからはそんな悲鳴が挙がっていますね。施策を行う前提条件として、経営陣がコミットすることが不可欠なんですよ。それも、単に「流行ってるから」「ほかの企業もはじめているから」ではなく、経営課題として認識させなければならないんです。というのも、「働き方改革」と聞くと、経営者の頭の中では「なぜ社員を甘やかさなければならないのか」という意識が働いてしまうんです。これまで自分が必死に働いてきた、という自負があるから。けれどもこれはあくまで経営課題。会社が変わらなければ、どんどん採用が難しくなり、レピュテーションリスクが高まり、離職率が上がる一方です。僕がお手伝いしている企業に対してはハッキリと「もはや実行しないと、事業継続も組織存続もままなりませんよ」とお伝えしています。
マネージャーに必要な3つの力
WORK MILL:施策を実行するうえで重視すべきことはどんなことでしょうか。
中原:まずは透明性を確保すること。本では「業務」「コミュニケーション」「時間」の透明性と説明していますが、特に「時間」について、今回の調査では「所定労働時間が意識されていない」職場は全体平均で20.5パーセントにまで及んでいます。つまりそれほど多くの従業員に「定時に帰る」という概念がないんですよ。
先ほど紹介した4ステップでは「残業時間を『見える化』する」とありましたが、労務管理システムの導入や入退室管理などはもちろん、「夜21時になるとPCがシャットダウンされる」「オフィスの電源が切れる」みたいな極端な方法も、場合によってはしかたないかもしれない。「時間の境界をハッキリさせる」というのが大切なんです。
WORK MILL:社員からは不満の声が挙がりそうですけどね。残業時間は減るかもしれませんが、PCを持ち帰って、家で作業の続きをする人も出てきそうです。
中原:3割くらいの人は「抜け道」を探そうとするんですよね。「20:59にいったんシャットダウンすれば大丈夫らしいよ」「1階玄関から出ると記録が残るけど、2階からならセーフだよ」とか、どんどん知恵をつけていくんです(笑)。でもそこは毅然と対応しなくてはならない。それを許すとちっとも進みません。でも大丈夫。担当している企業の事例を見る限り、だいたい半年くらいで慣れますから。
WORK MILL:それと懸念されるのは、仕事の早い人に業務が偏ってしまうことですよね。せっかく仕事を早く終わらせても「あ、これもやっといて」と業務を振られると、断るに断れない。
中原:ありますねぇ。その連鎖が起きてしまうと、どんどん偏ってしわ寄せが起こります。まずは残業時間を見える化して、平均残業時間を見ていけばいいんだけど、おしなべて残業時間が長いようなら、「残っていてもいいだろう」という空気が蔓延している可能性があるし、特定の個人や部署が突出して長いなら、業務が「集中」している可能性がある。そうやって原因を突き止めて解消すればいいんだけど、要因は複合的だったりしますからね。マネージャーが業務の範囲を明確に規定して、仕事のできる人だけでなく、部署全体のバランスを見て、「少し背伸びできる仕事」を他の人にも割り振っていくべきなんです。そういう意味では、管理職のマネジメント力を上げていったり、意思決定の正確性を高めたりしなければなりません。
中原:ただ、そもそもの部分ではありますが、働き方改革は経営者がコミットしなければ絶対にうまくいきません。仕事柄、よく企業から講演やコンサルティングを頼まれますが、経営者や経営陣がコミットできないようなものは基本的にお断りせざるをえない、という立場をとっています。結果をお約束できないからです。
WORK MILL:人事担当者や中間管理職の方としては、「ボトムアップで」とか「まずは現場レベルでやれることをやってみよう」と考えそうですが……。
中原:そのような動きもありえるのかもしれませんが、なかなか、思った通りのバリューを発揮できるとは思えません。そもそも先ほどの4ステップを実行するには、経営層の意思決定が必要です。そしてそれを機能させるためには、マネージャーが次の3つの力を発揮しなければならないんです。
一つめは、「ジャッジ力」。不確実な状況でも一貫した軸を持って、迅速に状況を判断し、指示する能力。二つめは「グリップ力」。現場の状況や進捗を把握し、振り返りを行う能力。三つめはオープンで風通しよく、活発にコミュニケーションを取れる「チーム・アップ力」です。
でも、読者の一部からは「そんなの、当たり前じゃないか」とお叱りをいただいたんですよね。「働き方改革というより、マネジメントの問題じゃないか」と。そうなんです。課題はマネジメントにあるんですよ。そもそも基本的なマネジメントができていないことが長時間労働の大きな要因なんです。
WORK MILL:結局そこに立ち返らざるを得ないわけですね。
中原:そうですね。他にもやるべき施策や方法はさまざまありますが、少なくとも言えることは、先ほどの4ステップを「外科手術」とするなら、マネジメント層の育成は「漢方治療」。現場のマネージャーを中心にやるべきこと優先すべきことを切り分け、選択と集中を行い、どんな働き方を目指していくべきか現場ぐるみで話し合い、実行できるような組織開発を行っていく。その両軸が必要となってくるのです。
マネージャーはマネジメントを教わっていない
WORK MILL:長時間労働問題はまさに日本企業の組織的な課題に起因するということなのでしょうが、そう考えるとかなり重症というか、どこから手をつけたらいいかわからなくなってしまいそうです……。
中原:マネジメント層の育成一つとっても、多くの企業ではマネジメントをきちんと教えられていませんよね。ソロプレーヤーとして成果を挙げる人を出世させて、部長や課長という役職に置いているだけ。1on1もまともに話を引き出せなくて、フィードバックもめちゃくちゃ、単にハッパをかけているだけ……みたいな、マネジメントがほとんど機能していないような実例がそこかしこで起こっているんです。
「いやいや、最近はそうでもないんじゃない?」と思う人もいるかもしれないけど、実際に新入社員に対してかけている人材育成コストと、ミドルマネジメント層にかけているコストを比べたら、圧倒的に違うはずですよ。「ドカンとチョロンモデル」と呼んでいるのですが、多くの企業は新入社員研修にドカンとコストをかけて、その後は管理職になった頃に「チョロン」と管理職研修をするくらいです。その間、実務担当者の時期は「ノーメッセージ・ノーフィードバック」状態で10年経つ。その間にどんどん脱落していくわけ。係長や課長とかに着任すると2日間くらい集合研修はあるけど、きちんとマネジメントを専門的に教えているとは言いがたい。それで「マネジメントをしなさい」というのは、無理な話ですよ。
WORK MILL:ただ、経営者や人事担当者からすれば、マネジメントは研修で学ぶような性質のものではなく、現場で身につけていくべきと考えているのかもしれません。
中原:確かにOJTの効果は高い。現場と接しているからこそ課題があるし、そこで得られる学びの大きさは計り知れないものがあります。でも弱点があって、それは「単なる仕事」になりかねない、ということ。OJTと言っても、つまり仕事は仕事じゃないですか。仕事をきちんと糧にするためには、やっていることを振り返りながら、こういう方法ならもっと成果も上がるんじゃないかと、自分で認識できることが大切なんです。そのためのフィードバックを上司や先輩がきちんと行わなければ、単なる仕事になる可能性のほうが大きい。結局、マネージャー次第ということになるんですよ。多くの若手社員が「成長の実感が得られない」と言って退職してしまう。この流れはますます加速するでしょう。これからは人を採用することはもちろん、従業員が長く働きつづけられるような組織をつくることが最大の人事課題になるのではないでしょうか。
前編はここまで。後編では、これからの時代に変わりゆく組織と従業員の関係性や、「学び」の必要性について考えます。
2019年7月16日更新
取材月:2019年4月