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「売る」ことから考えないカルチャー書店の草分け - 誠品書店

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with ForbesJAPAN ISSUE05 ALTERNATIVE WAY アジアの新・仕事道」(2019/10)からの転載です。


取材中、ロケハンに早足で店内を行き来する取材陣に対して、「もっとゆったり過ごす場所なんです」とスタッフが一言。市民に開かれたオアシスは、創業者が貫いた信念を体現していた。

農家の人が気軽に来る本屋でありたい。たとえはだしだっていい

店に一歩足を踏み入れて真っ先に目に飛び込んでくるのは、床に座って本を読む人たちの姿だ。立ち読みならぬ、座り読みするお客さんの、どこか肩の力の抜けた様子は、日本から初めて台湾の誠品書店を訪れた人に新鮮に映るに違いない。

誠品書店が、1989年に開業した最初の店舗を、今の場所へと移転したのは95年のこと。99年に24時間営業を開始し、一躍名をはせた。店内は無垢が敷き詰められている。一般に湿度の高い台湾では木造は敬遠されがちなのだが、ここには木の温かな雰囲気が漂う。誠品書店の店づくりについて語るときに、欠かせない人物がいる。創業者のウー・チンヨウ(呉清友)だ。残念ながら2017年に他界したが、今に至る誠品書店の企業スピリットを築いたのは彼にほかならない。

20年以上、ウーの下で働いてきたチャン・リン(張曉玲)は、店舗デザインの 核心は「五感」と語る。内装が醸し出す温かみ、適切に保たれた温度、心地よい音楽、大量の本から生まれる特有の匂い、これらが織りなすハーモニーによって「店の心地よさ」は生み出される。これらはどんな思想のもとに設計されているのか。「社内では『場所の精神性』と呼んでいるのですが、お客様が店内に入った瞬間から別世界に足を踏み入れた感覚をもってほしい。本だけでなく、カフェでお茶を楽しむ時間も含め、気づいたらその日の午後まるまるゆっくりできた―そんなお店でありたいですね」

生前のウーが語っていた理想の書店像 について、「これ、伝わるかなあ」と広報 担当のセン・シーソン(曽喜松)は一枚 の写真を見せてくれた。そこには、サンダル履きに買い物かごを下げた年配女性が 店の書棚の前で本を開く後ろ姿があった。「ウーがよく言っていました。『農家の人が気軽に来る本屋でありたい。たとえ、はだしだっていい。本当に“読みたい”という 思いでやって来る、その気持ちを受け止めたいんだ』と。だから店内での制限はありません。立って読もうが座って読もうが、自由に過ごしていただければいい。時間を かけて1冊まるまる読み終えたって構わないんです」

実際、本に折り目や付箋をつけ、何度も通って読み終えるお客さんもいるのだという。

本に触れること自体が貴重

購入前の本を自由に広げる人々。24時間営業の敦南店は時間帯によって客層が違い、人が少ない深夜の時間帯には多忙なビジネスパーソンや著名人が息抜きのために訪れ、ゆっくり過ごしていくこともあるという。

19年は誠品書店にとって創業30周年の記念すべき節目だ。この3月には、創業者のウー、さらに2代目として父の後を継いだ娘のマーシー・ウー(呉旻潔)を中心に、誠品書店のこれまでを追ったドキュメンタリー映画を製作・公開した。映画では、当時38歳のウーが心臓疾患に倒れ、生死の境をさまよったエピソードが紹介されている。その大きな危機を乗り越えたのち、とにかく世界や社会に貢献する仕事をする、そのために書店を開くんだ、と興奮気味に決意を妻に告げたことも明かされた。

それから30年。客と一冊の出合いを提供するために店づくりを一歩ずつ、進めてきた。センはその出会いの重要性を次のように説明する。

「誰もが人生で影響を受けた一冊ってありますよね。書店でどんな本と出会うかは人それぞれですけれど、より多くの人に人生でそんな一冊と出会ってほしい、誠品をそんな場所にしたい、と考えています」

とはいえ、台湾も日本と同様に、長い出版不況のトンネルの中にある。実物は書店で見るけれど、実際には少し安いネット書店で買う、という行為は台湾にもある話だ。これに対してセンは「でも、私たちはそれでもいい、と思っています。大事なのは、本の世界に触れることですから。本を買う人が減っているなかで本の世界に触れること自体、貴重なことで、どこで買うかは問題ではない。より多くの人が本を買う環境をどうやってつくっていくか、それこそが出版業界の抱える課題です。私自身も誠品に入社して、カルチャーをつくるというビジョンに触れてから、このように考えるようになったんですけど」と笑った。

書店員の指導にあたっても、ウーは常々、「売ることを先に考えるな」と言っていたという。チャンはこう付け加えた。

「たとえその日は何も買わなかったとしても、DVDとか文房具を買いにくるかもしれない。また別の日には映画を観にくるかもしれない。必ず次の機会があると考えています」

確かに「書店」と銘打ちつつも、店内には書籍エリアだけでなく、文具売り場はもちろん、パフォーマンスや講座が開催されるホール、そして映画館まで設けられている。誠品という場所は、「人生を変えるようなコンテンツに出会ってほしい」という願いの込められた空間なのだ。

地域の人たちとつくる書店

アート本や、海外書籍のコーナーが充実。関連雑貨も並び、日本のカルチャー書店のモデルとも言われる

現在の誠品書店は台湾に44 店舗のほか、香港、中国などにも出店し、計50 店舗を運営している。どの店舗にも、地域に根ざしたオリジナルのコンセプトが定められており、ひとつとして同じものはない。これもまた、ビジネス的観点からすると非効率なやり方だ。

「ウーには『稼げるからやる』という発想がありませんでした。その土地の人やクリエイターと一緒に、店のある地域文化をつくり上げていく、そんなふうに一見、青くさいようにも思える理想があったんです。正直なところ、創業から15 年はずっと赤字でした。我々を支えてくださった方々のおかげで、15 年たってやっと収支がトントンになったんです」

今年秋、同社は日本で初めて日本橋に出店。誠品のある場所を、その地域の人たちとつくり上げていく―この理念は台湾での出店と変わらないという。

「台湾から行くからといって、何もかも台湾風の店づくりをするつもりはありません。台湾で学んできた要素を生かしてローカライズするからこそ、そこにしかない店舗ができるのですから」

2019年10月1日更新
取材月:2019年7月

 

テキスト:田中美帆
写真:Donggyu Kim(Nakasa&Partners)
※『WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE 05 ALTERNATIVE WAY アジアの新・仕事道』より転載