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第10話「机上」から「屋上」へ

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による連載コラムです。働く場や働き方に関するテーマを毎月取り上げ、『「〇〇」から「××」へ』という移り変わりと未来予想の視点から読み解きます。

 

タバコ難民の誕生

はじめに宣言しておきますが、私は喫煙者です。それも調子のいい日なら30本くらいは軽く吸ってしまうヘビースモーカーです。そんなタバコを片時も離せない私の机から灰皿が消えたのはいつだったろう…。90年代の後半だったのは間違いありませんが、はっきりとしません。自 分にとっては死活問題だったのになぜか定かではないんです。ショックで当時の記憶がごっそり飛んでしまったのかもしれません。

ともかく私がそのとき働いていたオフィスでは、その日を境にデスクスペースでの喫煙は禁じられたのでした。そしてその日を境に私は「タバコ難民」あるいは「タバコ放浪者」となり、私の知的生産性は急降下していったのです。もともとさして高いレベルにあったわけではありませんがそれでも、私の活性度は低下の一途をたどることになったのです(すべてはもちろん本人の感想です)。今回は、いまや世の中の憎まれっ子になってしまったタバコまわりの話をさせてもらおうと思います。愛煙家の皆さんはもちろんですが、嫌煙家の皆さまも嫌がらずに最後までお付き合いくださるようお願いします。

 

 ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』など。

 

 灰皿ははるか遠くになりにけり

最新の調査(日本たばこ産業「2016年全国たばこ喫煙者率調査」)によると、日本人の喫煙率は19.3%、男性が29.7%で女性は9.7%となっています。ちなみに男性の喫煙率が30%を切ったのは史上初だそうです。喫煙者人口は男女合わせて2,027万人で、前の年から57万人も減っています。喫煙者は絶滅危惧種の仲間入り寸前なのであります(だから保護して!とは言いません)。本当にどうでもいい情報かもしれませんが、OECD加盟国の中で喫煙率がトップなのはギリシャ。喫煙率は38.9%と日本の倍(あぁ、私はギリシャで老後を過ごそうかしら…)。

 

1996年に制定された「喫煙のためのガイドライン」や2003年に施行された「健康増進法」によって、公共の建築物や乗り物、飲食店、そしてオフィスにおいても受動喫煙を防止するための対策を講ずる動きが加速していきます。こうした一連の法等の整備の流れの中で、それまであいまいだった受動喫煙の被害の責任は、タバコを吸う人だけではなく、その場所を管理する事業者にも課せられるようになっていき、2015年に改訂された「労働安全衛生法」で、すべての事業者が実情に応じて適切な受動喫煙防止措置をとるよう努力することが義務化されました。そしてオリンピックに向けて、現在国会で受動喫煙対策法を強化する法案が審議されているのはご存じの通りです。

 

オフィスの中の喫煙場所は、机の上からフロアの片隅や廊下へ出され、天井まで仕切られた部屋に移され、ついには建物の裏口や屋上へと移動していきます。これに伴い喫煙者もタバコを吸うときには移動を余儀なくされることになり、敷地内を全面禁煙としている施設を利用する喫煙者などは街中にある公共の喫煙所まで大遠征しなければならない状況になっています。受動喫煙防止は着実に進行していて喜ばしい限りです(喫煙者の恨み節っぽく聞こえるかもしれませんが、それは気のせいですよ)。

 

灰皿あるところに会話あり

話は変わりますが、オフィスにある喫煙所ではコミュニケーションが活発に行われている、ということを皆さんは耳にしたことがあるのではないでしょうか。「我が社では喫煙所で議論が起こり、そこで意思決定までされている」なんていう苦情?もよく聞く話です。コミュニケーションをとることの重要性が叫ばれている昨今、良くも悪くもコミュニケーションが活発に行われているらしい喫煙所をオフィスの中から排除してしまってもいいのでしょうか。まずはこの議論の出発点である喫煙所=コミュニケーションの場が本当なのかを見てみたいと思います。

 

熾烈な企業間競争が繰り広げられている今、企業には迅速な知識創造が求められています。そんな中で知的生産性に影響を及ぼす要因の一つとしてよく取り上げられるのがインフォーマルコミュニケーションでしょう。予期せぬ会話から新たなつながりができたり、アイデアのたねを見出すことができる、というのは今や定説となってるようです。そしてこのインフォーマルコミュニケーションを引き起こすことに喫煙所とそこに併設されているリフレッシュエリア(禁煙)が一役買っているということを検証した研究があるで紹介してみましょう。

 

日本オフィス学会誌第6巻第2号に掲載された技術報告「分煙環境におけるコミュニケーションおよび空間利用状況」がその研究で、これに携わったのは松岡利昌特任准教授(名古屋大学大学院環境学研究科:当時)を中心とするメンバーです。対象となったオフィスは2,100㎡に145名が入居していて、フロアの中央に喫煙室とリフレッシュエリアが併設されています。この報告では、ワーカーが気分転換をするために足を運ぶそれらの空間で、どのようなコミュニケーションが発生しているのかを記録し分析した結果が発表されています。彼らが検証した結果見えてきた分煙環境の効果は以下のようなことです(詳しい内容を知りたい方はぜひ日本オフィス学会誌をご覧ください)。

 

■分煙環境の効果
・喫煙室とリフレッシュエリアには異なる属性のワーカーを集める効果がある。
・リフレッシュエリアでは喫煙者がコミュニケーションの中心となっている。
・オフィス全体を見るとコミュニケーションの中心となっているのは役職者である。
・しかしリフレッシュエリアでは、役職者ではない喫煙者が役職や部署の垣根を越えてコミュニケーションをとっていて、人的ネットワークの中心的役割を担っている。

 

この結果を見ると、オフィスの中に喫煙環境を設けることには利点があるように思えます。もちろんこの一例だけで、インフォーマルコミュニケーションを誘発することに分煙環境(喫煙所を内包したオフィス)が有効だと結論づけられたと主張するつもりはありません。ましてや喫煙者の存在を肯定的に捉えるつもりなんてさらさらありません。それでもこの研究報告は、オフィスにおける喫煙環境がワーカーのコミュニケーションあるいは人的ネットワークの形成にプラスの影響を与えることを十分に示唆するものになっています。一研究者としても一喫煙者としても、もっと多くの検証データが集まり、喫煙環境がある場合とない場合との違いなどについても議論できるようになることを願ってやみません。

 

タバコに代わる出会い系ツール

確かにオフィス内の喫煙所は知的生産性向上に合う意味で有効なのかもしれません。しかし時代の流れには抗えません。前半で書いたように喫煙環境はデスクから離れ、オフィスからも追いやられていく身。タバコに代わってインフォーマルコミュニケーションを生み出していくツールを私たちは真剣に考えなければならない段階に来ているのではないでしょうか。考えてみるとタバコって、ひとりのときは気分転換するためのツールであり、仲間との会話を促進してくれる(時に喫煙者にとって優れた)ツールでもあります。

 

まずはひとりの気分転換の方から考えてみましょう。すぐに思いつくのは「立ち仕事」。仕事に行き詰ったときには姿勢を変えるのが一番です。私たちは気づかぬうちにこれをやっているんです。脚を組みなおしたり、椅子の背もたれに体を預けて腕組みをしてみたり…。そうした無意識に行う姿勢の変化に対して、立ちあがることは、はっきりと意識しながら行うことですし、立つことによって視界が大きく変わるので気分転換に対して大きな効果を期待することができます。なので「立ち仕事」に対応できる机さえあれば(タバコを吸いに行かなくても)ひとりの気分転換はできそうです。

 

次は仲間とのコミュニケーションの問題です。健康増進法が施行された頃から、「タバコに代わるコミュニケーション促進ツールって何かないの?」と多くの人から訊かれてきました。そのたびに「それはタバコを吸わない人が考えればいいじゃない」と答えてきた私。もちろん考えるのが面倒くさいからそんな返答をしてきたわけではなくて、うまい答えを思いつかないから逃げてきたのが真相です。オフィスの中で不特定多数の人を集め会話を引き起こさせるようなツールってどんなものでしょう。例えば、ライバル企業の新製品が置かれていたらそこには人が集まるように思えます。実際の「ブツ」を手にすることは、ネットでは得られない情報を取得できるので大きな集客力を持っているに違いありません。ライバルの新製品に限らず、みんなにとってすごく関心のある物理的なものであればなんでもいいわけで、それが置いてあれば人が集まりそこに会話が発生する。タバコの代わりになるツールはこれでいいのじゃないか、とついつい考えてしまいます。ですがこれを実際に運用するのはけっこう大変。置かれた「ブツ」には賞味期限があります。おそらく1週間もすれば情報の鮮度は落ち、誰からも見向きもされない存在になってしまいます。ということは、頻繁に「ブツ」を入れ替えることを誰かがやらなければ、コミュニケーションを持続的に促進していくことはできないとういことになります。人が介在しなければならいということはコストがかかるので、現実にやっていくのは簡単ではありません。やっぱりタバコに代わるツールってなかなか見つかりません。どうせ人手がかかるのなら、いっそその人がいつもそこにいて、その人の魅力でみんなを引き寄せる方がいいかもしれません。気さくなマスターのいるカフェに常連客がつくように。

 

実はひとりの気分転換問題と仲間とのコミュニケーション問題をいっぺんに解決する妙案があるんです。それは仕事中に自由に席を立ってオフィスの中をブラブラすること。 少しの間仕事を忘れて、歩いている途中で声をかけたりかけられたり。こんな一見さぼっているように見える働き方が許容されるオフィスであれば、喫煙環境にコミュニケーションの促進を期待する必要なんてないのです。今世間では長時間労働を防ぐための「働き方改革」が盛んに議論されています。それはそれでもちろん重要なことですが、ブラブラ歩きを奨励することも働き方改革の大事な一つだと皆さんは思いませんか。

進め!愚かな喫煙者ども

最後にタバコがないと仕事に集中できない人の逸話をひとつ。
劇作家の井上ひさしさんが若い頃(おそらく昭和30年代)の話です。井上さんは原稿を書くとき常に左手にタバコを挟んでいないと仕事にならないほどの超ヘビースモーカーでした。日頃から人がすっかり寝静まった深夜に執筆を始めることにしていた井上さん、ある夜あろうことかマッチを切らしていることに気づきます。タバコが吸えないと原稿が書けない。でも締め切りがあるから書かないわけにいかない。今ならコンビニに行けば済む話ですが、当時はそんな時間に開いている店なんてありません。深夜だから人を起こして火を借りるわけにもいかない。困った井上さんはさんざん考えた末に交番でお巡りさんが寝ずの番をしていることに思い至ります。でも井上さんはお巡りさんが怖くて苦手。交番の近くまで行ったものの暗がりでしばし逡巡してしまいます。それでもお巡りさん自身が一服点けるタイミングを見計らって火を借りることにどうにか成功します。部屋に戻った井上さんは、これでようやく執筆することがでると一安心。ところが原稿を書き始めてみると今度はタバコの火のことが気になってしかたない。なにせ今ついているタバコの火を絶やしてしまったら終わりです。苦労して手に入れた大切な火種をけっして絶やさぬよう、井上さんは夜が明けるまでタバコの火を次のタバコに移す作業(つまりはチェーンスモーキング)を延々と続けることになってしまいました。そのことに専念していためにとうとう原稿はまったく書けませんでしたとさ。

私もタバコとライターをちゃんと携帯しているのかを頻繁に確認し、どちらかが無いとなると軽いパニックに陥ります、ですから、井上さんの気持ちはよ~くわかります。いやぁ、喫煙者って本当に愚かです。困ったものですね。 

 

そんな話はともかく、2020年に向けて喫煙者に対する風当たりはかつてないほど厳しいものになっています。そんな逆風をまともに受けながら、愛煙家たちは今日も喫煙所を目指して歩を進める。至福の一服のために、絡み合った思考の糸をほぐすために、仲間と「ここだけの話」をするために、わずかに残っている罪の意識に煤けた胸を痛めながら…。

それでは今月はこれで失礼して、さっそくタバコを吸いに行ってまいります。ごきげんよう、さようなら。

 

第10話 完
2017年4月28日更新

 

【参考】
・松岡利昌(2012)『分煙環境におけるコミュニケーションおよび空間利用状況』日本オフィス学会誌第6巻第2号
・野坂昭如(2006)『けむりの居場所』幻戯書房 ※井上ひさしさんエピソード

■働くを考えるシリーズ 過去掲載記事

第1話「オフィス」から「ワークプレイス」へ
第2話「みんなにひとつ」から「ひとりにふたつ」へ
第3話「効率」から「創造」へ
第4話「指定席」から「自由席」へ
第5話「座りなさい」から「立ってなさい」へ
第6話「多・遠・長」から「少・近・短」へ
第7話「ピラミッド」から「フラット」へ
第8話「灰色」から「薔薇色」へ
第9話「室内」から「地球」へ

 

テキスト:鯨井 康志
写真:岩本 良介
イラスト:
(メインビジュアル)永良 亮子
(文中図版)野中 聡紀

 

 

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