REPORT

2016.01.29

“SEA DAY 01” 開催レポート [B-1] 紀尾井町・番町・麹町 新しいまちプロジェクト

Seaの位置する、千代田区の紀尾井町・番町・麹町エリアは、昼はオフィスワーカーが多く訪れるまちです。このような人々が働くまちは、一体誰のまちなのでしょうか。参加者同士のワークを通し、私達が働くまちのまちづくりのために何ができるかを考えていきました。

紀尾井町・番町・麹町 新しいまちプロジェクト

「新しいまちプロジェクト」のセッションでは、大日本印刷株式会社の辻千恵美氏を中心に、Seaの所在地である千代田区の紀尾井町・番町・麹町エリアを取り上げ、これからのまちづくりについて議論が行われました。参加者は3つのグループに分かれ、それぞれワークショップ形式で話を進め、最後に各グループのワークショップの成果を全体で共有しました。

大日本印刷株式会社の辻千恵美氏、「今働いているまちに愛着がある人はいますか」と質問

働いているまちは、誰のまち?

セッションの冒頭、「いま住んでいるまち以外にふるさとがある人、そしてそのふるさとに愛着がある人はいますか?」と、辻氏は参加者に質問。30名ほどの参加者の中でふるさとがあると手をあげたのは約半数、そしてそのほとんどは愛着があると答えました。次に辻氏が「自分が今働いているまちに愛着がある人はいますか?」と聞くと、手をあげたのはたった数名。「こんな風に、働いているまちへの愛着を持つ人は少なくなっていますよね。今日は『自分たちの働いているまち』について考えていきたいと思います」と、セッションの目的を伝えました。

また、辻氏は自身がまちづくりに関心をもつようになったきっかけと、セッションで取り上げる千代田区について話していきました。東京育ちだという辻氏は、いつの間にか開発が進み、自分が何か関わったことによってまちが作られていく感覚がなく、「ここはだれのまちなのだろうか」という疑問をもったことが東京のまちづくりを考えるようになったきっかけだと言いました。

Seaの位置する、千代田区の紀尾井町・番町・麹町エリア、このまちもまた、誰がその担い手なのだろうかと疑問に感じると言います。千代田区はオフィスワーカーや学生など様々な人が訪れるまちで、昼夜間人口の差が非常に大きく、昼は夜の17倍もの人々がこのまちに存在しています。昼と夜でまちをつくる人が異なると辻氏は説明しました。各グループでは、このようなまちにおいて私たちはどのようなことができるのか、具体的なアイデアが出されていきました。

Aグループ:今あるものを組み合わせ、アイデアを書き出す参加者

働く自分視点で考える

ここからはA・B・Cグループそれぞれのワークショップの様子を紹介します。

【Aグループ:多様なものの組み合わせから、新たなものを】

上智大学の川西氏らが中心となったAグループでは、さらに2つのグループに分かれて議論を行いました。この地域にあるリソース、アイテム、プレイヤーが書き出された無数の付箋が壁一面に貼られた状態でワークはスタート。その付箋の中から2,3個を任意に選んで組み合わせ、「こんなものがこのまちにあったらおもしろいな」というアイデアをグループごとに生みだしていきました。「こんなイベントができるのでは」、「こんな場所が作れるのではないか」などと、参加者は活発に言葉を交わしながらアイデアを出しており、楽しみながら議論を進めていることが感じ取られました。

「外国大使館員×文化×コワーキングスペース=グローバルカフェ」、「貸しオフィス×怪談=肝試し街歩きイベント」など、各チーム15個ほどのアイデアが生み出された後、全てのアイデアを参加者全員で共有。面白そうなアイデアは、その考案者によりアイデアの詳細や考案した経緯が説明され、「なるほど~」、「おもしろそう!」などの声があがりました。そして、全てのアイデアの中で、最も良いと感じたものへ各々が投票、全体から2つにアイデアを絞り、さらにその2つの内容を膨らまし、まちを活性化させる新しいアイデアを作り出していきました。

Bグループ:えんたくんによりキョリの縮まる参加者たち

【Bグループ:夢を語り、必要なものを導く】

Bグループを率いたのは、一般社団法人オメガセクターアソシエーションの定永氏と上智大学の福田氏。このグループでは、参加者自身のつかう駅から職場までの道のりを思い返し、「その道すがらにこんなものがあったらいいな」という夢を語るように、アイディエーションワークが進められていきました。「○○ができる場所」、「あったらいいなと思うもの」を各々が付箋に書き出し、一人ずつアイデアを発表することに。ワークには、円形の段ボール板を机として利用する「えんたくん」を使用。えんたくんによってお互いのキョリが近かったからか、3つのグループの中で最も朗らかな雰囲気で、笑顔の絶えない様子でアイデア共有が行われていました。

「飲み屋だけでなく、定食が食べられるお店が欲しい」、「昼寝、休憩ができるスペースがほしい」など、自由で奔放なアイデアが続出。そんな中、参加者の一人があるアイデアを出すと、「私も同じことを書きました」と、次々と似たようなアイデアが出され、「皆さんほしいものは同じなんですね」と、共通の要件を抽出する様子も見受けられました。さらに、出てきたアイデアを分類し、えんたくん上のワークシートに、カテゴリごとにまとめてみることに。各々が欲しいものを自由に書き出したにも関わらず、分類してみると、想像以上にカテゴリがまとまったようでした。

Cグループ:周辺施設が記された地図とアイデアの貼られた模造紙

【Cグループ:このまちはどんなまち?たりないものとは?】

Cグループの進行役は、一般社団法人オメガセクターアソシエーションの大森氏。このまちに今あるものを見て、「さらにこんなものがあったらいいな」、「こんなまちだったらいいな」という希望や願望、欲望をアイデアとして出して、それをカテゴリごとに分ける。その分類を集めたところで、どんなまちになるのかを考え、まちの今後の将来像を立てていきました。

このグループは机一面に、紀尾井町・番町・麹町の地図とまっさらな模造紙をひろげ、議論を展開。地図には、周辺の駅や大学、大使館などこの地域にある主要な施設が書き込まれ、模造紙には、「あったらいいな」、「ここはいらないんじゃないか」というアイデアの書かれた付箋が貼られていきました。地図に直接情報が書き込まれていることによって、ある場所の周辺にある施設だけではなく、主要な道路や駅までの道のりなどの情報も一目で理解することができるようになっていました。そのため、参加者間で、「この場所の人の流れはどうなっているのか」、「主要な道路はどこなのか」、「まちの雰囲気はどうなのか」など様々な疑問が生まれ、参加者全体で地図を通して、「まちに何があるのか」、「人の動きや車の動きはどうなっているのか」というような、実際のまちの様子をイメージしながらアイデア出しをすることができた印象でした。

セッション参加者全員にグループの成果を発表する、Bグループの代表者は別セッションで登壇する日の丸交通社のドライバー渡部氏

各グループそれぞれのワークの成果はこちら。

【Aグループ】
幻の文人町の復興イベントを開催
壁画に文人達の漫画を書きイメージを喚起(絵伝)⇒そのフィールドで定期的にラーニングイベントを行い、まちの歴史を伝え知識として得てもらう(口伝)⇒観光客や子供達に文人達の生きたまちを案内する(経験)
一連の流れをイベントとして開催することで、まちへの誇り、愛着を生み出していく。

様々な人がつながるまちの音楽イベントを開催
寺、教会、小学校の校庭のような、一見音楽とは無縁の場所でジャズや和太鼓などの音楽イベントを行い、様々な人をつなげ、人とまちもつなげる。

【Bグループ】
あったらいいなと思うものは、「スキルアップ」、「趣味」、「休み」、「スポーツ」、「人との出会い」、「生活」の6つのカテゴリにわけることができ、それらはそれぞれ関係性を持っているようであった。すべてに共通して必要な要素として、「ボーダーレス」、つまり「建物の中と外とがつながる場所」が求められていることが導き出された。

【Cグループ】
紀尾井町・番町・麹町エリアは、文化的なまちであり、また、住宅と世代のあるファミリーのまちで、実は大きなにぎやかさは必要ではないのかもしれない。すでに行われている行政サービスと組み合わせたり、隣接するまちとの行政単位での協力をして新たなイベントを開催できると良い。

この地域にある無数のリソース、アイテム、プレイヤー

ビジョンを描き、アクションを積み重ねなければならない

各グループの発表を受け、最後に辻氏は次のように述べました。

「今回のワークを行って終わりでは意味がありません。変わりたいと思うビジョンを描き、実行可能な小さなアクションを積み重ねていくことで、まちを変えていくことを考えていきます」。

実現不可能なアイデアを出すのでは、まちは変わりません。今回のワークのように、身近で自分自身でも実践できるようなアイデアを出し、そこから実際にアクションをおこすということが、まちを変えていく一歩になっていくのではないでしょうか。

「今後の展開」として

2015年7月、宮城県石巻市で震災復興支援のボランティアに参加をした帰路、新幹線の中で、平田オリザ先生の著書「新しい広場をつくる 市民芸術概論要綱」を拝読していました。

本論は、なぜ芸術には公的支援が必要か、社会の中で芸術活動が果たすべき役割を考察された著書ですが、その中に、私の問題意識を明確にした章があります。少し長くなりますが、抜粋して記載します。

– – – – –

「第四章 文化の自己決定能力」

(前略)
私は、震災以降、様々な形で、被災地の創造型復興教育のお手伝いをしてきた。「創造型復興教育」とは、被災地の子どもたちの心のケアから始まり、さらには未来の地域再生を担う想像力と創造性をもった子どもたちの心のケアかは始まり、さらには未来の地域再生を担う想像力と創造性をもった子どもたちを育てるために行われている多様な試みの総称だ。音楽・美術・演劇・メディアアートなどのワークショップや、食育、防災・防犯教育など、双方向方。参加型の多様なプログラムが展開されている。文科省もそのための予算を、まだまだ少ないながら用意している。要するに「文化の自己決定能力」を持った子どもたちを育てる教育だ。
(中略)
今回の震災で、あらためて明らかになったことの一つは、いかに東北が東京の、あるいは京浜工業地帯の下支えをしてきたかという事実だった。それは、電力やサプライチェーンだけのことではない。東北は長く、東京に対して、中央政府に対して、主要な人材の供給源だった。
(中略)
この人材供給のシステムは、高校の学校教育レベルから始まっており、偏差値の序列に従って中央へ中央へと人材が吸い上げられる仕組みとなっている。久慈でも釜石でも、優秀な生徒は、高校段階で盛岡一高へと進学する。そして、岩手大学へ、東北大学へ、東京大学へ、進学は常に上り列車に乗って進んでいく。

では、この三陸の地の復興は誰が担うのか?
まだ、この期に及んで、国家のための教育を続けるのか?

『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』(平田オリザ著、岩波書店)

– – – – –

平田オリザ先生の最後の問いは、私がこのセッションで参加者に問いかけた「働いているまちは、誰のまち?」という冒頭の問いと連動しています。

このエリアは東京の一等地、何不自由ない大都市の一角で、これといって切迫した課題はありません。平日は、学生やサラリーマン、地域住人と多様な人々が行きかい、文化活動、経済活動が行われ、一見したら羨ましいくらいの賑わいかもしれません。しかし、来街者と働くまちの関係をみたらどうでしょう。住民の約17倍もの人(※)が来街者として訪れるこのまちの担い手は、いったい誰になるのでしょう。物質的な豊かさがあるというだけで、不自由ないまちと言えるのでしょうか。

私のこのもやもやとした疑問は、すぐに答えが出るものではありませんが、ひとつのやり方として、セクターレスな対話・セクターレスな活動を通じて見えてくると感じています。この度、ご参加頂いた皆様にご意見を頂いたように、対話を通じて未来を考えると共に、実践の場としてこのまちに新しい生態系を作っていきたいと思います。(辻千恵美・筆)

※千代田区における昼夜間人口差
出典:千代田区HP/町丁別世帯数および人口(平成22年国勢調査)

 

▼今後の活動

【1】まちを知る
①定期的なまちあるきの実施
まちの情報を集め蓄積する

②未来志向型対話 フューチャーセッションの実施
課題解決に向けたセクターレスな対話の場を提供する

【2】まちをいかす
①まちの情報発信
まちの個性を知ってもらう

②地域連携を望む企業の支援活動
まちの文脈を活かしたプランニング

 

▼「まちのプロジェクト」個別の活動

上智大学フューチャーセンタープロジェクト
https://www.facebook.com/sophiansfuturecenterproject

DNP コトバデザイン
http://www.dnp.co.jp/cio/ccsd/

一般社団法人オメガセクターアソシエーション
http://www.omega.or.jp/

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