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日本の「働き方改革」のねじれを、「幸せの経営学」が解きほぐす ― 幸福学・前野隆司教授

WORK MILL編集長の遅野井が、気になるテーマについて有識者らと議論を交わす企画『CROSS TALK』。今回は慶應義塾大学大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科で教鞭を執る前野隆司教授をお迎えしました。
「幸せ」って何だろう――古来名立たる哲学者たちの頭を悩ませてきたこの命題に、理系的なアプローチで究明を試みているのが、日本における「幸福学」の第一人者である前野教授です。同氏の活躍はアカデミックの世界に留まらず、「幸せの経営学」をテーマに企業組織の幸福度を上げるためのコンサルティングも手がけています。

そんな前野教授と、よりよい「はたらく」の未来像を模索するべく、WORK MILL編集長の遅野井がじっくりとお話を伺いました。前編では、昨今の「働き方改革」で企業がハマりがちな落とし穴や、幸せな職場に必要な「ムダ」について、論を展開します。 

教わらないのに(会社でいきなり)試される「総合力」

遅野井:前野先生、今日はよろしくお願いします。私も先生と同じくキヤノンに勤めていた経験があり、前々からぜひ一度お会いしたいと思っていて。

前野:そうだったんですか! お声かけいただけて光栄です。

ー前野 隆司(まえの・たかし)慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授
山口生まれ、広島育ち。1986年に東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社に入社。9年間の勤続の後に退職し、1993年に博士(工学)学位取得(東京工業大学)。2006年、慶應義塾大学理工学部機械工学科教授に就任。2008年より現職。近著に『実践 ポジティブ心理学』(PHP新書)、『実践・幸福学入門』(講談社現代新書)。専門は、システムデザイン・マネジメント学、地域活性化、イノベーション教育、幸福学など。

遅野井:今日は「はたらく」と「幸せ」をテーマに、いろいろとお話ができたらと思っています。
始めにお聞きしたいのですが、前野先生は企業勤めの頃、働くことに幸せを感じていらっしゃいましたか? やはり、自分の働き方に疑問を感じていたから、今の道に進む決断をされたとか。

ー遅野井宏(おそのい・ひろし)WORK MILL編集長
ペルー共和国育ち、学習院大学法学部卒業。キヤノンに入社し、レーザープリンターの事業企画を経て事業部IT部門で社内変革を担当。日本マイクロソフトにてワークスタイル変革専任のコンサルタントとして活動後、岡村製作所へ。これからのワークプレイス・ワークスタイルのありかたについてリサーチしながら、さまざまな情報発信を行う。WORK MILLプロジェクトリーダー、ウェブマガジン・ペーパーマガジン 編集長。

前野:いや、特に不満はなかったですんですよ。自分の作ったものがユーザーの役に立っている実感もあって、幸せに働けていました。ただ、周囲の同僚を見てみると「大企業って大変だなぁ」と思うことはありましたね。

遅野井:「大変」とは? もう少し掘り下げさせてください。

前野:これはキヤノンに限った話ではないですが、やっぱり大企業だと、幸せそうに働く人とそうでもない人の差は出てくるものです。僕はやりたいことを上司に提案して、自由にやらせてもらえていた。一方で、やりたいことがうまく見つからなくて、日々の仕事がやらされている感じになっている人は、傍から見てつらそうだなと感じました。

それでも当時のキヤノンには、あきらかに不幸そうな人はいなかったので、いい会社だったなと思いますね。ただ、あらためて振り返ってみると、お金じゃない何かにやりがいを見出して、生き生きと活動している人たちに比べると、ちょっと幸福度が低そうな感じはありましたね。

遅野井:前野先生が、周りの同僚の皆さんよりも幸せに働けていた理由は、何だったと思われますか。上司に恵まれたとか?

前野:それはありますね。上司に、そして配属される部署にも恵まれたと感じます。それと……自分が社内で上手いこと立ち回ったのもありますね(笑)。ちょっとした人との接し方や、自分の能力を出すタイミング、アピールの仕方でもって、周りの信頼をより得られるものじゃないですか。姑息にやるという意味ではないですよ。

遅野井:よくわかります。実際の能力以上に、立ち回りが評価の明暗を分けることも、会社では少なくない気がしますね。つまるところ、人間関係がうまく回るか、回らないかという問題に尽きるのかなと。この二者を分かつのは、一体どんな要素なのでしょうか?

前野:何なんでしょうかね。断言はできませんが、「総合力」なのかなと思います。コミュニケーション能力・リーダーシップ力・物事の処理能力・問題解決力・プレゼン力など、あらゆる能力が絡み合った結晶というか。

どれかひとつ特化してればいいのではなく、ひとつでも落ち度があると評価されにくい……そんな容赦のなさが、企業によってはあるなと感じます。大学を卒業するまで勉強と研究に特化してきた人間にとって、企業に入っていきなり教わってもいない総合力が試されるのは、なかなか厳しい状況ですよね。

遅野井:WORK MILLの読者も、そうした会社組織ならではの閉塞感に悩んでいる方が少なくないと思います。私も前野先生と同様、上司に恵まれて上手く引き上げてもらえたなと感じていて。一方で、「何かしらに恵まれて良いサイクルに乗れないと、ずっと閉塞感から抜け出せない」といった傾向が、今の日本の会社全体にあるのかなと。

昨今の「働き方改革」、実態はほぼ「働き方改善」

遅野井:私は、日本の働き方って、努力や根性といった精神論がベースにある影響もあって、「幸せ」を直視できていないように感じています。「幸福学」を専門とされる前野先生から見て、そのあたりはどう思われますか?

前野:同感です。従来は学問が進歩していなかったから、精神論になりがちでした。最近、私は「幸せの経営学」をテーマに研究しているのですが、会社として「幸せ」と向き合うことは、いいことだらけなんですよ。

最近の研究結果では「幸せな社員は、そうでない社員よりも、創造性が3倍高い」というデータが発表されています。同じく、生産性の高さや欠勤率・離職率の低さなど、あらゆる面で「幸せな社員」の方が優れていることが、学術的に明示されつつあります。

遅野井:社員が幸せならば、会社としてうまくいくことは明らかだと。

前野:だからこそ、これからの会社は「働き方改革」の号令の下で、「時短を徹底して無駄を減らすこと」ではなく、「社員を幸せにすること」を追求するべきだと思います。創造性が3倍になれば、結果的に時短にもなるはずですから。

遅野井:近年、さまざまな会社で「働き方改革」という言葉を耳にするようになりました。ただ、どうも言葉だけが先行していて、中身が伴っていないように感じらえることがあります。

前野:昨今の「働き方改革」は、その中身が「時短による効率化」になっているケースが多い。けれども時短に留まっていては、それは製造業的な改善の域を出ないんです。

遅野井:なるほど。「働き方改革」をしているつもりが、「働き方改善」になっているんですね。

前野:抜本的な「改革」には、職場の雰囲気や組織体系、理念を変えることが必要です。そこで僕は、「社員の幸せを第一優先にする」といった理念にシフトしていく「幸せ経営」を提唱しています。
それは難しいことではなく――たとえば、部ごとに「感謝ボックス」を置くとか、出社したら挨拶代わりにハイタッチをするとか(笑)。一見下らないことでも、皆で考えて実践していくことで、社員の幸福度は短期間で簡単に上がるんですよ。

遅野井:とすると、時短で削っている行動の中に、幸福度を上げるはずの要素がたくさんありそうです。

前野:まさにその通りです。幸せはムダの中にこそあるもの。私には多くの会社が、時短を励行することで、さらに不幸せに向かっているように見えます。バブルが終わってからの「失われた20年」の間に、日本中の会社がそれまで大切にしていた「人とのつながり」を、「ムダをなくす」という題目の下で、ぶった切り続けてきたんです。社員旅行や社員運動会などは、まさにこれに当たります。

遅野井:短期的には妥当な改善だったのかもしれませんが、長期的にみれば、本来やるべきことと真逆のことをしていたと。そのツケが、今になって社会全体に現れてきたと思うと、納得できます。

前野:時短は本来、明確な目的意識があってこその行為です。答えが見えていないのに、「時短しろ! 時短しろ!」とばかり責め立てられては、ストレスがたまるのも無理はありません。

遅野井:ますます幸せから遠ざかってしまいますね。そんな負のサイクルをなんとか断ち切って、誰もが「はたらく」をもっと楽しめる世の中にしたいという思いで、私も「WORK MILL」のプロジェクトを続けています。

日本人は宗教と一緒に「幸せ」も遠ざけてしまった?

遅野井:率直に聞かせてください。会社が「幸せ」な場所になるには、何が必要でしょうか?

前野:要素はいろいろとありますが、まずは「ムダを許す」こと。「これはムダかもしれない」と思えるアイデアでもポジティブに出し合って、それを「全部いいよね!」と認め合える場づくりが重要です。

遅野井:直近のアメリカ西海岸的な企業文化に近しいですね。

前野:そうですね。Googleなんか、会社の所々におもちゃが置いてあったり、昼ごはんが食べ放題だったり、社内が訳のわからないことになってるじゃないですか(笑)。でも、それがすごく大事で。実は、幸せを感じる条件って、イノベーションが生まれる条件と似ているんですよ。とてもシンプルなことです。日本の会社は、なかなか向き合いきれていないですが。

遅野井:少し話は変わりますが、タイでは2003年頃から、職場幸福度を上げる「Happy Workplace Program」を発足させるなど、国が率先して「幸せな働き方」を模索しています。こういった思想は、仏教や王室の教えなどが大きな支えになっていて。ブータンなども同様だと思いますが、宗教的なバックボーンがあることで「幸せ」を直視しやすい環境が生まれているのではと感じました。
一方、日本で「幸せ」を議論に持ち出そうとすると、なぜだか途端に「うさん臭さ」が生まれてしまう。これは、日本人の「宗教に対する抵抗感」が影響しているのかなと思うのですが……。

前野:おっしゃる通りだと感じますよ。それは「明治維新の神仏分離」「戦後の国家神道の解体」、そして「オウム真理教の事件」という3つの段階を経て形成された価値観ですね。江戸時代までの日本においては、宗教はとても日常的な拠り所でした。だから当時の日本には、今のタイやブータンと似たような雰囲気があったんだと思います。

たしかに宗教には、非科学的で怪しいと思わせる側面があるかもしれません。しかし、そこにある何千の知恵や教えの中には、科学的にも立証され得る「幸せになるためのメソッド」が、しっかりと組み込まれているんですよね。伊達に何千年もやってきたわけではないんです。

遅野井:それが今、再び必要とされ始めてきている。

前野:幸福学が流行り始めたのが、1980年代から90年代にかけて。ちょうど、資本主義的なイケイケ感が頭打ちしてきた頃ですね。要は、幸福学って「宗教の代替」という面もあると思うんです。何千年もの間、「幸せ」の追求は宗教や哲学の専売特許でした。それが科学の進歩によって、ようやく数値やデータに基づいて扱えるようになってきた……というわけです。

遅野井:日本は宗教を遠ざけすぎてしまったのかもしれませんね。それで、合理的な個人主義に傾倒してしまったと。

前野:その個人主義だって、アメリカではプロテスタンティズムが背景にある。つまり、個人主義は本来、宗教とセットだからうまくいくんです。ストイックな追求の日々も、日曜日に教会に行き、神に祈ることとセットになることでバランスが取れていた。

遅野井:そうだったんですね。

前野:戦後の日本は、この個人主義の方だけを輸入してしまって。もともと不安になりやすい国民性なのに、そこに個人主義が合わさってしまったら、キツいに決まってるじゃないですか。今の日本の働き方は、全体的にものすごくねじれた状態なんです。ただ、僕は近い将来、この日本のねじれは解消されると見込んでいます。

遅野井:それはどうしてですか?

前野:歴史的に見ても、日本は独自文化の創出が上手なんですよ。平安時代は、輸入してきた漢字を吸収して、そこから独自の「かな文化」を作ったりね。江戸時代でも、オランダを始めとした諸外国から得た数多くの技術・文化を咀嚼して、日本らしい文化を創造してきた。
平安時代も江戸時代も、文化的に栄えたのは後期です。そこから予測するに、戦後から100年くらいの我々はちょうど過渡期の世代で、これから100年かけて日本の文化も花開いていくのでは……とね。今まではうまく取り入れてこれたのに、今回だけ失敗なんてことは、きっとないと思いますよ。

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前編はここまで。後編では、これからの企業や社会全体に必要な「弱いつながり」についてや、「いい会社の定義は破綻している?」、「日本は将来的にものすごいイノベーションを起こす?」といったテーマで、さらに盛り上がります。

2017年9月19日更新
取材月:2017年8月

テキスト: 西山 武志
写真:岩本 良介
イラスト:野中 聡紀

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