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WORK MILL

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「二足のわらじを履くのは中途半端」はもう終わり ― 会社やチームの理解が豊かな兼業の形を作る

「働き方改革」が多くの企業で推し進められ、副業や柔軟な勤務体系のあり方が多くの企業で徐々に浸透しつつあり、さまざまな形で“二足のわらじを履く”を実践する人も増えてきました。

ケイト・スペード ニューヨークの穐山茉由さんは30歳のときから映画・映像作りを学び、映画監督となりました。彼女が脚本・監督を務める映画『月極オトコトモダチ』は第31回東京国際映画祭に出品するという快挙も果たします。

ただでさえ多忙な、外資系ファッション企業のPRという仕事。映画監督も到底、兼業できるような仕事ではないことが容易に想像できます。一体彼女はなぜ一方の仕事ではなく、多忙を極める2つの仕事を両立させようと思ったのか。会社の理解や自身の考え方はどのようなものなのでしょうか。

―穐山茉由(あきやま・まゆ) ケイト・スペード ニューヨーク マーケティング PR
1982年生まれ、東京都出身。大妻女子大学の被服学科を卒業後、OEMメーカーに就職。当時ケイト・スペード ニューヨークを取り扱っていたサンエーインターナショナルに転職後、ケイト・スペード ニューヨークのPRアシスタントとして勤務。30歳の時に映画美学校のフィクションコースに夜間と土日を使って通い始め、映画監督に。修了制作『ギャルソンヌ -2つの性を持つ女-』が若手の登竜門と呼ばれる田辺・弁慶映画祭に入選。第31回東京国際映画祭(TIFF)では、日本映画スプラッシュ部門に入選。

“結婚する幸せ”を選ばなくてもいいと思ったら、心の荷がおりた

WORK MILL:映画の制作を始められる前から、PRとして今の会社で働かれていたんですよね。

穐山:私、結構社歴が長くて。ケイト・スペード ニューヨークは、元々サンエーインターナショナルという日本のアパレル会社の中の一つのブランドだったんですけど、そこからブランドが独立して本国直営の企業になって。私はほぼ新卒に近い形でサンエーに入社したので、社歴は14年くらいになるんです。

WORK MILL:ずっと、ケイト・スペード ニューヨークでPRとしてやっていきたいという思いだったんですか?

穐山:新卒では、いわゆるOEM(受託製造)の会社に入ったんです。元々ものづくりをしたいという気持ちがあって、最初はそういうデザインでその会社に入ったんですけど、そこが結構なブラック企業で…(笑)。毎日終電で帰るのは当たり前で、新人は先輩たちよりも早く会社へ行って掃除をしておかなきゃいけなかった。本当に、自分の時間はもちろん寝る時間もなく働いていました。

WORK MILL:たとえ新卒で若いときだからと言っても、厳しい環境ですよね。

穐山:そうですね。最初は意気込みでどうにかやっていたんですけど、だんだん疑問を感じて…。転職活動を経て、サンエーインターナショナルにPRとして入社しました。元々PRのお仕事には興味はあったんですけど、どういうことをするのかあまり分からなくて調べたら、メディアとのコミュニケーションの仕事だと知ってすごく興味をもって。元々、雑誌を見たりするのが好きだったんです。

WORK MILL:映画制作を始められるまでは、PRとしてどんなお仕事をされていたんですか?

穐山:以前「ケイト・スペード サタデー」というブランドがあって。私はその立ち上げを担当していたんです。その頃マネージャー職にもなって。今はもうサタデーはなくなってしまったんですけど、当時実は結婚の話もあって…。彼が仕事で福岡に転勤することになって、私もついていく話になっていたんです。

WORK MILL:そうだったんですね。

穐山:会社にも「もう辞めます」くらいのところまで言ってたんですけど、そのタイミングでいろいろ自分のそれまでと今後のことを整理していったら、「あれ?結婚じゃないかも」と思っちゃったんですよね。するとそれまで考えてきた、女性として“結婚する幸せ”みたいな、そういう選択肢を絶対に選ばなきゃいけないわけでもないなと思って、ちょっと心の荷がおりたんです。

この歳になってからでも、自分の好きなことを始めてみてもいいかなと。新しいことをやってみようって思えたんです。以前から映画を撮りたいとは思っていたんですけど、ちゃんと映像を勉強してきたわけではなかったので、あらためて勉強したくて、30歳で映画美学校に入りました。

WORK MILL:じゃあ元々映画を作ってみたいなと思っていて、自分で多少やってはいたけど本腰を入れてやっていたわけではなくて、でも憧れはずっと持っていたと。

穐山:そうですね。そもそも「映画をやりたい」となるまでは、写真とか、音楽とか、何か表現に関わることをしたいと思っていろいろ探してはいて。その中で、一番映画が自分に合っていたというか、自分がやりたかったことだなと思ったんです。

普段の環境が違う人同士が、一緒になって物を作ること自体が面白い

WORK MILL:実際に映画美学校に通うようになって、夜クラスということは、一緒に学んでいる方々はそれぞれバックグラウンドも全然違うんですか?

穐山:夜のクラスでしたが、意外と若い人が多かったです。大学を卒業してその直後から通い始めるとか、地方の大学を卒業して東京に出てきてバイトしながら通っているような人が多かったです。会社員をやりながらっていう人はあんまりいなかったですね。いても、頻繁に授業に参加しているわけじゃないとかで。

WORK MILL:やっぱり忙しかったりで、挫折しちゃうんですかね。

穐山:確かにそういう人は多かったんですけど、私は「ここまで来たら元を取らねば!」みたいに思っていて(笑)。かといってそんな、悠長にしている時間もないなとも思って、できる限り最短で学べるだけ学んで結果を残したいとは思っていました。だから結構積極的に授業や制作に参加していて、かなり優等生というか…皆勤賞みたいな感じで(笑)。その感じが珍しかったみたいで、学校では本当にたくさん、「会社員なのになんで映画やりたいと思ってるの?」とか…。

WORK MILL:たくさん聞かれました?

穐山:たくさん聞かれましたね(笑)。それを面白がってくれる感じの人たちばかりで、みんな、なかなか普段出会わないタイプ。みんなあまりお金がない中でやっているから、みんなで行く居酒屋はすごい安居酒屋で、映画好きの人たちばかりだから映画の話はかなりディープにできて…「この感じ、忘れてたな」って思いました。ものづくりに対する姿勢が同じで、でも、普段身を置いている環境は全然違う。そういう人たちが一緒になって物を作ること自体が面白くて、楽しい時間でした。

WORK MILL:カルチャー的なギャップもそうですし、物理的な時間も含めての両立も…というのも、結構難しかったんじゃないかなと思うのですが。

穐山:そうですね。学校に通っている頃はまだなんとかなっていたんです。会社が終わったあとの時間で週に2〜3日で、それ以外の日に自発的に行くこともあったんですけど、基本は平日の夜と土日の、合わせて3日。課題で作品を撮らなきゃいけないとかもありましたけど、基本的には自分の時間を使ってなんとか両立できていました。

PRの仕事も映画も、チームの支えがあったからこそ両立できる

WORK MILL:元々、映画『月極オトコトモダチ』の企画自体は「MOOSIC LAB」(数々の名作や映画監督、ミュージシャンや役者を輩出してきた音楽×映画の祭典)の中の企画として進められていたんですよね?

(C)2019「月極オトコトモダチ」製作委員会

穐山:まずその前の話があって、映画美学校の修了制作として『ギャルソンヌ -2つの性を持つ女-』という作品を撮ることになったんですけど、それが田辺・弁慶映画祭という日本の若手の登竜門的な映画祭で上映してもらえることになって。そこで出会った人が今回のプロデューサーだったんです。それで、「今ちょうど次のMOOSIC LABが次の企画を探しているから、企画出してみないか?」と言われて、私も次撮る機会を探していたので、ちょっと出してみようかなと思って。

それで出したのが、『月極オトコトモダチ』の基となる、レンタル友達と男女の友情みたいな企画。他にもいくつか出したんですけど、それが主催の方に引っかかって。私も一番やりたかった企画だったので、そこから『月極オトコトモダチ』制作の話が進んでいったという感じですね。

WORK MILL:そこから本も書いて制作に入って。本を書くのは自分の時間だとは思うんですけど、それ以外のキャスティング決めたり撮影場所を決めたりとか、いろんな人とのやりとりが含まれてくると思うんですけど、それを業務時間外でやるって結構ハードじゃないですか?

穐山:ハードですね(笑)。

WORK MILL:それこそよく聞くのが、午前2時とか3時とかに制作に入って…とか。そもそも両立の仕方が想像つかないです。

穐山:私が出資して制作していて私が責任者なので、そういう意味ではスタッフの人たちにすごくブラックな働き方をさせてしまったかもしれませんね…。今回のスタッフは映画美学校の知り合いがほとんどだったんですけど、一人本当にがっつり時間を割いてくれる人に助監督をお願いしました。

あとはそれぞれの仕事を自分たちのできる時間の中でやってもらう…という感じでお願いしていたんですけど、やっぱり撮影のときがみんな忙しいのかな。私のスケジュールもあるし、キャストの方々のスケジュールもあるし。低予算ということもあり、キャストの方を飛び飛びの時間で拘束もできないので、半ば強引に時間を決めてその中で一気にやる、って感じでした。

WORK MILL:そんな最中にケイト・スペードさんが亡くなって、予期せぬ対応なども発生して…。映画制作だけじゃなく、PRとしての業務もかなり大変な時期だったんじゃないですか?

穐山:ちょうどその頃、外の会場を使った展示会も迫っていたんです。そして、ケイト・スペードが亡くなったニュースは、その前日に流れた。そしたらもう、展示会も実施するべきか否かという話になってくるわけです。あらゆる対応に追われて…。結果、やはりファッションの楽しさを教えてくれたケイト・スペードに敬意を表したいという事になり、実施しました。その後の撮影も、チームの、特に上司のサポートがあって乗り切ることができました。サンエー時代から一緒にやってきた人で、二人でずっと長くやってきているんです。

上司は子供が二人いて、その二人の子供を産むときに結構大変で、突然仕事に来られなくなることもあって、長い産休にも入って…その頃はまだブランドの規模も今より小さかったので、人を新たに入れるというよりは私がひとりでなんとかすることになって。でもそれが、いろんな仕事をやらせてもらえるきっかけにもなりました。今考えるとめちゃくちゃ無謀ですけど(笑)。一人目のときは大変でしたけど、二人目妊娠のときはもう私も慣れたもので。

WORK MILL:頼もしいですね(笑)。

穐山:そのときのことがあって、上司も「いつかこの恩を返さなくては」と思っていてくれたみたいで。忙しい時期ではありましたけど、集中してやりたい期間があるとか、ちょっと早く帰らなきゃいけないとか、そういった事情に対して「全然いいよ」って言ってくれる環境だったんですよね。周囲のサポートがなかったら、両立できなかったんじゃないかと思います。

WORK MILL:出産や育児だけでなく、様々な家庭の事情がある人もいると思いますし、穐山さんのように両立したい仕事をもつ人も増えていくような気がします。会社や周囲の人たちがそういったことを尊重し合いながら働くことが大切ですね

どうしたら両立できるかも含めて、仕事のやり方を探っていく

WORK MILL:ちなみに、PR業務が映画制作に役立ったことはありますか?

穐山:よく映画美学校の講師の方に言われたのは、「結構最初はみんなセンスとかそういう制作的なことを考えて作ると思うけど、実際は人とのコミュニケーションの前に成り立つ」ということで。一人でも作れるかもしれないけど、やっぱり限界がある。そうなってくると結構やっていることは会社と同じで。

だから「マネージャー以上の役職のついた仕事ができる人は、みんな映画を撮れるはずだ」と言っていた講師がいて、なるほどと思って。もちろん映画的センスみたいなところはあるかもしれないですけど、ある締切の中で何ができるかとか。

WORK MILL:それこそ予算を含めて。誰に頼んでどこまで業務を分けてお願いするかとかいうところですよね。

穐山:そうですね。まさに自主映画なんて全部やらなきゃいけないので、全体的に見られて、細かい仕事はできる人たちにお願いして、信頼できるスタッフを置いてできるだけお任せする。そういうところは社会人経験、特にマネージャーをやってきた経験が活かされるなと。

もちろん脚本を書くときは一人で書いているんですけど、実際動き出すとコミュニケーション仕事の方が多くて。撮影現場ではもうそういう準備をある程度終えて、それを広げる感じなので、そこに対してOKを出すのが監督の仕事で、あとはみんなそれぞれが考えて動いてくれるんですよね。監督は、何かトラブルがあったときにどうするかジャッジをするとか、そういうポジションなので。

WORK MILL:本当にマネージャー職みたいですね。

穐山:そうなんです。そういう意味では、監督としての気持ちに慣れているというわけではないですけど、覚悟ができているというのは、今までの経験があったから。なかなかやり慣れていないとやっぱり厳しいので、そこは今まですごくいい経験をしてきたなと思います。

WORK MILL:それができあがったのもすごいですけど、東京国際映画祭に出品という。しかも初の長編作。

穐山:すごくラッキーだったなと思うんですけど、東京国際映画祭は記念受験みたいな感じで出したんですよね。だから連絡が来たときは本当にびっくりして…(笑)。

WORK MILL:それが決まって今度は、会社の中でもすごく反響があったとか。

穐山:一応、「新作を撮るよ」とは社内でも言っていたうえで撮ったんですけど、さすがに東京国際映画祭出品が決まったあたりから、会社の反応が変わったというか、「え、そんなに本格的にやっていたの?」みたいになって(笑)。

田辺・弁慶映画祭も映画業界の中で言ったら、「あー、田辺・弁慶ね!」という感じなんです。でも会社の人達は詳しくは知らなくて、「選ばれてよかったね」みたいなノリだったんですけど、さすがに東京国際映画祭はみんな知っているので(笑)。しかも東京国際映画祭って、レッドカーペットもあって結構華やかな感じなので、社内もちょっとしたお祭り騒ぎになりました(笑)。

WORK MILL:確かに、違う業界でもみんなが知っていることに関わってくると、急にピンときますよね。

穐山:だから、ここでもう一回しっかりと言っておかなきゃと思ったんです。“映画監督”として自分の名前がメディアに出ることもあるので。それでいざ説明をしたら、すごく喜んでくれて。それこそ、「映画監督やってるPRって新しくないか?」って感じでちょっと面白がってくれて(笑)。

WORK MILL:でもそこから今回のような取材の機会が増えたりとか、かなりやることも変わってきているのかなと思うのですが。

穐山:そうですね。「私の働き方に興味を持ってもらえるんだ」っていうこととかは、後から気づきました。「いつまでPRの仕事やるの?」とか、「今後どうしていくの?」とかよく聞かれるんです。『月極オトコトモダチ』はこれから劇場公開もされるんですけど、私も正直、これからPRの仕事をどうしようかな…と思ったんです。でも、私みたいな生き方に興味を持ってもらえる嬉しさもあるし、私自身、新しい働き方に挑戦することにすごく興味があるので、どうやったら両立させられるかということも含めて仕事のやり方を探っていきたいんです。

それに、どうしても映画だけとなると生活もかなり不安定で、実際今のところは劇場公開しないと収入は入ってこないですし、今のところは本当に出費しかないので(笑)。もちろんそれだけじゃなく、普段のPRのお仕事で関われる人やできる経験は映画制作にも活かされるから続けていきたいのもありますし、新しい働き方を日々考えながらバランスをとっていけたらと思っています。


前編はここまで。後編では、東京国際映画祭での出品以降の本格的な兼業をどのように進めているのか、現在の働き方について詳しく伺います。

2019年4月16日更新
取材月:2019年2月

テキスト:鈴木梢
写真:飯本貴子
イラスト:野中 聡紀
撮影協力:ケイト・スペード ジャパン

映画「月極オトコトモダチ」

6月8日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺、イオンシネマ板橋ほかにて全国順次公開
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