見慣れた街が「パラパラ漫画」に見えた。散歩で街を教材にして新しい視点を得る方法(てく学・飛田瞭さん)
忙しい毎日、会社と自宅を往復するだけの日々。駅までの道に、どのような植物や設置物、風景が広がっているのか、細かく思い出すことができるでしょうか。
無意識のうちに歩いていると、気づけば街の景色はただの記号として片付けられてしまいがちです。
散歩を通して、そういった日常の風景をさまざまな切り口から楽しめるものとして捉え直し、「てく学」という学問にしたのが飛田瞭さんです。
かつて企業に勤めていたものの、退職して「てく学」を仕事とすることになった飛田さん。そこで得られる視点は、私たちの凝り固まった視界をどのように解きほぐしてくれるのでしょうか。

飛田瞭(とびた・りょう)
東京都三鷹市生まれ。大学卒業後、PR会社のプランナーやメルカリの広報を経験。カナダ留学からの帰国時、見慣れた景色が輝いて見えた原体験から、日常を鑑賞する視点を学ぶ「てく学」を提唱。2025年4月に退職し、お散歩を本業に据える。現在は「てく学者」として各地で街歩きイベントを開催。
Instagram:https://www.instagram.com/tekugaku/
メルカリを辞めて、散歩を本業にする決意
最初に「てく学」とは、どのようなものなのなのでしょうか。


飛田
「てく学」は、“てくてく”歩きながら学ぶ学問です。国語や数学のように机の上で学ぶものとは異なり、「てく学」は実際に街の中に出て、歩きながら街のものを教材にしていきます。
テーマは「日常を鑑賞する」。普段歩き慣れた道って、どんどん「見なく」なってしまいがちですよね。
そんな日常の風景に対して、美術館の中で作品を眺めているときのような態度で対峙できたら、きっと新鮮で面白いはず。そんな思いで提唱した学問です。

飛田さんは2025年4月にメルカリを退職して、「てく学」の活動を本業にされたんですよね。なぜ、そこまで思い切った決断にいたることができたのでしょうか。


飛田
「『てく学』という学問を1万年後にも残っている状態にするためにどうすればいいのかな?」と考えたんです。
そのとき、僕以外にも「てく学者」という学者さんをたくさん増やしていく必要があるなと考えたからです。
なるほど。後世に残したいという気持ちがあったのですね。


飛田
はい。そうなると、僕がまずきちんと「散歩で生計を立てられる」ようにならないと、誰も後続が現れないですよね。なので、まずは僕自身が散歩で生計が立てられるということを立証したかった。
その上で、同じように散歩をなりわいにしたいとか、街の鑑賞の仕方に興味がある人たちが、2人目、3人目のてく学者になってほしいと考えています。
ちなみに「てく学」はなぜ生まれたのでしょうか。


飛田
元々、東京都の三鷹市に20年住んでいたのですが、大学時代に1年間カナダへ留学したことがありました。
そのとき、海外に行った経験よりも、日本に帰ってきたときのカルチャーショックのほうが大きなインパクトがあったんです。見慣れたはずの三鷹の街なのに、「日本に留学に来た」ように見えたんですよ。


飛田
何回も歩いている道って、やっぱりどんどん見慣れていくもの。これは同じ情報を繰り返すと、頭の中でその情報を「記号」に変換して処理するようになるからだと考えています。
そのせいで風景が見えなくなってしまうのは、なんだか寂しいなとも思っていて。
そう言われると、通勤路の細かいところは覚えていない気がします。


飛田
そんなことを考えていた帰国後の通学路に、何の変哲もないブロック塀があったんです。その中に「透かし積み」といって、向こう側の景色が見えるような穴が開いている場所がありました。
ブロック塀が続いている道を歩きながら、都度訪れる穴を見ていると、そこから見える景色がまるでパラパラ漫画みたいに動いて見えたんです。
街にあるあらゆるものは、自分の意識一つでいくらでも価値のあるものになる。それに気づいたのが最初のきっかけでした。
街の心拍数を測り、野草をつまみ食い。「他人の視点」で歩いてみたら
飛田さんが主宰されている「てく学」の街歩きイベントの内容が、とにかく独特でオリジナリティにあふれていますよね。切り口がすごく面白いなと感じます。


飛田
ありがとうございます。「てく学」は「日常を鑑賞する」をテーマにイベントを開催しています。
たとえば、参加者みんなで1人1台メトロノームを持って「街の心拍数を測ってきてください」というお題で測りながら歩くイベントをしたことがありました。
これは、『ゾウの時間 ネズミの時間』という本から着想を得ました。人間の心拍数に対してゾウは遅く、ネズミは速いらしいんです。
そのため、ゾウやネズミの心臓の速度に合わせて歩くことで、その動物の気持ちで景色を楽しむことができ、新たな発見につながるんじゃないか、と。


飛田
他にも、薬膳アドバイザーの方をゲストにお呼びして、そこら辺の道端にある野草を「つまみ食い」しながらお散歩するイベントを行いました。
このように、何かしらの“問い”を持って歩いたり、ゲストの方を呼んだりという形をとることが多いですね 。

飛田さんがおっしゃる「他人の視点を借りる」という考え方は、生物学の概念とも関係があるんですよね?


飛田
そうですね。生物学の用語に「環世界(Umwelt)※」という話があります。事例として出されることが多いのがマダニです。
※環世界(かんせかい / Umwelt):20世紀初頭にドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念。すべての生物は共通した客観的な世界を生きているのではなく、それぞれの種が持つ感覚器官を通じて知覚された、その生物固有の世界(環境)を構築して生きているという考え方のこと。

飛田
マダニは視覚と聴覚がない一方、「嗅覚」「触覚」「温覚」の3つの知覚にすぐれています。つまり、人間とは全く別の世界を捉えている。
他にもチョウチョは紫外線が見えていたり、渡り鳥は磁気を感じていたり、生物によって知覚している世界は全然違うわけです。
この話を聞いた時に、「環世界の違いは生物間だけでなく、人と人の間にもあるんじゃないか」と思ったんです。
なるほど。


飛田
宇宙飛行士には星の結びつきがよく見えるし、地質学者が砂漠を散歩すれば僕らには感じ取れない微妙な砂の差異を捉えられる。
そういう「人によって異なる環世界」を、みんなで歩きながら共有したい。それが「てく学」のベースにあります。
参加者の方からも面白い視点は出てきますか?


飛田
もちろんあります。参加者の方の感性も、本当に面白いんですよ。
岡山でイベントをやった時、瀬戸内海が見下ろせる山の上で「好きな色を見つけて名付けをしてください」というお題を出しました。
午後4時頃、西日が反射して、海面が白くなりきらない絶妙な色になったんですね。すると、参加者の一人が「とても綺麗だけど、反射で眩しくて見えない」と。
その感覚から、その色を「瞬き色(まばたきいろ)」と名付けていて。すごい詩人だなと思いました(笑)。
とても素敵ですね!


飛田
普段から創作活動をしているわけではなくとも、それぞれが自分の中に表現方法を持っているんですよね。
本当に嘘なく「みんな天才じゃん!」と心の底から思える瞬間がたくさんある。そういう他人の環世界に触れるのは、本当に面白いなと思います。
既知の定義をひっくり返し、解釈の余白を取り戻す
飛田さんがお話される視点はどれも新鮮である一方で、頭が固まっていると、なかなかそうした見方になるのは難しいなとも感じます。
日常を捉え直すためのコツはあるのでしょうか。


飛田
はい、ありますよ。
まず前提として、「既知(きち)」と「未知(みち)」の間に、「うつろな知」と書いて「虚知(きょち)」という概念があると思うんです。
基本的に教育は、「これは何?」という未知を「これはこういう目的のものなんだ」と理解した状態=既知にするものですよね。
でも、既知の状態ばかりになると、得た知識がパッケージ化されてしまう。

「わかってしまう」状態になるんですね。そこで、それ以上の想像力が止まってしまう。大人が陥りがちな状態かもしれません。


飛田
そうなんです。だからこそ、固まってしまった意味を一度緩めて、解釈を増やす「虚知」が必要です。
たとえば、カーブミラーがあるとします。大人ならば、それを「見通しの悪い場所で安全を確認するための鏡だ」と既知になっているはず。
でも、あえて「あのミラーは3時間後の未来を映しているかもしれない」「宇宙人が人類を監視するために設置したものかもしれない」と自由に仮定してみるんです 。
SFのようで面白いです。


飛田
まずは定義をひっくり返していく。頭を緩めていつもの風景を眺めると、無限に楽しめるようになるんです。
街に潜む意図と物語を読み解く
今、外に出て実際に歩いています。急に情報の密度が変わる気がしますね。あ、マンホール発見。



飛田
マンホールって、実は名前そのものに意味があるんです。わかりますか?
考えたことなかったです……。


飛田
英語で「マン(Man)」の「ホール(Hole)」、つまり「人が入って作業するための穴」という意味なんですよ。
だから、あっちにある30センチくらいの小さい蓋は、人が入れないですよね あれはマンホールではなくて、手を入れて作業するから「ハンドホール」って呼ばれているんです。
実際に上に立ってみてください。人間の入れるサイズじゃないでしょう。

名前を聞くだけで、その蓋の「用途」や「中での作業風景」が目に浮かぶようです。
路上のインフラ一つひとつに、誰かの設計意図や物語が隠れているんですね。


ええっ、なんでしょう……。滑り止め、とかですか?

1万年後まで学問を残し好奇心に従順な大人が溢れる世界へ

飛田
最終的に目指しているのは、「誰もが子どもになれる世界」です。
ここで言う「子ども」とは、「未知」な状態のことを指します。世界についてまだ何も、良い意味で知らない。
赤子のように、完全に何も知らなかった頃には戻れない。でも、「未視感」や「虚知」を使って、外のものが面白く見えていく状態を目指していけるといいなと思っているんです。


飛田
その結果として、好奇心を何とも天秤にかけずに「やりたいからやる」「触りたいから触ってみる」という、好奇心に従順な人が増えたらいいですよね。

飛田
はい。まずは僕自身が、身を持って「散歩で生計を立てられる」っていうことを実証する。
将来的には、これまでスキルとして認識されていなかったような学問を作り、それらを束ねるような「学校」も作りたいなと構想しています。

飛田
そうですね。実は社会人の4、5年目くらいまでは、「ビジョン先行型」だったんです。でもその結果、ビジョンの方が自分より偉くなってしまって、自分自身が置いてけぼりになっていて……。
そんな時、当時の同期が「お前、それ自分に失礼やで」って言ってくれて。その言葉にハッとしました。「自分って、他人と同じようにちゃんと大事にしてあげないといけない存在なんだな」と、認識が切り替わったんです。

飛田
だから今は、ビジョンに引っ張ってもらう時期と、今の自分の感覚を大切にする時期、その両方をバランスよくしていくのが大事なのかな、と思っています。
そうやって試行錯誤していく中で、自分にとって適切なバランスが見つかっていくのかな、と思っています 。

2026年2月取材
取材・執筆=ミノシマタカコ
撮影=栃久保誠
編集=桒田萌/ノオト


