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特派員コラム ー タイに学ぶ、心を通わせて働くこと

バンコクの現地法人でオフィス空間をデザインする仕事をはじめて4年が経ちました。タイ人たちとチームを組んで働く中で理解してきたことをお伝えします。

タイと言えば何を連想しますか。
唐辛子・パクチー・生姜・レモングラスなどのハーブが複雑で豊かな風味を生み出すタイ料理でしょうか。それとも、色とりどりのタクシーたちが起こす渋滞の風景でしょうか。文字通りの“カオス”な状態こそ、外国人から見てタイを表すのに最も簡単な言葉かもしれません。タイは観光大国として有名で世界中から年間3千万人以上の旅行者が訪れると言います※1。外国人からみたタイは、非日常感を味わえる“カオス” に満ちた魅力的な土地であると言えます。

※1 国連 世界観光機関 World Tourism Organization2017年次データによる

タイ料理はたくさん注文してシェアするとおいしい

カラフルな渋滞

しかし当然のことながら、タイにはタイ人たちの日常の暮らしがあります。長くタイ人たちと共に働き彼らの文化に触れたことで知り得た、タイ人たちが普段何を考え何を感じ、何を大事にしているのか見ていくことで、私たち日本人が彼らから学べることをこの記事ではお伝えしようと思っています。

ほほえみの国

家族で寺へお参り

若い人もよく訪れる

タイはタイ族と呼ばれる人々が民族構成の大半を占め、歴史上内紛は多くあったものの他国から侵略を受けたことはなく欧州諸国の植民地化も経験していません。また国民の多くが敬虔な仏教徒であり、国王と王族への深い愛情と尊敬を持っています。日本人である私の個人的見方では、タイ人にとっての仏教は日常の文化に溶け込んだ「習慣」、王族に対する感覚は「宗教」に近いものであると理解しています。またそれ以上に家族の絆を非常に大切にしており、休日には家族そろってお寺へのお参りをするのも一般的な光景です。

これらの歴史的あるいは文化的背景からなのか、多くのタイ人は他人との衝突をなるべく避け良くも悪くも物事を穏便に済ませようとする傾向にあります。特定の人を名指しして面と向かって批判するようなことも稀です。あなたが観光中であればこの傾向は優しく慈愛に溢れた性格のように感じ、ほほえみの国とタイのことを呼ぶことでしょう。しかしいざ仕事に対してということになると悪い影響があることも多く、日本人の仕事観とはかけ離れた考え方だと評価されてしまいます。日本人のワーカーの多くがそうであるような、完璧に段取りを付け、各人が役割を理解して作業分担するようなワークスタイルができるタイ人は多くはありません。

笑い話のような本当の出来事として、私がタイ人部下に任せていたある仕事で問題が起きお客様からのクレームになってしまったことがありました。彼女とは進捗を逐一確認していたにも関わらずそうなってしまった原因を突き詰めると、どうやら報告されるべきだった事項に不十分な部分が多く見つかりました。なぜきちんとした報告をしなかったのか彼女に問うと、彼女にとっての「できました」は私からすると「六割以上はできました」に過ぎなかったということがわかり、また私が他の案件で忙しくしていた時期には彼女なりの“優しさ”でこれ以上負担をかけまいとして「問題ない」と私に報告していたケースもあったことが判明したのです。きっとここまでやってくれるだろう、とか、まさかそんなことはしないだろう、とか、日本人が得意とするあうんの呼吸を求めてしまった結果です。

本当に、あうんの呼吸は通じないのか?

このように私自身当初はタイ人と働くということに非常に困惑し悩みましたが、4年経った今ではひとつの結論に辿り着いています。それは「我々には一人の人間同士として、違いよりも、共通点の方がはるかに多い」ということです。タイ人だからと言って穿った考えで変に構える必要はないのです。現に、先の事例はある一人のタイ人部下の例でしかなく人が変わればその報告の仕方も変わりますし、同様の経験が日本人の部下との間であった方もいらっしゃることでしょう。

日本と同じくこれらの問題のほとんどは、コミュニケーション不足がもたらすものです。異なる国で育ち異なる言語を話す人同士でのコミュニケーションですから、日本人同士で行われるそれ以上に注意深くなる必要があるのは当然です。しかしコミュニケーションの量と質を高めていくことができれば、国が違えどあうんの呼吸の関係を築くことができると信じています。そこで私が今、タイ人とともに働く上で本当に大切にしていることは「共感し合う」ということです。

心を通わせることの尊さ

なぜなら、彼らもある文化を持ちある人生観を持った一人の人間だからです。そして誰もが取り組みたい仕事があり成し遂げたい夢への情熱があるのです。私が感じる共通点の最も重要なものがこの情熱です。登りたい山が同じであれば、登ろうとする道筋は異なっていたとしても頂上でかならず出会えるでしょう。しかし、この一人一人の人間と共感し合って働いていくのだという重要な視点を私もつい忘れてしまうことがあります。そのような時に思わず口をついて出てしまうのが「これがタイか・・・」という言葉です。私たちは時に大きな括りの中で人のことを評価しがちです。分類化しいずれかのパターンに当てはめて評価することは、その分類規模に応じた理解度しか与えてくれません。個人のオリジナリティを見ることを忘れたその行為により理解できることは、タイあるいはタイ人という大まかな範囲内での傾向のみで、ある個人がもつ情熱が何に向けられているものかまではわかりません。

タイ語で心のことを「ใจ(ジャイ)」といいますが、タイ語には「○○+ジャイ」という単語が非常に数多くあります。いずれも気持ちの状態を表したり、人の性格を表したりする単語です。きっとタイの文化とはそれだけ心の動きに敏感な文化なのだろうと興味深く感じています。その人個人がどういう状況にありどう考えているのかということを感じ取り共有し、その共感し合うことの連続によって心を通わせることができているという実感を得ることができると考えています。そのような関係性が築けた時に自ずとあうんの呼吸というものが生み出されるのでしょう。

この考え方は私がタイという外国で働いたことにより身についたものだと言えます。タイ人とどのようにすればうまくやって行けるのかを追求した結果ですが、先の例にあった通りに初めは日本式の考え方を無意識であるとは言え押し付けてしまっていたのではないかと思います。それは与えようとしているように見えて相手だけに変化を強制する一方通行のもので、当然コミュニケーションとは言えません。言葉の通じない相手とのやりとりであったからこそ気づくことができたのだと思います。このような一方通行の偽コミュニケーションは、あらゆる場合で語られている通り日本でも同じような状況が起こっているのではないかと感じられます。あうんの呼吸ができて当たり前の文化であるから、なまじ日本語で会話ができてしまうから、集合を重んじてきた社会であるから、個人同士が深く共感し合うことが少なく考え方の違いに気付きにくいのではないでしょうか。山はあらゆるルートで登っていいはずなのに、きれいに整えられたひとつのルートを皆が窮屈に登っているような気がします。

“カオス”を許容する

働く上で「多様性」が大きなキーワードになっていることは誰もが知る事実ですが、日本では多くの場合、多様なことを許容するというよりは、その平均値を探ろうとしているように感じます。異質なものを受け入れることは日本人が最も不得意にしていることのひとつなのかもしれません。しかし私はタイの持つエネルギーに満ちた“カオス”こそがこれを打破するヒントになると考えています。異質なもの同士がそれぞれの呼吸を感じ取りあいながら、そして自然増殖的に発展してきたのがバンコクという街並みであり、それらはお互いを気遣いながらもゆるやかに自己主張しています。これまでになかった新しい課題が次々に起こる昨今の社会、思いもよらない新回答が生まれるのはそんな環境なのかもしれません。

2018年9月13日更新

テキスト:川口 健太
写真:川口 健太