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あえて一度、不安定になってみる。ビジネスパーソンに「越境学習」をすすめる理由(法政大学大学院教授・石山恒貴さん)

いろいろな働き方を選びやすくなってきました。高度経済成長期と比べると、転職を経験する人はどんどん増え、副業ができるようになり、キャリアブレイクといった概念も広まってきています。

しかし、いざ自分ごととなると、どのようにキャリアを選び取っていけばいいか迷ってしまうことも。

法政大学大学院教授の石山恒貴さんは、ビジネスパーソンがキャリアを考える上で、「越境学習」を推奨します。『越境学習入門』などの著書もある石山教授に、越境学習の効果や事例、始め方などを伺いました。

石山恒貴(いしやま・のぶたか)
法政大学大学院教授。一橋大学社会学部卒業。産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了。博士(政策学)。NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。主な受賞として、経営行動科学学会優秀研究賞(JAASアワード)、人材育成学会論文賞、HRアワード書籍部門最優秀など。著書に、『越境学習入門』(共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『ゆるい場をつくる人々 サードプレイスを生み出す17のストーリー』(編著、学芸出版社)、『キャリアブレイク 手放すことは空白(ブランク)ではない』(共著、千倉書房)などがある。

ホームとアウェイを行き来する「越境学習」

今回のテーマである越境学習とは、どのようなものですか?

石山

越境学習とは「自分が心の中でホームと思う場所とアウェイと思う場所を行き来することによる学び」と私は定義しています。

人によって、ホームと感じる場所、アウェイと感じる場所は違います。

その人にとってのホームとアウェイを行き来することで、価値観が増えて、学べることがあるんです。

それぞれ、具体的にはどういう場所ですか?

石山

ホームの代表例は、長く勤めている会社です。会社に行くとよく知った人がいて、社内用語は通じるし、安心できる。しかし、刺激がなくなってしまうこともよくありますよね。

アウェイは見知らぬ人がいて、いつも使っている言葉や用語が通じない居心地の悪い場所です。でも、行ってみると刺激を受けられます。

ホームからアウェイに行くだけでなく、「行き来する」のがポイントなんですね。

石山

そうです。たとえば、小説家の平野啓一郎さんは「分人」という考え方を唱えられています。

ほんとうの唯一の自分だけが存在するのではなく、対人関係や環境によっていくつもの自分があり、それぞれがすべて自分である、という考え方です。

たとえば、SNSでもアカウントを使い分けることがありますよね。

石山

まさにそうですね。仕事用の実名アカウントでは真面目な話をしている人でも、匿名の趣味アカウントでは“オタク”な自分を自然体で楽しんでいたりします。

自分の中のいろいろな顔が出てくることで、できることの棚卸しをしたり、本当にやりたいことを考えしたりする機会が生まれることもあるでしょう。

石山

越境学習は、スキルや知識を積み上げる「経験学習」と比べると理解しやすくなります。

経験学習の例として、ゴルフのパター練習を考えてみましょう。打ってみて「強く打ちすぎちゃったな」という経験から振り返り、今度は弱く打ってみる。今度は弱すぎたとしたら、もう少し強さを戻して打ってみる。

経験を積み上げていくことで、だんだん熟達していくんですね。

石山

こうした経験学習は、ビジネスパーソンにとって今後も重要になるでしょう。

しかし、越境学習では別の切り口の学びが生じます。

どう違うのでしょうか?

石山

越境学習は、地道にゴルフのパター練習をしている途中で「あれ、今ゴルフのパターでよかったんだっけ?」「テニスをやった方がいいかもしれないな」と考えるようなものです。

つまり、専門性を意図的に停止してみるのです。そうすると、日常と異なる新しい物の見方ができるようになります。そうした新しい見方は、実は専門性の熟達にかえって役立つことにもなります。

なるほど。

石山

ただ、興味深いことにホームとアウェイの価値観を両方持てるようになると、人は不安定になり、葛藤するんです。

不安定に……!

石山

今まで当たり前だと思っていたこと、つまり固定観念に疑いを持っていたからなのです。ただ、固定観念に染まり切っていたら、それはそれで幸せかもしれません。葛藤しなくて済んで、楽ですから、それが幸せならいいと思います。

でも、いったん不安定な場所に身を置いてみると、それまで見えていなかったキャリアが見えてくるかもしれません。

「こんなにおもしろい経験があるんだ」と知る

具体的には、越境学習にはどのような事例があるのでしょうか?

石山

大阪の建設業の企業である株式会社ファンテックは、社員数は50名ほどです。

この企業では、常務の方が越境学習を始めました。プログラミングを学びたいと思い立って、「ノンプロ研」に入ったのです。

ノンプロ研……?

石山

正式には「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」と言い、通称ノンプロ研と呼ばれています。

プログラミングを本職としないビジネスパーソンが集まり、一緒に学んでいるコミュニティです。

建設業とは全然違う世界ですね。

石山

建設業と違うというより、いろいろな業界の方が参加する自主的な勉強会なので、どの業界の方にとっても新しい世界だと思います。

実際にその常務の方が個人的に参加してみたら、いろんな業界のメンバーが自発的に学んで、みんなで応援し合っていける環境が楽しくなって。

この常務はノンプロ研に入ってから、残業するよりもノンプロ研での学習を優先するようになったそうです。

それはすごい……。

石山

自分の経験が非常に良かったので自社の社員6名をノンプロ研に誘ったんです。

すると、その社員たちも楽しくなってきて、自主的に社内で勉強会をやり始めて。

おもしろい変化ですね。

石山

その結果、以前は年間20人も辞めていた時期があったにもかかわらず、楽しく学ぶ雰囲気が社内にできて、その後の半年は社員の退職がなくなったそうです。

50人程度の企業で、常務と社員の計7名が変わるだけでも、会社全体が変わる可能性が越境学習にはありました。

参考:一般社団法人ノンプログラマー協会ホームページ「『初めはすべてが異世界だった』ファンテック常務取締役・加藤 直史さんを変えた、社外コミュニティの力」

越境学習は、個人だけでなく企業にとってのメリットがあるんですね。

石山

他にも、社員数25名程度の企業の社長は、やはりノンプロ研に入っていて、その経験をSNSでよく発信しています。

社員はその投稿を毎日見ているから、「こんなにおもしろい経験があるんだ」と知ることができます。

すると、その社員たちは本業でも難しい挑戦をして、失敗もどんどんできるマインドセットになっていくそうです。

そんな変化が……。

石山

ビジネスパーソンの越境学習を考えるとき、送り出す側の企業が「どんどん転職していってしまうのではないか」と心配されることもあります。

もちろん実際に転職していく人もいますが、実は「ホーム」の企業にとってもメリットもかなり大きいんです。

大企業でも越境学習は有効

中小企業で越境学習の効果が出やすいことはイメージできました。大企業ではいかがでしょうか?

石山

大企業でも越境学習は有効です。

日本郵政は「ローカル共創イニシアティブ」を立ち上げています。これは、社員を社会課題に取り組む地域のベンチャー企業や地方自治体に2年間派遣し、各地の郵便局と協働しながら地域に貢献していくプログラムです。

自社事業にうまく絡めた形での越境学習なんですね。

石山

このプラグラムに参加すると、大きな組織に属しながらも、地域における社会課題の取り組みに「越境」することができる。若手・中堅でも責任のある仕事ができて、「ヒリヒリする」経験を積むことができます。

このように越境学習は、個人にも企業にもメリットをもたらすことになります。

参考:日本郵政グループホームページ 「 ローカル共創イニシアティブ」

個人と企業の両方をうまくマッチングさせているんですね。

石山

組織は大きくなるほど、指示系統が階層化して、硬直化していく傾向があることは否定できません。組織にとって自然の摂理のようなものです。だからこそ、全速力で揺らし続けなければ、創造的逸脱(※)が起こらなくなってしまいます。

そのための手段としても、越境学習は有効なのです。

※組織の硬直化した指示系統に囚われず、独自に新奇性のある考え方を創造すること

個人で今日から始められる越境学習

企業ではなく、個人が越境学習を始めるためにはどのようなプロセスがありますか?

石山

育児休職も、越境学習になるという感想を持つ方が多いです。育児休職は普段の仕事とは異なるアウェイの環境で、それが復職してから役に立ったという実感をよくお聞きします。

仕事のために育休を取るわけではありませんが、復職すると結果的に仕事にも役立つスキルが身についていることもあります。

なるほど。

石山

ほかにも、副業はわかりやすいところですし、ボランティアやPTA活動などもあるでしょう。たとえば、PTAで学校の文化祭で焼き鳥を焼くのも、越境学習と言えます。

会社員の人でも、普段は会わない商店街の自営業の人や別の業界の人と交流する機会となり、それが学びになったという感想を多く聞きます。

地域の「サードプレイス」に顔を出してみるのもいいでしょう。「キャリアブレイク」という選択肢もあります。

でも、そこに飛び込むための最初の一歩が難しいです……。

石山

1番いいのは、知り合いに連れて行ってもらうことですね。

私が企業で研修をするとき、4〜5人のグループワークをやってみると、1〜2人は「今までそれが越境学習と思わなかったけれど、私がやっている活動は越境学習だったんですね」という方がいます。

そうした場で一緒にワークをした人でも、同僚でも友人でも、おもしろいと思った活動があれば、連れていってもらってください。

石山

誰かのやっていることを少しずつ手伝ったり、「自分はこんなことがやりたかったんだ」と発信してみたりすると、新しい価値観が自分に入ってきて、協力者も現れてきたりします。

ドラクエでも、最初からパーティーを組んでいるわけではなくて、最初は1人だけどルイーダの酒場に行ってパーティーを組むわけですよね。

たしかに……!

石山

まずは誰かに連れて行ってもらったりしながら、アウェイの場に飛び込んで、一度不安定な状態になってみましょう。

アウェイの環境に緊張することもあるでしょうが、不安定な状況に少しずつ慣れていく。

そうして、いろんなコミュニティを越境できるビジネスパーソンになると、これからの時代に合ったキャリアを選びやすくなると思いますよ。

ありがとうございました!

山田 雄介
山田 雄介

【編集後記】
石山先生にお話を伺い「越境学習」は、まさに日常の枠を超えて自分を成長させる冒険のように思えました。慣れた環境を離れて、あえてちょっと不安定な状況に身を置いてみると、新しい発見や学びが自然と生まれるんだということも。
この記事を読むと、「失敗したらどうしよう」なんて心配よりも、「その先に何があるんだろう?」というワクワクが勝るはず!小さな一歩でいいので、いつもと違う世界に飛び込んでみることで、思わぬ未来が待っているかもしれません。そんな思考や行動を私たちビジネスパーソンがどんどん挑戦することで、これからの新しいビジネス習慣にしていきたいです。

2024年10月取材

企画・取材・執筆=遠藤光太
撮影=栃久保誠
編集=鬼頭佳代/ノオト